幕間

贖罪の一族

 龍幻郷ろうげんきょう


 いつしか、それがこの世界の呼び名となった。


 その起源は遥か太古の時代まで遡る。


 どこからともなく全能の力を有した龍が舞い降りると、それぞれ異なる特性を秘めた五つの分身へとその身を分かち、一つの大陸に姿を変えた——というのが通説である。


 その景観たるや、まるで龍の魅せる幻の如く。


 満開の緋桜ひおうと紅葉によって彩られた霊峰、瘴気が蔓延し草木の育たぬ死の渓谷、天上を黒雲に覆われ絶えず雷鳴響く湿原。雄大な龍幻ろうげんの地は伽話とぎばなしの世界でもあるかのように様々な表情を見せ、数多あまたの生命が生を謳歌する。


 その全ては、龍幻の大地に秘められた生命力の恩恵によるものだ。


 人間ひとや動物の体内に血液が流れているように、龍幻郷の大地にも“龍脈りゅうみゃく”と呼ばれる生命力の流れが存在する。それは全ての生命いのちの源。大地から溢れる生命力によって地上の生物は生き、成長を遂げ、時には全く異なる存在へと姿を変える。


 特に、龍脈を流れる膨大な生命力が溢れる場所である“龍穴りゅうけつ”が周囲に及ばす影響は凄まじい。穴といっても、実際に空洞が存在するわけではない。龍脈もそうだが、可視化されたものでなく只人には見ることも、感じることもできない。そして、そこから噴き出る生命力は龍により分断された五つの分身、『五龍ごりゅう』の力が色濃く宿るとされ、周囲の生物や環境は独自の進化と変化を遂げたのだ。


 それは人間ひととて例外ではなかった。


 全能の龍——すなわち“全龍”が有したとされる、生命における『誕生』、『変容』、そして『終焉』の力。俗世と隔絶された太府山たいふざんと呼ばれる霊峰に住まい、龍穴の影響によりそれら原初の力を授かった人間達は、こう名乗った。


 大地にめぐめぐる龍神の力をその身に宿した存在、『神々廻ししば一族』と。



 ——それは遥か遠い記憶、約二百年前のことだ。

 

 人が世の支配者でなかった時代、それは魔が跋扈し血と闘争のみが存在する、まさに暗黒の時代であった。


 混沌とした世に太平をもたらすべく天下統一を掲げた小国同士は小競り合いを繰り返し、その一方で古くから存在するあやかし達は己の力を誇示するように、人間ひとを滅ぼしながらも異形同士で覇権をかけ争っていた。まさに弱肉強食、そして人魔入り混じった闘争の犠牲となったのは力なき民草だ。大陸全土には屍山血河しざんけつがが築かれ、人界は飢餓と病、憎悪と慟哭どうこくで溢れ返っていた。


 誰もが人の世の終焉と悟り、絶望していたのだ。


 一方で、自分たちの持つ力の強大さを理解していた神々廻の者達は人の世に与えてしまう影響を恐れ、俗世と隔絶された生活を送っていた。だが、そんな見るに堪えない下界の惨状を嘆き、ついに手を差し伸べた。


 当主の男は力を一族の者達に分け与え、妖魔に対抗し得るだけの戦力を築いた。


 その伴侶であり、巫女姫と呼ばれていた女は人同士の争いを諭して治め、傷付いた者達を癒し、魔を退け封じてみせた。


 そして、当主の男には強い絆で結ばれた弟がいた。

 その男は、一騎当千の猛者であった。故に“夜叉”と呼ばれ、その一太刀はあらゆる命を断ち切り、次々と地上に蔓延る妖魔を滅していった。


 予期せぬ勢力の働きかけにより、地上にうごめいていた妖魔は次第にその数を減らし、鳴りを顰めるようになった。絶えることのなかった小国同士の争いも、人の世に統治者が現れたことにより鎮静した。


 異形の影が薄らぎ、人同士の争いが無くなったことで虐げられていた人々は尊厳を取り戻していった。陰の気が充満していた地上に、希望の陽光が差したのだ。


 神々廻一族の助力により、永遠に続くかに思われた混沌とした時代は終焉を迎え、人の世には平穏が訪れた。



 だが、所詮この世は諸行無常。ようやく訪れた平穏は長くは続かなかった。


 陽光は次第に陰りをみせ、あらゆるものは流転する。


 憐れみの心で人の世に手を差し伸べた神々廻の当主は、私欲に溺れた。


 只人のなんと醜く、矮小なことか。


 なぜこのような者達に尽くさねばならないのか。


 指先で潰せば死ぬ程度の羽虫のような存在に、なぜ寄り添わねばならないのか。


 弱肉強食こそが龍神の定めた自然の摂理。弱きものは淘汰され、強きものが頂点に君臨する。


 我こそ、全てを平伏させ、支配するに相応しい。


 歪んだ思想に支配された男は、かつて敵対した妖魔を従え人の世を滅ぼさんとした。


 だが一族全てがその思想に染まったわけではなかった。


 巫女姫は当主の弟、他の異能を宿した者達と結託しそれを阻止、自らの命と引き換えに当主の霊魂を霊峰の一角である霊山に封印することに成功する。


 平穏を脅かされた只人の統治者は憤慨した。そして、神々廻に当主の霊魂を未来永劫封印し続けることをその子孫に至るまで誓わせ、霊峰に留まり二度と俗世に関与しないことを約束させた。


 だが、事態は収束しなかった。当主の霊魂が封印された霊山は常に陰の気を発するようになり、周辺の妖魔を呼び寄せる性質を帯びてしまったのだ。


 巫女姫が残した結界により直接の侵入は防いでいたが、周辺を彷徨く妖魔による被害はどうすることもできない。残された当主の弟が一人刃を振い、里に近づく妖魔を滅していたが、次第に人間らしさを失い、ついには同胞に手をかける狂人へと変わり果ててしまった。


 修羅と成り果てた男はその首をはねられ、その後神々廻家は当主の霊魂を封印し続けてきた。しかし、血は抗えない。修羅となった男の無念が宿ったかのように、幾世代にも渡って里の屈強な男に発現するようになってしまった。それは夜叉の力と名付けられ、力を奮い続けるうちに自我を失うことから不吉の象徴、里に災厄をもたらす存在と畏怖いふされるようになっていった。


 

 そして、神々廻には代々言い伝えられてきた予言がある。


 いつのものか、誰によるものなのかは定かではない。


 だが、一族の未来を案じるかのような戒めは、一人の無垢な少女を修羅の道へといざなう呪いとなった。


『巫女の血脈より女人にょにんの夜叉生まれづる時、それすなわ龍幻ろうげんの終焉なり————』


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