第百四十六話「極悪の系譜」

「無事でなによりだ、サメっち。家出は楽しめたかい?」


 かたわらに桐華と湊という美女ふたりを従え、極悪怪人デスグリーンは最も信頼を置く部下に優しく声をかける。

 しかし物腰こそ穏やかであったがその声に抑揚はなく、つむがれる言葉は飄々ひょうひょうとしていながらもまるで鉄のように重く冷たい。


 見る者に竜を想起させる緑のマスクの下に隠された眼は、いつもながらドロンと澱んでいた。

 全身から機嫌の悪さを隠すことなく漂わせているのは、ビクトレッドがサメっちをかどわかそうとしたからではないだろう。


 深い沼がごとき視線と怒りは、サメっちに注がれていた。

 正確にはサメっちの中に未だ潜むであろう、煉獄怪人ヒノスメラに。


『あかん、あかん、あかーーーん!!! お兄ちゃんブチギレやん!』

「はわわわわ、ヒノちゃんアニキに何したッスかぁ!?」

『後生やサメっち、匿ったって! うちアイツに捕まったらほんまに消されてまう!』

「ヒノちゃん……、……わかったッス! サメっちがなんとかしてみせるッス!」


 子供ながら、サメっちはこの状況がヒノスメラの仕業であることを悟る。

 きっと自分と同じように、ヒノちゃんもなにかをやらかしてアニキを怒らせたに違いない。


 しかしヒノちゃんとサメっちでは、置かれた立場が違う。


 アニキこと栗山林太郎は身内にはとことん甘いが、身内以外には一切容赦しないことをサメっちはよく知っていた。

 ヒノちゃんが言うところの“捕まったら消される”というのは、あながち誇張表現ではないだろう。


『サメっち……堪忍やでぇ……』

「大船に乗ったつもりでいるッスよヒノちゃん。サメっちはこう見えて頭脳派っス! みんなからも自己評価が高いってよく褒められるッス!」

『それは褒められとらんよ……!』


 傍から見るとひとりごとをブツブツ呟いているサメっちを見て、林太郎の推察は確信へと変わった。

 今はどういうわけかサメっちの意識が身体を動かしているようだが、煉獄怪人ヒノスメラはまだサメっちの中にいると。


「様子がおかしいってことに、もう少し早く気づいてやるべきだったな」

「仕方ないと思うぞ、林太郎はずっと絶対安静だったんだから」

「だけど気づけるチャンスは何度もあったはずだ。なぁに、すぐに解放してやるから安心しろ、サメっち……」


 表情や口調こそ冷静を装っていたが、林太郎は己の不甲斐なさに嘆き、憤っていた。


 同時に腹の内で沸々と湧き立つマグマのような憤怒が、サメっちを便利な道具のように扱う煉獄怪人ヒノスメラに対する怒りへと変わっていく。



 林太郎は自身の精神的な動揺をサメっちに悟られないよう、ぐっと奥歯を噛んでしゃがみこんだ。

 サメっちに視線の高さを合わせ、ニタァと苦手な笑顔を作って語りかける。


「サメっち、アニキに隠していることがあるだろう?」

「びくぅッ! サメっちは何も隠してないッスぅ! ひゅぅーーっ、ひゅひゅーーーっ」

「ひとついいことを教えてあげよう。口笛はそんなに万能じゃないんだよサメっち」

「サメっち、ニポンゴ、ワカラナイッス。ハロー、ヤッホー、ストロゥベリーッス」

「今更それは無理があるよサメっち。本当のことを話してごらん、アニキ怒らないから」

「センパイ、それ絶対怒るやつですよ。どう見ても逆効果です」


 話していてもらちが明かないと見るや、桐華はサメっちの両腕を掴むなりにょーんと引っ張り上げた。

 まるでFBIに捕まった宇宙人のように、サメっちの身体が“Y”の形で宙に浮く。


「ふぎゃーーーッスぅ!」

『サメっち! こいつら子供にも容赦なしかいな!』

「誤魔化したところで、もうネタはあがっているんですよサメっちさん。これ以上ヒノスメラをかくまうつもりなら覚悟してください。私はセンパイほど子供に優しくありませんよ」


