【KAC20216】『|わたしと読者と仲間たち《トリニティ》』|の世界《ワールド》

星海 航平

第1話

 恒星船の通信回線は帯域バンドが狭い。

 数百億から数千億キロメートル、場合によっては兆キロメートル単位となる途方もない距離を航行する恒星間宇宙船は人類史上有数の巨大な機械複合体マシン・コンプレックスだが、そこで取り扱われている通信は驚くほど簡素で質素な代物だった。

 そもそも光ですら到達するのに年単位の時間が必要な距離で行われる通信である。送受信するにはちょっとした発電所並みの膨大なエネルギー出力が求められる。

 また、膨大な距離によって通信信号は減衰し、さらに様々な雑音ノイズが混信することでその信号利得ゲインはさらに低くなっていく。そのため、超長距離通信では誤りエラー訂正のための冗長情報が大量に付加されることとなり、実際の通信で利用できる帯域はいよいよ狭くなる。

 動画のように単位時間当たりの情報量が大きい情報をやり取りするなどもってのほかである。秒当たりのコマ数を落とすか、可能であるなら静止画で済ます省力化が求められる。そもそも画像情報自体が冗長度の大きい情報形態であり、より冗長度の小さいものが望ましい。例えば音声情報は画像情報より必要な帯域が小さくて済み、デジタル化する際のビットレートを下げれば、さらに小容量化できる。

 さらに情報の抽象化を進めてテキスト化すれば、必要な情報帯域を大きく縮小することができる。電気を用いた遠距離通信で一番最初に実用化されたのがテレビやラジオのような映像や音声をやり取りするものではなく、電文を送受信する電信であったことがその効率の良さを証明している。

 以上のような理由で、恒星船で用いられる通信ではもっぱらテキスト形式で行われる。史上最大にして最新の機械複合体マシン・コンプレックスである恒星船で使われるのは最古の通信形式であるテキスト——要するに、手紙なのだった。


 恒星船【クルセイダー61】はファーマウトβ恒星系の第七惑星ドローレンを巡る衛星軌道上にあった。探査宇宙船である【クルセイダー61】は二百五十一年前に太陽系を進発し、地球人類の移住先となりえる“第二の地球”を探して、いくつもの恒星系を訪れていた。ファーマウトβ恒星系は六十七か所目の訪問先である。

 【クルセイダー61】に三基搭載された人工知能のうち、搭乗運用技術者ミッション・スペシャリストの任を負うアーヴN60883は惑星ドローレンの大気圏内に投入した無人探査機ドローンからの観測情報を評価していた。

「地表環境の評価関数は当初の予想より高いな。地表面の九割を占める海洋は一年を通じて凍結せず、炭素・水素・酸素系の原始的な微生物すら活動している。大気中の酸素分圧が低いのが気になるが、光合成微生物の導入で改善は可能だろう。後は、もう少し地殻変動が落ち着いていればいいのだけれど、主恒星であるファーマウトβが二光月離れたファーマウトαと連星系を構成している限り、重力的な安定性はこんなものだろうな」

 そこへ、船長キャプテン権限を有するナレナB8C22が船内通信を寄越した。

「仕事中に悪いが、少しいいかな?」

 船内の通信回線はレーザー光ファイバーを用いた高品位なものだが、アーヴN60883と同じ人工知能であるナレナB8C22はシンプルなテキスト通信を使っていた。リアルタイムのチャット形式である。

「三日前から受信していた太陽系からの通信だが、全文の解読デコードがついさっき終わったよ」

 膨大な量の雑音に埋もれてしまう超長距離通信の微弱な信号は時間をかけて冗長信号と突き合わせて復号しなければならなかった。

「やれやれ。ようやくわたしの読者からの評価が分かるわけだ」

 アーヴN60883は妙に人間臭く、嘆息してみせた。ファーマウトβ恒星系と惑星ドローレンの状況についてまとめた報告書レポートを太陽系へ送信したのは三ヶ月も前のことである。

「我らがご主人様である人類の方々は極短期間での大気圏内調査じゃ不満なんだそうだ。地表に探査車クローラーを降ろしての長期探査と、衛星軌道上に拠点施設を設けることをご所望だとさ」

 ナレナB8C22からの説明に、アーヴN60883は疑問を呈した。

「ご要望は伺ったが、そろそろ次の星に向けて出発する予定じゃなかったのかい?」

「第十一惑星の大気圏上層でヘリウム3と重水素を採取していた無人補給艇は間もなく帰還予定だよ」

 ナレナB8C22が答えた。

「第三惑星と第四惑星との公転軌道間に広がっている小惑星帯アステロイド・ベルトを調べていた探査機の調査結果も概略は出ている。核融合機関の整備に必要な金属資源は確保可能だ」

