懐刃・壱

「——げっ……」


 食堂に入るや否や、胡鞠は嫌悪感に満ちた声を上げ、顔を歪めた。


 その視線の先——食堂の一角では、まだ日中だというのに大柄な男が酒を飲んでいた。


 他の席にはちらほらと隊士達も座っており、談笑する声があちこちから聞こえる。


「——……んあ? おい、胡鞠ぃ!! やっと戻ってきやがったか!!」


 男は暖簾を潜ったばかりの二人を見ると、野太い声を張り上げた。


 その声を聞いた二人は顔を見合わせると、諦めたように男の向かいの席へと近づく。


「はぁ……なんであんたがいんのさ。任務で北の山脈に行くって聞いたけど? ——あ、おばちゃん、いつものね。ご飯特盛で」


「私も、普段通りで頼む」


 胡鞠は席に着くや否や不機嫌そうな声色で男に尋ねると、注文を取りにきた女性に言った。千鶴もそれに続き、女性は「あいよ」と短く返事をすると、そそくさと厨房に戻っていく。


 食堂で提供される食事には霊山の麓で収穫された農作物や、その周辺で採れた山菜、男達が狩りで獲ってきた獣の肉が惜しみなく使われている。調理するのは里の女達で、妖魔討伐に明け暮れる千鶴達の腹を満たし身体をつくる貴重な栄養源だ。


 毎日のように食堂を訪れる隊士達は客というわけではないが常連には変わりなく、それぞれが好む献立が用意されるのだ。


「——まあ、そのはずだったんだがな。よく分からんが、頭領自ら出向いていった。そんなわけで、今日俺様は非番ってわけだ」


 そう言うと、男は再び酒を流し込む。


「だからって、真っ昼間から飲むなっての……」


「うるせえ、ほっとけ。それによく言うだろうが。酒は百薬の長、ってな」


 胡鞠が呆れたように呟くと、男は得意げに言い、豪笑した。


 常人の倍近い巨躯を誇るこの男は、突貫とっかん隊【とどろき】筆頭、剛羅ごうらである。胡鞠と同様、数人から成る部隊を指揮する筆頭の一人だ。


 眼帯に覆われた左目を縦に割く古傷に加え、獲物を狩るかのような隻眼の眼差し。一見すると酒に溺れているかのように思えるが、その瞳の奥では鋭く眼光が光る。厳しい面構えに立派に貯えられた顎髭に加え、顔まわりの逆立つ黒髪から伸びる、するりと纏められた総髪。


 神々廻に仕える戦士の証である黒に赤渕の線がはしった羽織から覗く筋骨隆々とした肉体も相まって、歴戦の将を彷彿させるような威圧感を放っている。


 彼らのような“筆頭”と呼ばれる者達が率いる部隊は、合計四つ。


 いかなる強敵や未開の地であっても先陣を切り突破口を開くのは、勇猛果敢な者達で構成された剛羅率いる突貫隊【轟】。


 そして胡鞠が率いるのは、隠密行動や不意打ち、更には見知らぬ土地の探査を得意とし、森林地帯などの複雑な地形でも鮮やかな身のこなしで任務を遂行する遊撃隊【はやて】。


 その他に、各部隊が使用する武器や防具を鍛え上げ、物資などの補給も担当する兵装隊【くさび】、常に巫神楽周辺を監視し、各部隊の伝達事項を一手に担う千眼隊【おぼろ】が存在する。

 この二部隊は前線に出ることはほぼなく、どちらかというと後方支援が主な役目だ。


 それら四部隊から成る組織の名は【懐刃かいじん】。


 文字通り、里を脅かす妖魔を狩り、里の治安維持から当主一族の護衛までをも務める彼らはまさしく龍神の遣いと称された神々廻の有する刃である。


 特に優れた能力を有する四人の筆頭が各部隊を指揮し、さらにその四部隊を頭領である一人の男が統括する、というのが懐刃の組織構成だ。だが千鶴は部隊を持たず、人員が不足している部隊や情報が不透明で予期せぬ危険が潜む任務に同行する助っ人のような役割を与えられていた。



「——それより、聞いたか。例の噂」


 剛羅が突然神妙に切り出すが、同時に給仕の女性が盆に乗せられた料理を両手に乗せ、運んできた。


「はい、お待ちどう! たくさん食べるんだよ!」


 景気の良い声とともに胡鞠の前に置かれた茶碗には、艶めく米が山のように盛られている。付け合わせは焼き魚と漬物。調理したばかりにしては、冷えているように見える。


 千鶴には、やや少なめに装われた米に味噌汁、そして漬物。こちらは温かく、湯気が立っている。華奢な体どおり、少食らしい。足元にちょこんと座る柘榴の食事までしっかり用意されている。


