【KAC20216】目が覚めるとよくわからないことになっていた

木沢 真流

おい、起きろ

 ……だからお前はどこまで行ったかって聞いてんだよ。


 そんなセリフに私は、はっとしてからこう答えた。


「ええ、確かにそれは難しい問題です。今も色々考えてはいるんですが」


 何を言ってるんだ、私は。そもそもどこまでって何のことだ? まるでに包まれたような私の頭は、何とか時間を稼ごうと必死になっていた。

 目の前には人一人が使える程度のカウンター。そしてそのカウンターに腕を組み、こちらのまるで脳みその中まで覗きこもうとしているかのようながその上にどっしりと構える。

 ——誰だ、というより何だ、こいつは。

 その机の上に佇むそれは、人というより存在と言った方がしっくりくる。ゆらゆらとゆらめく陽炎。本物のそれと違いがあるとすれば色が白い。白い炎とでも言えばいいのか。そしておそらく顔があるはずの位置に浮かぶ二つの黒い丸。それがじっとこちらをまるで刺すように覗き込む。今まで経験したことのない威圧感だった。


「今までも十分時間が与えただろう、さあ言え。お前は今どこだ?」


 私は居眠りでもしていたのだろうか? 今の状況が全くわからない。どうしてここにいるのか、なぜここまで詰問されるのか。そして何を聞かれているのかさえ。私は焦りで手の感覚が無くなってきた。


「すいません、あの……少し動転してしまって。もう一度だけ質問を教えてもらえないでしょうか」


 質問次第では命を取られるかもしれない、なぜか心の奥で人間としての本能がアラームを鳴らしていた。怒られるのは承知だ、だが質問がわからない以上答えることもできない。

 私のその質問に、はしばらくゆらゆらとしながら静止すると、まるで呆れたようにふんぞり返った。


「まったくお前は、これだから。まあいいだろう、しっかり聞け」


 私はつばをごくりと飲み干すと、大きく頷いた。


「お前が進むべき道には3段階ある。1段階目が『私』つまりお前、2段階目が『読者』、3段階目が『仲間たち』だ。そのどこに今お前はいるのかって聞いている」


 なるほど。質問は分かった。

 分かったが——何だそれ。私と読者と仲間たち? 共通点が全く見出せない。読者というからには何かの書籍だろうか。そして私とあるからには私は作者を指すのかもしれない。では仲間たちとは?


「お前、まさか時間が無限にあるとでも思っているのではあるまいな」


 がゆっくりとその影を大きくし始めた。下手するとそのまま私を飲み込んでしまいそうだった。


「いえ、大丈夫です。思い出しました。大事な質問ですので、しっかり答えたいのです。それでは答えます」


 その言葉を聞いて少し満足げな目つきを見せると、徐々に元の大きさに戻った。そしてカウンターで腕を組む。私は一つ、息を吐いた。


「どうやら残念ながら第一段階の『私』のままのようです」


 大風呂敷を広げて失敗するよりは謙虚な1段階目を。私はここに賭けた。

 

「ということはお前は自分の事しか考えてないということじゃないか」


 じゃないか、この語尾でどうやら私は失敗してしまったことが分かった。決していい印象は持たれていない。


「自分の事しか考えない、それは自己満足だろうが。そんなものここカクヨムに放流する意味はない。自分のノートにでも書いておけ! 違うだろ? あれだけやってきたんだ、正直に言ってみろ」


 大丈夫だ、まだチャンスはある。挽回の余地はまだ残されている。


「申し訳ございません、もう一度じっくり考えてみました。2段階目の『読者』には到達していると思われます」


 どうだ? 良くわからないが、1段階目よりは良いだろう。

 存在はしばらくじっとしながら、うーん、と唸り声のような音を響かせた。


「なるほど。どんな風に?」

「どんな風に?」


 と言いかけて、思わず私は口を塞いだ。質問を質問で返す、最もやってはいけない問答じゃないか。もうチャンスは無いかもしれない、そんな喉元がつまるような感覚に襲われた私に、存在は声をかけた。


「『読者』のことを考えているんだろ? だったら読者にどう喜んでもらえるかとか、読者の立場になって書いているんだろ? どんなことに注意して小説を書いているのか、って聞いている」


