懐刃・弐

「——鋼月こうげつ! 鋼月はいるか!!」


 家屋が立ち並ぶ集落とは少し離れた所に位置する里の鍛冶場を訪れた千鶴は、金槌の音が鳴り響く作業場の喧騒に負けじと声を張り上げ、目当ての男の名を呼んだ。


 鍛冶場の中は吹き抜けの構造だというのに熱気に包まれており、刀匠着に身を包んだ男達が絶えず汗を流しながら作業に没頭している。赤熱した金属を無心で叩き鍛え上げる者、妖魔のものと思わしき白骨を削る者など、入り口に立つ千鶴に一瞬視線を移すが大して気に留めていない様子だ。


 彼らは懐刃・兵装隊【楔】の隊士達である。隊士というよりは巫神楽が誇る職人であり、日夜妖魔と戦う隊士達の武器や防具は彼らの手によって造られているのだ。

 

 幸い、巫神楽は上質な鉱物資源に恵まれている。だが、いかに優れた素材が採れようと、それを活かす“わざ”がなければ、強固な外殻や強靭な皮膚を持つ妖魔を打ち倒す武器は生まれない。その業こそが彼らであり、そしてそれを伝える先駆者がいなければ、幾世代にも渡って存続はできない。


 千鶴がその光景を眺めていると、他の者と同様作業中だったのか、工房の奥から中背の青年が肩に下げた手拭いで汗を拭きながら出てきた。


「——これはこれは、千鶴殿。何か御用ですか?」


「なにを呑気に……。寄り道を強いられた私の身にもなれ。胡鞠が心配——というか、呆れていたぞ。また食事も取らず作業に没頭している、とな」


 そう言うと、千鶴は二つ持っていた竹包の片方を投げて渡す。


「おや……いつの間に夜が明けていたのか。いやあ、かたじけない。毎度お手を煩わせてしまい申し訳ありません」


 それを受け取った青年は入り口から差す陽光を見て、大して焦った様子もなく言った。やや褐色がかった肌のせいで分かりにくいが、目の下には隈ができている。どうやら夜通し作業に没頭していたらしい。


 職人には似つかわしくない整った顔立ちをしており身体の線も細いが、日頃から金槌を振っているだけあって無駄な肉はなく、引き締まっている。


 青年の名は黒鉄鋼月、兵装部隊【楔】の職人達を取り纏める筆頭である。


 筆頭といっても胡鞠や剛羅のような武闘派ではなく、あくまで後方支援、隊士達が扱う武具の製造・開発指導が主な役目だ。彼こそが巫神楽周辺で採掘された鉱石と妖魔の素材を繋ぎ合わせた強力な武具を生み出す“業”そのものと言える。


 だがそれは彼自身が先駆者というわけではなく、彼もまた業を先人から継承し、磨きをかけてきた。


 彼の姓である『黒鉄』というのは、北端の渓谷に隣接した晶山一帯を住処にする一族の家名だ。文字通り、彼は神々廻家や巫神楽で暮らす民の出自とは異なる。


 その正体は五龍血と称された、神々廻家を除いた異能を操る五大一族の一家、黒鉄家の末裔である。


 そもそも大陸形成に関する伝承では、どこからともなく舞い降りた龍がその肉体を五つに分かち、龍幻郷の大地を形成した、というのが定説だ。神々廻一族が龍そのものの力である誕生・変容・終焉といった始源の力を宿しているなら、分断された五つの肉体——即ち五龍の宿った力の影響を受けた者達がいてもおかしくない。


 五龍が持つとされた異なる異能をその血に宿し、二百年前、神々廻の始祖を初代巫女姫と結託し封印した五人の英傑。混沌の時代に終止符を打つことになった人魔入り乱れての大戦後、各地に散った彼らが築いた五つの一族、それらを総称して『五龍血』と呼ぶのだ。


 中でも黒鉄家は、卓越した鍛造技術を有しており、ある秘術によって通常とは異なる性質を秘めた武具を鍛え上げることができる。始祖封印の要であり、同時に妖魔に狙われ続ける神々廻家に優れた武具を提供するため、必ず一族の中でも才ある若者が一人派遣され巫神楽に滞在する——というのが通例になっていた。


「以前からそうだが……近頃は更に熱が入っているな。四六時中工房に入り浸りと聞いている。なにか事情でもあるのか?」


「ええ……まあ。最近手に入る妖魔の素材はなんというかこう……少し変わっていまして。これまで扱ってきたものと比べ武具の性能を飛躍的に高める可能性を秘めているのですが、扱いに難航しているところです」


 千鶴が呆れ顔で問いかけると、鋼月は途端に神妙な顔つきになった。


「……? どういうことだ?」


「簡単に申し上げれば、爪や牙はより鋭利に、外殻や皮膚はその強度を増しています。以前なら、このような部位を持つ個体は稀でした。強大な力を秘めた妖魔はそれだけ長く生きており、龍脈からより多く生命力を取り込み続けることで徐々に姿を変えるもの。ですが……ここ数ヶ月の間、あり得ない速度で変貌していると思われます」


「より鋭く、より硬く……か。」


 そう呟く千鶴の脳裏には、二月前に相対した妖魔・鎌嚇れんかくの姿が浮かんでいた。鍛え上げられた胡鞠の肉体と身につけた防具を容易く切り裂いた大鎌が鈍く光った気がした。


