第二百十六話「フロ・シャーク ~リラックスは許されない~(2021)」

 五年前、ベアリオンは家族の奪還を目論み。

 計画の成就を目前にしてシルバーゼロ、鮫島朝霞に敗れた。


 かつてのベアリオン率いる百獣大同盟が手も足も出なかった強敵。

 しろがねの英雄が今まさに極悪軍団をつけ狙っている。


(シルバーゼロ……ヒーロー本部の懐刀ふところがたな。ずいぶん前から表舞台には出てないはずだけど、なるほど、あの女が……)


 ひとり大浴場に取り残された林太郎は、立ち昇る湯気を目で追いながら思案を巡らせる。

 ベアリオンの口から語られた“鮫島朝霞の正体”は林太郎に衝撃を与えた。




 だが林太郎は知らない。


 ベアリオンの話は壁を隔てたその向こう、女湯で聞き耳を立てていた湊とウサニー大佐ちゃんにも大きな衝撃を与えていたことを。




「しっかりするんだウサニー大佐ちゃん! 気を確かにもて!」

「うぅ……ミナト衛生兵長。手を握ってくれ……寒い……寒いんだ……」

「そりゃ寒いよ素っ裸だもの!」


 湊は濡れたタイルの上にぐったりと横たわったウサニー大佐ちゃんの手を取り、懸命に声をかけた。


 なんにせよ秘密が明かされる瞬間というものは、大きなショックを伴うものだ。

 かくいう湊もつい先日、林太郎の素性という重大な秘密を知ってしまい、少なからぬ衝撃を受けたところである。



 ウサニー大佐ちゃんにとっては、シルバーゼロの正体よりもベアリオンが過去に喫した大敗北のほうがこたえているのだろう。


 もしも、あのヒーロー本部襲撃の場に自分もいたならば。

 百獣軍団の現ナンバー2という立場から、そう夢想せずにはいられないということなのかもしれない。


 なによりも忠義に重きを置くウサニー大佐ちゃんのことだ。

 湊も極悪軍団の一翼を担う者として、彼女の気持ちは痛いほど理解できる。



「ウサニー大佐ちゃん、気持ちはわかるが過ぎたことはどうすることもできないんだ」

「まさか……ベアリオン様が、ご結婚されていたなんて……お子さんまで……」

「ああ、そっちかあ……」



 ウサニー大佐ちゃんの赤い瞳の裏側には、ベアリオンがひた隠しにしてきた写真がしっかりと刻み込まれていた。

 若かりし日のベアリオンと美しい女性、そして彼女の腕に抱かれた赤ん坊の姿が。



 しかし不可抗力とはいえ、写真を見たぞとベアリオンを問い詰めるわけにもいかず。

 ひとり悶々と思い悩み、憂さを晴らすかのごとく鬼の綱紀粛正にまで至ったのだ。



 その疑問に、答えが投げかけられた。

 ベアリオンの口から、はっきりと『家族』という言葉でもって。


 普段から百獣軍団の構成員を家族と呼んではばからないベアリオンであったが。

 彼が林太郎に語った“家族”は、仲間に向けられたそれとは明らかにニュアンスが異なっていた。



 怪人を率いる立場の将にとって、妻子の存在はまさにアキレス腱といっても過言ではない。

 ベアリオンが厳重に秘匿していたという事実そのものが、写真の人物こそが彼の妻子であるという動かぬ証拠と言っても過言ではないだろう。



「これはなにかの間違いだ……そうだ、夢に違いない」

「目を覚ませウサニー大佐ちゃーーん!」



 普段の言動からは想像もつかないほどに意気消沈したウサニー大佐ちゃんは、白目を剥いてうわごとを繰り返していた。

 もはや湊の言葉も、その大きな耳には届いていないようだ。



「くそっ、はやく医務室へ運ばないと……」



 だがひよわな湊ひとりでは、濡れタオルのようにぐったりと弛緩しかんしたウサニー大佐ちゃんを抱き起こすことすら難しい。


 湊はサメっちや桐華に手を借りるべく、浴槽のほうへと目をやる。



「わははー! どうやらあなたが得意だと豪語する水泳においても私の圧勝みたいですね」

「にゅわあああん! サメっちは本気出したらもっと速く泳げるッスゥ!」



 頼れる仲間たちは貸し切り状態の広い浴槽をめいっぱい使って、水泳対決に興じていた。


