第二百十五話「シルバーゼロ」

 彼女はただひとり、庁舎に殺到する怪人たちの前に立ちはだかる。


 ヒーロー本部が誇る絶対防衛線、対怪人の最終兵器。

 現役ヒーローの最高峰、エースの称号を背負って。


「シルバーゼロ、公務を執行します」


 他のヒーローたちがことごとく潰走する中、銀色のヒーロースーツを身にまとった女はことも無げにそう呟いた。





 “銀”


 それはヒーローたちにとって特別なパーソナルカラーである。

 ヒーローには識別標識としておおよその役割に応じた色が割り振られる。


 チームリーダーを示す赤、サブリーダーの青、切り込み隊長の黄。

 分析や医療を担当するピンク、そして補欠要因バックアップの緑など。



 だがパーソナルカラーには特例中の特例として“銀”が存在する。


 戦闘、技術、分析、その全てを極めて高い水準で有し。

 単騎でも怪人組織を殲滅するに足る実力があると認められた戦士。


 彼ら彼女らだけに許された識別色、それが銀だ。


 全国に約五万人いるヒーローたちの中でも、現役で銀の着用を許されているヒーローは片手で数えるほどにも満たないという。




 その“銀”が、ヒーロー本部最後の砦として、百獣大同盟の前に立ちはだかる。




「みんな気をつけるニャン! あいつただものじゃないニャンぞ!」

「ビビってんじゃねえブヒ、たったひとりじゃねえかブヒィ」

「そうだパオン。それになんだかあんまり強くなさそうだパオン。細切れにしてハンバーグにしてやるパオォン」

「ゲゲゲーッ! ぶっ殺してやるエリマキトカゲーッ!」



 彼女ひとりに対し、怪人軍団は三百体を超える陣容である。


 それも十把一絡じっぱひとからげのザコ戦闘員たちではない。

 怪人の中でも特に屈強な部類に入る獣系怪人の群れだ。


 彼女が狂人でないとすれば、彼我ひがの戦力差を把握できないということもないだろう。

 しかし無数の狂気を前にして、シルバーゼロには微塵みじんあせりもみられなかった。



 よほど太いきもの持ち主か、正真正銘の馬鹿か。


 あるいは。



 にわかには考えられないことではあるが、この劣勢下においても揺るがぬ自信を抱いているのか。



「はっ、しゃらくせえ! 邪魔するってんなら押し通らせてもらうぜ! このチータイガー様が一番槍だ!」



 最初に飛び出したのは百獣大同盟いちのスピードを誇る優男、駿足怪人チータイガーであった。

 その名の通りチーターの怪人である彼の脚力は凄まじく、ひとたび大地を蹴ろうものならば二秒とかからず時速180キロにまで達する。



「悪く思うなよお嬢ちゃん! オレが勝ったらデートしようぜ!」



 目視はおろか反応することすら不可能な神速の爪が、銀のスーツを一瞬でズタズタに引き裂いた。




 ――かに見えた――。




 攻撃開始からわずか三秒でシルバーゼロの背後に立ったチータイガーは、振り向きざまにウインクを決める。


「ふぅ、ついつい切り裂いちまったぜ。オレの愛、人間にゃあちと速すぎたかい?」

「鎮圧完了。次の対象へ移行します」

「……へっ? あ、あれ……? オレ……ひょっとして、やられてね……?」



 次の瞬間、チータイガーの全身から鮮血が噴き出した。


 いったいいつ攻撃を受けたのか、やられたチータイガー本人にすら理解できないほどの早業であった。

 ただひとつわかることは、自慢の脚のみならず胸や背中から甘い顔にいたるまで、幾筋もの裂傷に覆われているということだけだ。


 対するシルバーゼロのスーツはというと、かすり傷ひとつついておらず新品同然の輝きを放っているではないか。


 つまるところ百獣大同盟が誇る最速の攻撃は完全にいなされたばかりか、逆にそれを上回る速度で反撃された。

 そうとしか説明のつかない状況が、怪人たちの目の前で繰り広げられたのだ。




 銀色の戦士はチータイガーに一瞥いちべつをくれることもなく、静かに呼吸を整えた。

 わずかに腰を落とし、右の手刀を前に突き出し、左手は軽く腰に添える。



「複数対象の士気低下を確認。公務を続行します」



 多くのヒーローが最新鋭の武器を振りかざす昨今において、数多の怪人を相手に徒手空拳で挑むなど狂気の沙汰ではない。


 だが古武術にも似た独特の構えは、美しくも禍々しい冷気を放っていた。

 まるで本当にこの場にいる全ての怪人を、たったひとりで殲滅してしまえるのではないかというほどに。



「えっ、ええいなにをひるんでいるニャンか! 相手はひとりニャンぞ、囲んでボッコボコのボココしてやるニャン!」

「「「ガオオオオオオオォォォォォッッッ!!!」」」



 参謀官ニャンゾの号令で、何十体もの怪人が呼吸を合わせてシルバーゼロに襲い掛かる。

 個々の強さのみならず、この優れた連携力こそ獣系怪人たちが誇る“群れ”の強さである。


 鋭い爪が、恐ろしい牙が、ねじれた角が、太い尾が。

 全方位から同時にシルバーゼロを狙う。


 避けることも受けることも不可能な、群れによる一斉攻撃であった。

 大仰な登場を期した白銀の戦士の命運は、誰の目にも尽きたかのように映ったことだろう。



「なおも敵性活動を認める。以降は現場判断にて対処します」



 無数の爪が振り下ろされる、その瞬間。


 シルバーゼロは姿勢を低く保ち、短く息を吸い込むと。

 流れる水のように静かな足運びで、爪と爪の間に生じたわずかな隙間を難なくすり抜ける。


「ニャン……だと……?」

「ば、ばかなブヒィ……」

「パォ……ン……」

「……エリマ、キ……トカ……」


 襲い掛かった怪人たちが白目を剥いて倒れ伏したのは、まったくの同時であった。

 怪人たちは、自分がなにをされたのか誰ひとり理解できなかったことだろう。


 速い、だがそれだけではない。


 不可思議なまでに人間離れしたシルバーゼロとの戦いに、百獣大同盟の怪人たちは仲間たちと顔を合わせながら息を呑む。

 いったい誰ならば、あの化け物のように強いヒーローと渡りあえるのか。


 怪人たちの視線は、自然とひとりの男の大きな背中に注がれていった。



「なるほどなあ、やっぱり部下どもじゃあ手に余るってかあ!