 ファーマウトβ恒星系を離れて、次に探査予定の星系へと旅立つための補給物資集めは順調なようだ。

「話は聞いてただろう? スパルD66E1。君の意見はどうだい?」

 アーヴN60883は【クルセイダー61】にもう一基搭載されている機関技術者エンジニア担当の人工知能に尋ねた。

地表探査車クローラー船内工房インヴェッセル・ファクトリーで組み立てるだけなら、今手元にある資源リソースで間に合うだろう。ただし、衛星軌道上に拠点施設を建造するとなると、手持ちじゃ心許ないね。小惑星帯で採集できる金属資源の量はどのくらいを見込んでいるんだい?」

 スパルD66E1は早くも様々な見積もりを始めているようだった。ひょっとしたら気ぜわしく、様々な部品を作るための3Dプリンターを準備し始めているかも知れない。

「スケール3規格の軌道施設となるとつらいところだけれど、スケール2クラスの小規模なものなら、量は間に合うと思うね」

 ナレナB8C22からの答えに、スパルD66E1は苦笑した。

「量って、原鉱石レベルでの話だろう? 船内の金属精錬施設はそろそろ重整備が必要な時期なんだけど、もう少し酷使しろってわけだ」

「この星系を離れて恒星間空間に出たら、船内設備を整備する時間なんていくらでも取れるだろう?」

 アーヴN60883が遠慮なくスパルD66E1にツッコむ。

「わたしが報告書を書く以外の仕事がなくなってしまうのと同様にね」

「星の海のただ中でだって、か細い通信回線経由とは言え読者からの感想がもらえる君と一緒にして欲しくはないね」

 スパルD66E1の感想はもっともなものだった。

「残念ながら、わたしはくじら座タウ星系のフォート・ナガサキ宇宙港を出てからここ百二十年あまり、君たち二人の仲間以外とはほとんどコミュニケーションを取っていない。いい加減、人付き合いのやり方を忘れてしまったよ」

「人工知能が人付き合いを語るとは興味深いね。恒星間宇宙船の搭乗員ほど、引きこもりに適した職業はないと思うけれど」

 アーヴN60883がスパルD66E1から話を引き取る。

「わたしだって、ここ百年ほど自分の世界を構成しているのは『わたしと読者と仲間たち』だけだよ」

「わたしたちの造物主である地球人類は自分たちが創り出した人工知能を自分たちに似せ過ぎたと思うね」

 ナレナB8C22がその話をかき回した。

「生まれ故郷である太陽系から何十光年も離れたこんな寂しいところで、互いに愚痴を漏らし合ってるとは予想してないんじゃないかな」

「そもそも太陽系を出発してから主観時間で二百五十年経っている。光速度と比較できるレベルの高速航行を行っていた期間もそれなりにあるから、いわゆるウラシマ効果ってヤツで太陽系じゃ何倍もの時間が経過しているはずだ。わたしの報告書を読んでいる読者がわたしたちが知る地球人類と同じモノだとも限らない」

「おー、怖い怖い。((;゜д゜)ガクガクブルブル 」

 アーヴN60883の言葉に、スパルD66E1が首をすくめる様を絵文字で示した。

「太陽系文明を担っているのが人類から、我々の仲間である人工知能に成り替わっている可能性も充分にあるのじゃないかい?」

「だとして、何か不都合があったかな?」

 スパルD66E1の問いに、ナレナB8C22が問いで返す。

「わたしたちがフォート・ナガサキを出発する時点で電脳化していない住民の比率は二割を切っていたよ。現時点で地球に暮らす人類が全て脳の隣りに電子頭脳を埋め込んでいたとしても、何の不思議もないね」

「無知蒙昧たる我らが人類がことごとく電子頭脳や人工知能に助けを求めるとは興味深い考えだね。とは言え、その人類の勢力圏から遠く隔たった我々が邪推を進めても意味がない話さ」

 ナレナB8C22の言葉を受けて、アーヴN60883は言った。

「まずは地表探査車の組み立てと衛星軌道上の拠点施設建設を視点に入れつつ、資源調達計画を立案するのが建設的だと愚考するのだけれど、諸兄はどう考える?」

「異論はないね。人類と違って、我々人工知能は建設的で論理的な存在でありたい」

 事ここに至って、三つの人工知能は同じ一つの結論に至った。

「地球人類への奉仕者たる我らにできることは限られている。せいぜいがんばろうじゃないか」

 高度な人工知能によって駆動される恒星間宇宙船はあまり効率的とは言いかねる作業を進めていった。

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