「いっただっきまーす!」


「……」


 待ち侘びたとばかりに声を上げ、次々と料理を口に運ぶ胡鞠に対し、千鶴は黙って手を合わせると静かに食事を始めた。こうして見ると、何から何まで正反対な二人である。


「んで、うわひゃって?」


「ああ……いい。まずは食え」


 料理を旨そうに頬張る口元から焼き魚の尾がはみ出たままもごもごと話す胡鞠を、剛羅は諦めたのか食事を続けるよう促した。


「噂とは、あれか? 浅川の当主が病に伏しているという……」


 食事に夢中になる胡鞠の横で、淡々と箸を進めながら千鶴が答えた。


 浅川とは、神々廻の始祖達が存命だった頃に起きたとされる大戦の後、遥か北東に城を築き人の世を治めた将軍家の家名である。その将軍家の当主が病に倒れ、民衆の前に姿を現さなくなったというのだ。その影響か治世は乱れ、城下町は浪人や盗人で溢れ返っているという。


 悪い噂とは飛躍するものだ。実は将軍はすでに暗殺されていて、何者かがが成り代わっているのではなどという憶測まで流れる始末。それは任務で辺境に赴く神々廻の隊士達の耳にも入るほどだった。


「ああそうだ。都の上空は暗雲で覆われ、まさに混沌時代の再来とまで言われているらしい。それと関係あるかは知らんが……お前らが辺境の村に赴いてから妖魔共がおとなしいのも、何かどでかい事が起きる前兆のような気がしてならねえ」


 剛羅は重い声色でそう締め括ると、再び酒をがぶがぶと喉に通す。


「下界の治世に興味はないが……あの日、私が一戦交えた妖魔も不吉なことを言っていた」


「こいつが不覚をとった相手か。なんて言ったか、れん……なんたらとかいう」


 剛羅が口元に運んでいた酒瓶を下ろし胡鞠の方へ視線を向けると、苦い思い出がよぎったのか、栗鼠りすのように膨れた頬で顔をしかめた。


六妖りくようの一柱、塵旋じんせんの鎌嚇。奴はそう名乗っていた。正直、夜叉の血を解放していなかったら私も切り刻まれていたかもしれない。それほどに奴の力は強大だった」


 夜叉の血という言葉に、剛羅は一瞬表情を強張らせた。


「六妖ってのはあれか、大昔に暴れ回った六体の化け物のことだろう? そんな奴が相手なら仕方ねえが……分かってよな?」


「ああ、無論だ。だが以前より力が体に馴染んでいる気がする。……安心しろ、一線を越えるような真似はしないさ」


「……だといいんだけどよ」


 剛羅はどこかすがるような声色で呟いた。


「——奴は私達を全員殺すと言っていた。奴だけでそんな大それたことをするとは思えない。……裏に必ず糸を引いている者がいるはずだ」


 そう言う千鶴の表情は険しい。まだ見ぬ敵の存在信じて疑わない目だ。その様子に、剛羅も酒を口に運ぶ手を休め、息を呑む。


「ぷは〜! ごちそうさま!! ちょっとちょっと、暗いよ千鶴様! あの時は油断したけど、今度会ったらもう許さないんだから! 必ずあたしがやっつける!!」


「ふふ、そうだな。ぜひそうしてもらいたいものだ」


 千鶴は自信に満ち溢れた表情で宣言する胡鞠の口元についた米粒を拭ってやると、からかうように言う。


 なんてことない日常の風景だ。こうしていると、外の事情など忘れてしまいそうになる。それに、いかなる強敵が襲来しようが、どれだけ下界が乱れようが関係ない。私が刃を振う理由は、今も昔も、そしてこれからも変わらないのだから。脳裏に浮かぶのは、いつだって最愛の姉の姿だ。


「——私はもう行く」


「え? どこに……って、ああ。もうそんな時間だったね。あ、そうだ!」


 胡鞠はおもむろに席を立った千鶴の行き先に心当たりがあるのか大して追求しなかったが、突然思い出したように呼び止めた。


「千鶴様、鋼月こうげつとむいむいの分のお弁当、持っていってあげてよ。あの二人、また食事も取らないでいるみたいだからさ」


「なぜ私がそんなことを……。早くしないと——」


「いいじゃんいいじゃん! どうせ通り道でしょ? じゃ、よろしくね〜」


「……今回だけだぞ」


 押し切られた千鶴はため息を吐きそう言うと、二人が座る席を離れる。そして厨房で忙しなく動き回る給仕から握り飯が包まれた二人分の竹皮を受け取り、食堂の暖簾を潜っていった。

 


