第二百十七話「ヴィレッジ計画」

 東京湾から南へおよそ300キロ、八丈島沖。


 霧の立ち込める海上にその“村”はあった。

 海面から生えたごちゃごちゃとした支柱の上に、剥き出しの鉄骨とコンクリートの構造物が立ち並ぶ。


 ここは海洋資源調査の名目で二十年以上前に建造された洋上プラットフォームである。


 本来の用途で使われなくなって久しいこの場所は現在、国家公安委員会が所有する実験施設となっていた。



 ――海上怪人収容施設、通称『ヴィレッジ』――。



 本来駆逐対象となる怪人たちに、疑似的な社会生活を送らせることを目的としたディストピアだ。

 これにより怪人から得られる利益を人間社会に還元し、怪人の地位向上と怪人権じんけんを保護しようという狙いがある。



 少なくとも、表向きはそういうことになっている。





 …………。




 プラットフォーム最上段に設けられたヘリポートに、真っ赤な高速ヘリが降下する。

 羽田支部所属・垂直離着陸戦隊アパッチファイブの乗機だ。


 彼らのヘリは怪人たちとの空中戦のみならず、VIPの移送にも使われる。



「風が強いから気をつけてくださいね朝霞さん!」

「問題ありません」


 スライドドアを開けて降り立ったのは、真っ赤な半袖シャツに七分丈ズボンというおおよそVIPには見えない男。

 そして彼とは対照的にネクタイをキッチリとしめたキャリアウーマンであった。



 男のほうはヒーロー本部長官代理・暮内くれない烈人れっと

 そして女のほうは同作戦参謀本部長・鮫島さめじま朝霞あさかである。



「おああ!? 突風で俺のビクトリー変身チェンジギアがああ!!」



 ヘリポートの上をころころと転がる変身ギアを追いかける烈人を尻目に、朝霞は出迎えの職員と言葉を交わす。


「本部長自らわざわざのご視察、ご足労をおかけいたします。……ええと」

「どうかされましたか?」

「……その、長官もいらっしゃるとは伺っていなかったものでして」


 初老の職員が苦々しい愛想笑いを浮かべながらちらりと視線を送る。

 その先では烈人がヘリポートの端に、いまにも落ちそうな体勢でしがみついていた。



「ひぃぃぃ落ちるゥゥゥ! 助けてェェェ朝霞さァァァん!」



 朝霞は小さく溜め息をつくと職員に向き直る。


「事前連絡が漏れた点については今後改めるよう通達を出しておきます」

「いえいえそんな。ただその、少々変わった方ですな……。あの……お助けしなくてもよろしいので?」

「彼のことは気にしないでください。それより早速ですが案内をお願いします」

「えええ……」



 いいのかなと思いつつ、職員は朝霞に促されるがままに先へと進む。

 結局自力でヘリポートの縁をよじ登った烈人は、朝霞たちの背中にダッシュで追いついた。



「いやあー、なかなか手に汗握るピンチだったよ朝霞さん!」

「そうですか」

「ところでここなに? なんの施設?」

「そんなことも知らずについてきたんですか?」


 壁や配管を興味深そうにぺたぺた触りながら歩く烈人に、朝霞は“ヴィレッジ”の簡単な説明をする。



「つまりここは、ヒーロー本部の管理下において、怪人が怪人として生命を脅かされることなく共同生活を営むための施設です」

「なるほど! ここなら朝霞さんも冴夜さやちゃんと一緒に暮らせますね! さあ仲直りしましょう、いますぐ!」



 妹の名に、朝霞の眉がぴくりと動いた。

 先の一件においてデスグリーンに拷問じみた脅迫を行った朝霞は、妹の冴夜……サメっちとは絶賛喧嘩中である。


 このところ烈人は、顔を合わせるたびにこの話題ばかり振ってくるのであった。



ヴィレッジは国が主導する計画のひとつです。個人の事情とは関係ありません」

「んもう、どうしてそんなに頑固なんですか! 国の計画だったら家族と仲良くしちゃいけないなんて決まりはないでしょう?」

「あなたはそんなことを言うためについてきたんですか?」



 朝霞は足を止め、不快感を隠すことなく烈人を睨みつける。

 だが烈人はまるで関係ないとばかりに、両手で朝霞の手を握って語り続ける。



「そうです! 喧嘩なんてよくないですよ、ふたりは家族なんだから! ねっ!」

「暮内さん。以前にも言いましたが、怪人は覚醒した時点で人間としての戸籍が抹消されます。法律上、私とサーメガロは姉妹でもなんでもありません」

「もーーーーぅ! 朝霞さんってば意地っ張りなんだから! 姉妹喧嘩は戸籍とか法とかの問題じゃないでしょ!」

「あ、あのぅ……お取込み中のところ大変申し訳ないんですけれども。案内を続けさせてもらってもよろしいですかね……?」