 桐華の目に一切の冗談はない、元最強のヒーローであるこの少女は、やると言ったらやる。

 林太郎もいたたまれない空気をかもしつつ、しかしサメっちに手を差し伸べはしない。


 彼らに“ヒノちゃん”の存在を知られている以上、サメっちにできることはもはや助命嘆願だけであった。


「わーん! ちゃんとサメっちがヒノちゃんの面倒見るッスぅー!」

「サメっち、ヒノスメラは捨て犬じゃないんだよ」

「エサもちゃんとあげるッス! 散歩も毎日行くッスからぁー!」

「それはサメっちがご飯食べてぶらぶら歩くだけでしょ」


 いつもはサメっちに甘い林太郎も、今日ばかりは心に鬼を宿していた。

 富士山を爆発させたり味方を爆死させようとするような危険人物を、いつまでもサメっちの中に居座らせるつもりはないのだ。


「俺だってこんなことはしたくないさ。でもわかってくれサメっち、そいつヒノスメラはやりすぎた。そしてこれからも、誰に牙を剥くかわからない」

「ぎゃわわーん! ヒノちゃんは誰にも渡さないッスゥ!」

「渡していただく必要はありません。タガラック将軍が言うには、水を大量にぶっかけながら飲ませ続ければヒノスメラは消滅するそうじゃないですか」

「そういうわけだサメっち、俺はサメっちを中世じみた拷問にかけたくはない。抵抗せずに協力してくれないか」


 そう語る林太郎の手に握られているのは、緑色のホースであった。

 ホースの反対側は地下鉄ホームの給水場に接続されており、蛇口のハンドルを握った湊がスタンバイしていた。


「なあ林太郎、本当にやるのか……? なにも今ここでやらなくったって……」

「今は沈静化しているみたいだが、いつまたヒノスメラが覚醒するかわからないからな。よしいいぞ、思いっきりやってくれ湊」

「うぅ……すまないサメっち……もし風邪をひいたらおかゆ作るから許してくれ……」


 湊が蛇口のハンドルをキュキュキュッとひねると、林太郎の手元に向かってホースの中を水が流れる。


 あと数秒もすれば、ホースから放たれた冷たい水がサメっちの全身に降り注ぐ。

 その後はたらふく水を飲まされ、ヒノスメラは跡形もなく消滅するだろう。


『十年ぶりに外に出られたと思うたら、もうしまいか……ははっ……思い残すことだらけやな』


 呆気ない幕切れに、ヒノスメラは自嘲的な笑みをこぼす。


 怪人であることを理由に、正義の名のもと容赦なく自分たちを虐げた人間どもへの復讐も。

 自身の計画を頓挫させ、地下に十年も幽閉したアークドミニオンへの復讐も。


 己の本懐をひとつも果たせないまま終わってしまうのだと。


「いやッスぅ! ヒノちゃん消えちゃダメッスよぅ!」

『たとえ生きとっても、うちには復讐しかあらへん。それは誰とも相容れへん生きかたや。サメっち、あんたとは違う』


 そう、違うのだ。

 仲間たちが、悪の総帥が、ヒーローさえもがサメっちを愛する。


 けして誰にも愛されない自分とは違うのだと、ヒノスメラは思う。



『うちとしたことが、入る器を間違えてしもうたなあ』



 抑え切れない復讐心でドス黒く染まった道をともに歩むには、サメっちはあまりにも眩しすぎる。



「ふぎゃーーーッス! やだやだやだッスぅーーーーー!!」

「おっ、きたきた。それじゃあちょっと冷たいけど、我慢するんだぞサメっち」


 ホースから水があふれ出し、サメっちへと迫る。

 黒い炎の種を消そうと、降り注ぐ。



『サメっち、つまらんことに巻き込んでしもうて堪忍なあ……風邪はひかんようにあったかくして寝るんやで』




 ――だがしかし。



 この期に及んでまだ、往生際の悪い者がいた。

 瞳の中に炎を燃やし、抵抗を試みる者がいた。



「ふぬぬぬぬーーーッス! サメっちの諦めの悪さは、アニキ譲りッスぅぅぅぅぅッッッ!!!!!」

『サメっち!? あんたまさか!?』

「わっ、こらっ! 暴れないでくださいサメっちさん」


 桐華に背後からYの字に吊り上げられているサメっちは、その小さな身体をブランコのようにめいっぱい大きく揺らした。

 サメっちは繋がれたままの手と手をあえて離さず・・・、逆に握り返す。


「その体勢から何ができるっていうんですか」


 桐華に油断があったことは否めない、なにせ相手はあのサメっちである。

 いくら怪人とはいえ、腕力はただの子供のそれである。


 だがサメっちはただの子供ではない。

 どんなときもけして諦めない“悪い子”なのだ。


「アニキなら……こうッス!!」

「なっ……!?」


 サメっちはバランスを崩した桐華のを踏み台にしたかと思うと。

 逆上がりの要領でぽーんとその軽い身体を跳ね上げる。


 それも――手を繋いだまま。


 遠心力に委ねられたサメっちの身体は、桐華の頭上で上下逆さまの逆立ち状態となった。

 サメっちと桐華、ふたりの姿はまるでサーカスの人間タワーである。


「これが水陸両用拳“トビウオの舞”ッスぅぅぅ!!!」


 勢いに乗ったサメっちはようやく桐華の手を解放すると、そのまま地下鉄ホームの低い天井・・を蹴り上げた。