「——……あのお転婆姫が俺達と肩を並べるようになってから、もう四年か」


 千鶴の背中を黙って見送っていた剛羅が、不意に口を開いた。


「なに哀愁漂わせてんの、気持ち悪っ」


 胡鞠が容赦ない辛辣な言葉を浴びせると、剛羅は「お前な……」と顔をしかめた。千鶴とは随分と扱いが違う。


「お前は怖くねえのか」


「はぁ? そんなわけないでしょ。千鶴様はあたし達の家族だもん。……まさかあんた、今になって疑ってるの?」


「そうじゃねえよ。千鶴のことはとっくの昔に認めてる。実際、うちの連中もあいつに救われたこともあるしな」


「……じゃあ、何が言いたいのさ」


 胡鞠の問いに、剛羅は少し間を置いて答える。


「——俺は純粋に、千鶴の力が怖い。仲間として、家族として認めてねえどうこうの問題じゃねえ。夜叉として刃を振っている時のあいつの目は、まるで鬼だ。いつ誰に牙を向くかわからねえ……稀にそんな衝動に駆られる俺自身が、情けなくなっちまう」


「……ばっかじゃないの」


 俯き、真剣な面持ちで語る剛羅を胡鞠は両断した。


「夜叉だろうとなんだろうと、千鶴様は千鶴様。それ以上でも以下でもない。少なくともあたしは、妹みたいに大切に思ってる」


「……ふっ、そうかよ。いいなあ、お前は脳天気で」


「筋肉達磨に言われたくないんだけど」


「だぁれが筋肉達磨だ! ——しかしまあ……難儀なもんだ。他に選択肢がなかったとはいえ、千景様も酷な決断をなさったもんだ。最悪の事態にならねえといいが」


「そうならないために、あたし達がいるんでしょ! ……あたし達が弱かったら、千鶴様は絶対無理をする。だから、もっと強くならないと! 千鶴様が夜叉の血に頼らなくてもいいように。——あたしは絶対に嫌だよ。その……今さら


「……そう願う人間なんざ、少なくとも懐刃おれたちの中にはいねえさ。頭領やつに限っては、何考えてんのかさっぱりだがなあ」


 悲痛に顔を歪める胡鞠を見て、剛羅は穏やかに言った。


「うん……そうだね」


 普段から罵倒し合う二人だが、目の奥は笑っている。幾度となく共に死線を潜り抜けてきた戦友でもあり、家族以上の絆で結ばれている。それは千鶴においても同様だが、二人は彼女が神々廻の家を追われ、懐刃の一員に加わった遠い過去に想いを寄せていた。


 それは四年前、千鶴が忌み子として恐れられるきっかけとなったと同時に、彼女の生き方が決まってしまった出来事でもあった。




「——ところで、ずっと気になってたんだけどよ」


「な、なに、改まって。まだ何かあるの?」


 唐突に神妙な顔つきで口を開いた剛羅に、胡鞠は思わず身構えた。心なしか、頬が赤らんで見える。


「お前……ほとんど魚しか食わねえってのに、なんでそこまで脂肪がつくんだ? 米か? 米の量が問題なのか?」


 食い気味に問いただす剛羅の視線は、正面に座る胡鞠の顔ではなく豊満な谷間が覗く胸元を凝視している。


「……」


 真面目な話かと思い身構えた自分が馬鹿らしくなり、胡鞠は黙って俯く。


「さてはお前、裏では肉ばかり食ってるんだろう? 鎌嚇とやらに負わされた傷も、その分厚い脂肪のおかげで致命傷にならずに済んだってわけか! そのためにつけた脂肪だとしたら合点がいく! 意外と考えてるじゃねえか、だっはっは!!」


 胡鞠の心中などつゆ知らず、その様子を見た剛羅は見当違いも甚だしい憶測を大声で披露した挙句、大口を開けて笑い始めた。


 胡鞠は俯き、黙ったままわなわなと震えている。卓上に載せられた彼女の握り拳に力がこもっていく様子見て周囲の隊士達は何かを察したのか、二人から距離をとり始めた。


 この剛羅という男、聡明かつ武勇に優れた豪血ともいうべき人材だが、一つだけ致命的な欠点があった。


「——この……!」


 それは膂力や体格といった身体的な要因でもなければ、判断力や知識など頭脳的なものでもない。


「あ? なんだ? 食いすぎて腹でも壊したか?」


 ——ただ、絶望的なまでに女心というものが理解できない。


「この……!! 脳筋変態だるまあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 

 背後から響く胡鞠の怒号と剛羅の野太い悲鳴に主の足元を歩いていた柘榴はつい振り返ったが、千鶴はいつものことだといった様子で澄まし顔を貫いている。


 今となっては、千鶴に明確な敵意を示す者はほとんどいない。少なくとも、この集落においては。


 忌み子と畏れられた少女は、里を脅かす妖魔を討つ護り刀となった。


 千鶴は胡鞠と歩いてきた道を引き返しながら、時折声をかけてくる住民と一言交わしていく。


「——急ごう、柘榴。姉様と会えなくなってしまう」


 そう言うと、柘榴を肩に乗せ、弁当を届けるべく二人の同胞の元へと急いだ。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る