「「よろしくありません!」」


 おそるおそる声をかけた職員は、ふたりの声の大きさに「ヒェッ」と小さく悲鳴を漏らした。

 視察と称して痴話喧嘩を見せられた上に相手は組織の上層部である、気の毒という他ない。


 そんな職員の様子を見て、朝霞は烈人の手を振りほどくとひとつ咳ばらいをする。



「……失礼しました。こちらのことは気にせず続けてください」

「は、はいい……」



 いつの間にやら一行は廊下の突きあたり、大きな扉の前に辿り着いていた。


 職員はなおもビクビクしながら扉のロックを解除する。




 部屋の中では複数のモニターが壁の一面を埋め尽くしていた。

 ただいずれも映し出されているのはヴィレッジ内の様子ではなく、バイタルグラフや施設内の平面地図ばかりだ。



「この赤い点が怪人ですか?」

「ええまあ、はい。この数年間で移送されてきた怪人たちです。およそ120体が集団生活を送っている様子をこの部屋でモニターしています。こうやって個体別にチップを埋め込んでいるんですよ、逃走すればすぐにわかります」



 職員はたどたどしい口調で説明しながら、せっせと汗をぬぐっていた。


 彼が相手にしている長官補佐と作戦参謀本部長といえば、ヒーロー本部の二大トップだ。

 このふたりの前で緊張しないほうが無理というものである。


 朝霞は職員をこれ以上緊張させないよう、なるべく柔らかい口調で尋ねた。



「衛生環境に問題はありませんか?」

「え、ええ、ええ。もちろん、被験体は健康そのものですよ。不満も基準値内に抑制されています。多少体調を崩す個体もいますが、閉鎖空間のストレスによるものです。抑うつ剤を投与しておけばなんの問題もありません」

「先月は怪人の死亡事例が2件報告されていますが」

「そりゃあ怪人だって生き物ですから。事故や病気で死ぬこともありますよ。あとはまあ……ちょっとしたいさかいとか。いずれにせよ、統計上では偶然の範疇はんちゅうです」


 朝霞はパラパラと渡された資料に目を通す。

 どうやらこの職員の言葉に嘘偽りはないようだ。


「怪人たちと直接会って話すことはできますか?」

「ととと、とんでもない! ふれあい動物園じゃないんですよ!? 担当官以外が怪人と接触することはかたく禁じられています」

「そうですか」

「あのぅ……それはそうと、お連れ様はいずこに……?」



 そう言われて朝霞が振り返ると、先ほどまで後ろにいたはずの烈人の姿が忽然こつぜんと消えていた。





 …………。





 そのころ烈人は、だだっぴろい施設の中をあてどもなくさまよい歩いていた。



「うむ! ここはどこだ! わからん!」



 職員の長ったらしい説明がまるで理解できなかった烈人は、モニタールームを抜け出してひとりヴィレッジ内を見てまわっていたのだが。

 老朽化した洋上プラットフォームに度重なる改装が繰り返された“ヴィレッジ”は、まさに鋼鉄の立体迷宮である。


 来た道を見失うのにそう時間はかからなかった。



「しかし朝霞さんは怪人の収容施設だって言ってたけど、中は意外と静かなんだな。防音がしっかりしてるのかな? 家族と暮らすなら悪くない住環境だ、うん!」



 烈人は大きな独り言を漏らしながら、見知らぬ廊下をずんずん進んでいった。


 やがて烈人の前に、モニタールームのものよりもはるかに厳重な鉄の扉が現れる。

 物々しいことに、扉の両サイドには巨大なガトリングガンが設置されていた。



「うおお! なんだこのでかい扉は!? ……ここが出口かな?」



 烈人が扉に触れると扉の上のランプが赤く点灯し、スピーカーから電子音声が流れた。



『警告。ここから先は立ち入り禁止区域です。関係者ならびに長官以外の立ち入りは禁止されています』

「俺は長官だよ! 補佐……えっと、なんとかってついてるけど!」

『バイタル照合中……照合完了。暮内烈人長官代理補佐見習い本人であることを確認しました。ロックを解除しますか?』

「うん、する!」



 ビー! ビー! ビー!



 けたたましい警告音を発しながら、巨大な鉄門扉てつもんぴが開いていく。

 ぽっかりと口を開けた真っ暗な空間から、吹き抜ける冷気が烈人の頬をなでた。



「うーん。あんまり出口っぽくないけど……まあいいか! 歩いてりゃいつかは出られるさ!」



 おどろおどろしい空気などものともせず、烈人は意気揚々と歩みを進める。




 彼が中に入ると、扉は再び重い音を響かせながらぴったりと閉じた。




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