「最重要鎮圧対象を視認。優先的に排除します」

「ガハハハハ! 簡単に言ってくれるじゃあねえかよお! いいぜえ、だったらオレサマが直々に相手をしてやろるぜえ!」



 百獣大同盟を率いる大頭目、百獣怪人ベアリオン。

 数の暴力も通じないとなれば、もはやこの場においてシルバーゼロを止められるのはこの大親分をおいて他にいない。


 怪人たちの期待を一身に背負った関東の覇王は、正体不明のヒーロー・シルバーゼロと真っ向からぶつかり合った。


 そしてオレサマは必殺の百獣の王ヒャクジューキングラリアットでシルバーゼロを一撃でブッ倒し、ヒーロー本部を壊滅させてみごと晴香を救い出したとさあ。


 めでたしい、めでたしい。




 …………。




「いやちょっと待ってくださいよベアリオン将軍。今の流れで勝てます? どうみても負けイベントなんですけど」

「ガハハハハ! バレたかあ!」


 唐突な百獣大同盟の大勝利に、黙って聞いていた林太郎が思わずツッコミを入れる。

 ベアリオンは大浴場の湯を豪快にすくい上げ、顔にばっしゃばっしゃと浴びながら悪びれもせずに笑った。



「……負けたのさあ。そりゃあもう手も足も出ねえほどになあ」



 ひとしきり笑いきると、ベアリオンは真剣な目で波立つ水面を睨みつけながらそう言った。


「この顔の傷はよお、そん時につけられたんだぜえ。オレサマがやられたってんでパニックに陥った百獣大同盟は壊滅。命からがら逃げおおせて地下に潜伏しているところを、ドラギウスの爺さんに拾われて今に至るってわけだあ」


 熊のように大きな体の中で、悔恨が怒りとなって渦を巻いているのがわかる。

 ガハハと笑う陽気な熊さんからの唐突な変貌ぶりに、隣で無防備に裸体を晒している林太郎は息を呑むのを忘れるほどであった。



「どうだあ? つまんねえ話だろう?」



 自嘲的な笑みを浮かべるベアリオンであったが、その口ぶりにいつもの豪快さはない。


「兄弟よお。お前がちょっかい出そうとしてるのは、そういう女だあ」


 ベアリオンはざぶざぶと湯船をかき分けると、隣ではなく林太郎と正面から向き合った。


 大きな傷が刻まれたその顔は、けして過去の失敗を笑い話にしようというものではない。

 仲間として、家族として、林太郎の身を真剣に案じる兄弟の顔であった。



「ってことはまさか、そのバカ強いシルバーゼロってのは……」

「おうよ。そいつが鮫島朝霞だあ。覗きが趣味のいけすかねえ野郎タガラックに頭を下げてまで調べさせたんだあ。間違いねえ」

「……なにかの冗談でしょう?」

「ガハハハハ! オレサマが兄弟に嘘をつく理由があるかあ?」



 鮫島朝霞、サメっちの姉。

 何度か顔を合わせた林太郎の目からは、どう見てもそれほどの実力者には見えなかった。


 しかしベアリオンは彼女こそが百獣大同盟をたったひとりで蹴散らした英雄『シルバーゼロ』だという。



 考えてみれば、合点のいく話であった。


 初代ヒーロー・アカジャスティス、守國一鉄ほどの男がただのキャリアを補佐官に置くだろうか。

 長官補佐官という経歴だけで、東京本部直属部隊の司令官を任されるものだろうか。

 なんの実績もない者が、あの若さでコネもなく参謀本部長の席につけるだろうか。



 特別な『銀』のパーソナルカラーを持つ英雄。

 ヒーロー本部が誇る絶対的エース。


 それが、かつてヒーロー本部に所属していた林太郎はおろか、妹のサメっちすら知らない鮫島朝霞という女の正体であった。



「ひとつ言えるのは、やつにはどういうわけか“こっちの攻撃が一切当たらねえ”ってことだあ。せいぜい気をつけろよ兄弟。オレサマは先にあがらせてもらうぜえ」



 そう言うとベアリオンは、乱暴に湯船をかきわけた。


 風呂からあがるのと同時に、身体をぶるんぶるんと震わせて毛先についたお湯を弾き飛ばす。

 まるで川に落ちたあとのヒグマのようで、どこか可愛らしさを感じるほどだ。


 だが湯気のむこうに見える切り立った断崖のような背中には、顔と同じく無数の古傷が刻まれている。

 林太郎はそんなベアリオンの傷だらけの背にむかって、もうひとつ気になっている質問を投げかけた。



「ところで気になってたんですけど」

「ああん? なんだあ?」

「何度も話に出てきた晴香さんってのは誰なんです?」



 踏み入った問いかけだったかもしれない。

 ぴくりとかたまった大きな後ろ姿が、林太郎の目には一瞬巨大な岩のように思えた。




「晴香は、オレサマの『家族』だ、文字通りのなあ」




 ベアリオンは振り向かずに短く答えると、そのまま浴場をあとにした。





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