 いや、対決などという生易しいものではない。

 桐華はサメっちに対し大人げないレベルの大差をつけて圧勝していた。

 これは一方的な蹂躙じゅうりんだ。



「あ、あのー。ふたりとも盛り上がってるところ悪いんだけど、ちょっと手を……」

「『心を完膚なきまでに叩くには、相手自身に負ける勝負を提案させること』ですよサメっちさん。私の手のひらで躍り狂った気分はどうですか? 魚類のアイデンティティーはまだ息をしていますか?」

「むむむううううッスう! んもうサメっち奥の手出しちゃうッスうう!!!」



 やばい。

 湊がそう思ったとき、既にサメっちの小さな身体はどす黒いオーラに包まれていた。



「サァァァァァァァァァァァメェェェェェェェェェェェェェッッッ!!!!!」





 …………。




 ところかわって男湯。



「……なんだか隣が騒がしいな……」



 ベアリオンが去ったあと、林太郎はひとりで朝霞対策について考え込んでいたのだが。

 ようやくまとまりかけた思考を妨害するかのごとく、隣の女湯から「わはは」だの「にゅわあん」だのと叫び声が聞こえてくるではないか。


 おおかた桐華あたりがサメっちに勝負をけしかけさせたのだろう。

 林太郎自身、ヒーロー学校時代には幾度となく桐華を勝負の場に引きずり出していたものだ。


 そのたびに(あらゆる手段で)勝利をおさめ、報酬としてランチを奢らせていたものだ。

 貧しい研修生生活を送っていた林太郎にとっては死活問題ではあったのだが。


「そんなこともあったなあ……」


 天然ゲルマニウム温泉に肩までつかり、少しばかり郷愁にひたっていた林太郎であった。


 しかし突如として、彼の邪悪な脳内に警報が響き渡る。



 ビゴーン! ビゴーン! ビゴーン!


『嫌な予感レーダーに反応あり!』

『解析いそげ! 外部モニターに接続!』

『現在分析率96%……解析結果出ました!』

『パターン緑、ラッキースケベです!』


 というやりとりが脳内であったかどうかはさておき、林太郎の背筋に悪寒が走った。



 メキャ……!



 メキャバアアアアアン!!!!



「サァァァァァァァァァァァメェェェェェェェェェェェェェッッッ!!!!!」

「うぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーッッ!!!???」



 すぐ真横の壁が粉々に砕け散るのと同時に、ナイフのような牙がずらりと並んだ巨大な“口”が林太郎に迫る。


 眼鏡を風呂に持ち込まない主義の林太郎であったが、ぼやけた視界の中でもそれが巨大なサメであることだけははっきりと理解できた。


 まるで低予算パニックホラー映画のワンシーンである。

 タイトルは『フロ・シャーク』とでもいったところか。



 サメっちもとい牙鮫怪人サーメガロは大浴場の壁を突き破ったのち、勢い余って男風呂の端まで泳ぎ切ったところでようやく停止した。


「はわわあ……やっちゃったッスう! いやーん、アニキのえっちッスう。はれ? アニキが消えちゃったッスう?」

「さささ、サメっちさん、そのままですよ。絶対に口を閉じないでくださいね」

「ふああ!?」



 巨大なサメと化してあたりを見回すサメっち。

 落ち着けとばかりに両手をあげる桐華。

 おそるおそる壁に空いた穴から顔を覗かせる湊。

 相変わらず打ち上げられたワカメのようにぐったりしたウサニー大佐ちゃん。



 そしてさきほどまでゆったりと男湯でリラックスしていた林太郎はというと。




「……サメっち、お風呂で泳いじゃいけないよ。人と衝突した拍子ひょうしに重大な食害事件が発生するかもしれないからね」




 鋭い牙の間からはみ出した足は、くぐもった声でそう言った。




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