 桐華のつむじ、うなじ、背中を順番に見ながら身体を猫のように一回転させてお尻から着地する。


「ふぎゃんッ!」

「サメっちが飛んだァ!? あっ、やべっ!」

「わぷぷぷぷぷァ!?」


 サメっちが披露したアクションスターばりのスタントに、林太郎は一瞬目を奪われ手元が狂う。

 バンザイをするような恰好になった桐華は、その顔に本来サメっちが浴びるはずであった冷たい水をもろに受けた。


「つつつ、冷たァい! 目がァーーーッ!」


 桐華の背後に落下したサメっちは、ろくに受け身も取れずにコロンと転がる。

 だが次の瞬間には立ち上がり、地下鉄ホームの冷たいタイルを踏みしめていた。


「すまん黛ィ! くそっ! ヒノスメラは本当にヤバいんだって、わかってくれよサメっち!」


 林太郎は未だホースを片手に、サメっちを捕まえようともう片方の手を伸ばす。

 いざとなれば水を頭からかけてしまえば、サメっちの動きは抑えられると踏んでのことだ。


 しかし林太郎とサメっちの間には、上から下までずぶ濡れになって両目を押さえる桐華がいる。


「肉の盾とは卑怯だぞ!」

「あぶぶぶ卑怯だと思うなら止めてくださいセンパがぼぼぼぼ」


 桐華を盾にしながら、サメっちはめいっぱい己の腕を引く。

 素人が野球で全力投球をするときのように、腕をこれでもかと大きく振りかぶると力いっぱい振り抜いた。


「キリカごめんッスゥ!!」


 サメっちの小さな手のひらは、桐華のお尻を光の速さでひっぱたいた。


 ベチーーーンッ!!

 という快音が暗い地下に響き渡る。


「み゛ゃ゛ーーーーーッッッ!!!!!」


 今まで耳にしたことがないような桐華の叫び声が、暗闇に轟く。

 へなへなと桐華が突っ伏した先は正面、林太郎の胸元であった。


 林太郎は一瞬迷ったものの、すぐにホースを放り投げて視界と尊厳を奪われた桐華を抱きとめる。


「すごい音だったぞ、大丈夫か黛!」

「うぅ……センパイ……私のお尻壊れてませんか……?」


 かつて100万通のラブレターを受け取ったという全国区の美少女が、まるでこの世の終わりのような顔をしている。


 一瞬の隙を逃さず、サメっちの小柄な体が林太郎の脇をすり抜けた。


「アニキ隙ありッス!」

「しまった! 湊、サメっちを止めろ!」

「ああ! 絶対に逃がすもんか!」


 おもちゃのミニカーのごとく加速するサメっちの前に、長身の乙女・剣山怪人ソードミナスこと剣持湊が立ちはだかる。


 2メートル近い長身に加え、モデルのように長い手足をほこる湊である。

 サメっちとの身長差たるやゆうに60センチ、まさに巨大な壁であった。


 湊もそれを充分に理解しているのか、両手両足を大きく開いてサメっちの進路をふさごうとする。


「わぁーッ! 身体のどこでもいいから当たってくれよぉーッ!」

「こんなときアニキなら……こうッス!」


 サメっちは林太郎が投げ出したホースの先を走りながら拾い上げると、そのまま湊の長い脚の間に滑り込んだ。


「はれっ!? サメっちが消えた!?」

「ミナトごめんッス!」


 湊の足もと、股の間からサメっちの声がした。

 手にしたホースの先からは未だ冷たい水が勢いよく噴き出している。



 サメっちはそのホースの先端を、湊の腰のベルトを掴んでズボンの中に突っ込んだ。


「あひゅっ! ひょわわわわァーーーッ!!」



 ズボンはおろかパンツの中にまで入ってきた異物がまき散らすのは、水温ひとケタの冷水である。

 湊は未体験の感覚に叫び声をあげ、下半身をびちょびちょに濡らしながら腰を抜かしてへたりこんだ。


 状況すべて、敵の攻撃さえも利用し、悪辣かつ外道な手段で活路を切り開く。

 今のサメっちの姿はまさに、極悪怪人デスグリーンの生き写しであった。


 そしてそのままペタペタと裸足の足音を響かせながら、少女は風のように走り去る。


「待てサメっち! ぐえっ!」


 追いすがろうとした林太郎は、何かに足を取られその場で派手にすっ転んだ。

 それは林太郎が先ほどまで握っていた緑色のホースであった。


 林太郎は己の足首に絡まったホースを見て、うすら寒さを覚える。


 一連の騒ぎの最中に起こった偶然か、それともサメっちが狙って仕組んだのか。

 原因は定かではないがただひとつ、結果だけは確かであった。


「まさか、逃げられるなんて……!」


 所詮サメっちという油断があったのは間違いない。

 しかし極悪軍団一行は、サメっちひとりによって完全に手玉に取られたのだ。


 サメっちの戦いぶりは、誰あろう他ならぬ林太郎を見て学び身に着けたものであった。

 林太郎は知らず知らずのうちに、純粋無垢な怪人ヴィランに大きな影響を与えていたのだ。


「ひぃぃん……私のお尻が……センパイ専用のお尻がァ……」

「うぇぇぇぇん……お漏らしみたいになっちゃったよぉ……もうおうち帰りたいよぉ……」


 林太郎は冷たいタイルに這いつくばるふたりの部下を見て、末恐ろしさと焦りを感じていた。



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