 よし、いくつかヒントが出たぞ。小説を書くときに、読者を思ってどんなことに注意をすればいいのか、今回は具体的な返事ができそうだ。


「はい、やはり一番はわかりやすく、かと思います。どんな名作も伝わらなければ意味がありません」


 私はどこかの雑誌に書いてあった言葉をそのまま使った。おそらく間違いはないだろう。心臓の鼓動が幾分緩やかになったのを感じた、呼吸も少し楽になった。存在はカウンターの上で、しばらく腕を組んだままゆらゆらしていた。


「で、どんな風に?」


 終わりじゃなかったのか、確かあの雑誌に書いてあった続きは何だっただろうか……。


「ええ、例えば自分が書きたいシーンがあったとします。しかしそれはどうやっても小説にはそぐわない事もあります、セリフ、癖、シーンなどです。その時は思い切ってそれらを諦めることも肝要です。名前で言うと、自分がイメージした主人公たちの名前が似ている場合、例えば颯太と翔太。このように響きが似ているキャラは読者は混乱するリスクがあります。よっぽどうまく書く自信が無ければ、響きや文字数を変えた方が良い、つまり颯太と進次郎、といった風に。これらが自己中心的な書き方から読者を意識した書き方へ変えた、という事になると私は考えます」


 よし、なんかそれっぽくまとめたぞ。これなら大丈夫だろう。ほら、存在も少しゆらゆらが落ち着いてきた。少し満足げだ。


「ほう、なかなかやるな。では3段階目に到達するつもりはないのか?」


 私は勢いに乗り、胸を張った。


「いえ、可能であればチャレンジしたいと考えています」

「だろうよ。ではどのように『仲間たち』を意識するのだ?」


 仲間達? 何だそれは。今までの流れだと、自分本位の創作ではなくて、読者を意識する。その延長上にある仲間とは? 


「ええ、仲間は大事です。それがわからなければ生きている意味がありませんから」


 ゆらゆらが止まった。そして今まで見たことがない速度で細かく震え始めた。それはまるで巨大な火山が噴火を起こす直前のように。


「バカか! お前は。寝ぼけてんのか! 『仲間たち』って言ったら、出版社のことだろうが! 読者を意識する書籍を書けるようになったら、それが一般に通用するかどうか公募してみるのが流れだろうが。その際にお前が書きたいものもあるだろうけど、一番は出版社が何を望んでいるかを考えなきゃだめだってあれほどいっただろうが! このバカタレが!」


 存在はみるみるうちに大きくなり始めた。


「お前はな、『世にも奇妙な物語』のような話が好きで創作もしているし、今も見ているようだな。だが時代は変わったんだよ! あの頃は『世にも——』は毎週3話ゴールデンで放送されていた、昼には『あなたの知らない世界』というオカルトのコーナーが毎日あった。芸能界は宜保愛子が霊能力で世間を騒がせた、あの頃はそういう時代だったんだよ。だが今はどうだ? 少し前はタイムリープだったり、今はSNSとかが流行りだろ、出版社は何で賞にお金を出す? お前へのお駄賃か? 違うだろ、それが商売になってpayがあるから金を出すんだよ、売れる本を求めてるんだよ、わかるか? そこを考えないと……」


 噴煙のようにみるみる大きくなるその存在にあと数秒で私は飲み込まれそうになった。その瞬間、不思議と私の頭の中のもやがすっきりと晴れるのを感じた。そして、さらりとこんなセリフがこぼれでた。


「それは分かります。でも私は自分が書きたいものを書けなくなるくらいだったら創作を止めます。小説家で生きていこうと思っている人には申し訳ないですが、わたしは好きだから書くんです。世の中と求めているものに可能な限り近づける努力はします、でも本質が歪むようなら私は受賞なんか要りません。3段階目は確かに魅力的です、しかしそれより2段階目、自分の作品を喜んでくれる一人一人の読者が大事じゃないですか。そしてさらに突き詰めれば、1段階目の『私』が書きたい、と思う気持ち。これが最も大事だと思いますけど」


 もう飲み込まれても良い、最後にこの言葉だけは吐きたかった。力強い魂を込めて、この言葉でぶんなぐってやりたかった。そして私は縮こまり、力強く目を閉じる。

 どれほど時間が経っただろうか。

 しばらくしてゆっくりと目を開けると、そこには誰もいなかった。カウンターだけがひっそりとそこにまるで誰かに忘れられたかのように置いてあった。どうやら乗り切ったようだ。それにしてもさっきのは何だったんだろう? 大見得を切って色々言ってしまったが、やはり書かない限りは何事もダメなんだろうと思った。色々考えて嫌いになるくらいなら、自己中心的でも良い、書き続けることが大事なんだろうな、とぼんやりと私は考えていた。

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