 鋼月の言うように、鎌嚇のような大妖魔から得た素材は強力な武具になり得る。だがそのような個体が水面下で数を増やしているのだとしたら、それは里にとっても、千鶴にとっても紛れもない脅威だ。


 現に、千鶴達に報告される妖魔の出没及び被害報告は数を減らしていたが、隊士達が犠牲になるような力を有した異常個体の報告は増え続けている。


 妖魔討伐の任自体数が減ったとはいえ、元々少数精鋭である懐刃は人手が足りず、主戦力である千鶴や胡鞠、剛羅はなにかと気が休まらずにいた。


「——全てがめぐめぐる時、それがてめえらの最期だ! その首、必ず刈り取りに戻ってくるぞ!!」


 鎌嚇が去り際に言い放った言葉が、醜悪な笑い声と共に脳裏に響く。


 不吉が点と線とで結ばれていく感覚。災厄の足音がすぐそこまで迫っているような気がして、千鶴の表情は自然と強張った。


「——殿。……千鶴殿!」


「……!」


 思考の渦へと沈みかけた時、自身の名を呼ぶ鋼月の声に、意識を引き戻された。


「どうかなさったので?」


「……なんでもない。とにかく、無理はするな。お前が倒れたら困る者が大勢いる。——ではな」


 そう言い、千鶴は背を向け歩き出す。


「おや、もう行かれるのですか」


「私は弁当を渡しにきただけだ。それに、無為むいの分も届けてやる羽目になってしまってな。時間が惜しい」


 千鶴は振り返りそう言うと、わざとらしくもう一つの竹皮に包まれた弁当を見せた。


「はは、無為殿も私と同様というわけですか。そのような事情ならば、引き留めるわけにもいきませんね」


「なにか用でもあるのか?」


「いえ、胡鞠殿から預かっていたものを鍛え直し終えたものですから。ついでにお渡しいただけないかと思った次第です」


「悪いが自分で届けてくれ。急いでいるんだ」


「左様ですか。では最後に一つだけ。絶華の刀身を見せていただけますか」


 そう言うと、鋼月は手を差し出す。


「何も変わりはないぞ」


 千鶴は言われるがまま、愛刀である大太刀・絶華を鞘から引き抜き、鋼月に預ける。警戒心の強い千鶴がすんなりと愛刀を触らせるのは、後にも先にも鋼月だけだろう。


 それもそのはず、歴代夜叉達の手を渡ってきた絶華を千鶴用に改良したのは鋼月なのである。


「ふむ……、やはり貴女様の血は特別なようだ。至る所が刃こぼれしていてもおかしくないのですが、傷一つない。毎度驚かされます」


 切先からはばきまでじっくりと観察した鋼月は感心したように頷くと、絶華を千鶴の元へ返した。


 絶華のように鍛え上げられた際、使用者の血を織り交ぜた武器は『血装具』と呼ばれ、特別な鉱石と製法の下で造られる。そしてそれを可能にするのが鋼月の出生である五龍血・黒鉄家に代々伝わる秘術、元い鍛造技術だ。


 絶華は千鶴が使用者となる際、彼女の血を織り交ぜ鋼月の手によって鍛え直された。そして使用者の血に秘められた特性をそのまま反映させたのが血装具の特徴であり、絶華は千鶴の驚異的な自己治癒力も継承している。刀身が真っ二つにおられるほどの破損は別だが、多少の刃こぼれであれば数日経つうちに修復されてしまうのだ。


「まるで私が雑に扱っているかのような言い方だな……」


 千鶴は絶華を受け取ると、納刀しながら鋼月を不服そうに睨んだ。


「あながち間違っていないでしょう? 胡鞠様や剛羅様もそうですが、貴女方の戦い方はいささか乱暴すぎる。それでは武具もすぐに傷んでしまいますから。もっとも、千鶴様に至ってはそのような心配は無用なようですが」


「胡鞠達と一緒にしないでくれ……。——ああ、そういえば」


 工房から出ようとしていた千鶴だが、思い出したかのように振り返った。


「胡鞠の防具、そろそろ仕立て直しが必要だぞ。最近、胸元がきついとうるさいんだ」


「なるほど、胸元が……」


 そう呟くと、鋼月は顎に手をあて考え込むような素振りを見せる。そして一間置いた後、真顔でこう切り出した。


「千鶴殿、それはひがみというやつですか?」


「……お前、斬られたいのか」


 突如飛び出した不穏当な発言に、千鶴が殺気を露わにして鯉口を切り僅かに刃をちらつかせると、鋼月は「冗談ですよ」と苦笑いする。


「お前の冗談は笑いどころが分からん。では、たしかに届けたぞ」


 そう言うと、千鶴は刃を納めた。そして足早にその場から去り、柘榴もその後に続く。



「変わらないお方だ……。しかし、胡鞠殿の成長っぷりは一体どこから……」


 工房のど真ん中で一人佇んだままあれこれ物思いにふける鋼月を弟子達は不審に思うも、作業をやめない。


 鍛冶場からは今日も変わらず、カン、カンと歯切れの良い金槌の音が響いていた。



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