第百四十七話「煉獄より来たりて」

 地上では先ほどまでとは違い、雨足がよりいっそう強くなっていた。

 土砂降りの冷たい雨の中で、ヒーローたちが怪人たちと死闘を繰り広げている。


 だがいくら全国から選び抜かれたヒーローたちとはいえ、今回ばかりは相手が悪かった。


「オレサマたち百獣軍団はもう30人倒したぜえ! どうだザゾーマあ!!」

「火に惑いて翅を焦がすは愚者に非ず。其は光を求めるが故なれば人理すべからく天蚕てんさんに倣い給え。我らは影、我らは闇、漆黒の旋律を奏で光を蹂躙せし純悪なり」

「ザゾーマ様は『我ら奇蟲軍団は31人倒した。クマは大人しくどんぐりでも拾って食っていろ』と仰っています」

「ぬぐうーっ!!」


 百獣将軍ベアリオンは地団太を踏みながら、ぶるるっと身体を震わせて水しぶきを飛ばす。

 雨に濡れた麗人・奇蟲将軍ザゾーマの隣では、従者ミカリッキーが身体を張って水しぶきをガードしていた。


 悪の秘密結社の最高幹部が並び立つなど、古今稀に見る光景であった。


 だが彼らにいいようにさせてたまるかと、背後から赤と青ふたつの影が高速で迫り来る。


「わはははは、ついに隙を見せたな愚か者め! 我は疾風の戦士、レッドハヤテなり!」

「同じくブルーハヤテなり! 大将首もらったァ!」


 細身の剣を片手に、人智を超えた速さで怪人将軍ふたりに駆け寄る疾風の戦士たち。

 彼らの名は疾風はやて戦隊シップウジャー、速さだけならばあの風魔戦隊ニンジャジャンをも上回る。


 常軌を逸したシップウジャーの速さの前では、天から降り注ぐ雨粒など止まっているに等しい。


「ああん? なんだテメエらあ?」

「わはははは遅い遅い! いったいどこを見ておるのだ怪人どもめ!」

「我らの速さ見切れるものか! 食らえい必殺“超高速旋風スラッシュ”!!!」


 彼らの実力は口先だけにあらず、まさに神速の一閃である。

 遠く聴こえる雷鳴さえも置き去りにし、疾風の剣先が剛毛に覆われた肉体に深々と突き刺さった。



 ――かと思われた、しかし――。



「おいおい、どうしたあ! 軽すぎて当たったことにすら気づかなかったぜえ! ガハハハハ!!」

「「バカなぁーーーッ! シップウブレードがぁーーーッ!?」」


 シップウジャーの剣の冴えは確かに鋭い、しかし相手が悪すぎた。

 百獣将軍ベアリオンの鍛え上げられた筋肉の前に、シップウジャーの剣はポッキリと折れてしまった。


 彼の鎧がごとき肉体の前には、そもそも回避など無用の長物なのだ。


 ベアリオンはまるでホコリでもついたかのように折れた剣先を払い落すと、耳まで裂けた口をニイッと吊り上げてみせる。


「コバエどもがブンブンやかましいんだよオラあ!! 百獣の王ヒャクジュー・キングダブルラリアット!!!」


 動揺するシップウジャーのふたりに、丸太のような腕が襲い掛かる。


 振り下ろすような剛腕の一撃をまともに受け、レッドハヤテとブルーハヤテは仲良くアスファルトに叩きつけられた。

 轟音とともに道路の真ん中にできた大きなクレーターが、衝撃の強さを物語る。


「ガハハハハ! これで32人だぜえ!!!」

「獅子の吼えたるは脅嚇に非ず。狗肉の一片を以て我を見よと天地鼓舞せんがためなれば、その餓え充たされざるは必定なり。剣を取り威を示すは強者の務めなれば、天よ地よいざ照覧あれ。我が名は奇蟲将軍ザゾーマ、黒き祝宴の刻は来たれり」


 ザゾーマはその細長い両腕を広げ、場違いなほど穏やかに天を仰ぐ。

 全身に雨の雫を浴び白い頬を伝う雨粒をぺろりと舐めると、まるでマジックショーのように指をパチンと鳴らした。


 同時に空から三つの影が落下し、次々と道路に頭から突き刺さる。


「お見事にございます。さすがは我らが主、奇蟲将軍ザゾーマ様」


 遠目にもカラフルなスーツから、それがジェットパックを背負ったヒーローであるとわかる。

 撃墜されたのは、スカイフィッシュよろしく見えないほどの速さで空中を飛び回っていたシップウジャーの残り三人であった。


「うぐぐげ……ごご……っ!」


 よく見ると、彼らの首筋には目に見えないほど細い針が突き刺さっているではないか。

 彼らはみな毒でも盛られたかのように、白目を剥いて痙攣していた。


「捉えざるは風に同じ、謳い来たれるものなり。見えざるは闇に同じ、潜み驕れるものなり。触れざるは霧に同じ、誘い揺蕩うものなれば。紡ぎ讃えよ、すべからく我が掌中にて狂い踊りルージュの軌跡を描き給え」

「ザゾーマ様は『これで奇蟲軍団は34人だ。詰めが甘い哺乳類はキノコでも掘って貪っていろ』と仰っています」

「ぬがああああああッッッ!!!」



 百獣軍団と奇蟲軍団は、まるでモグラたたきのようにヒーローを倒してはスコアを競っていた。


 彼らが与えられた任務は、奇しくもヒーロー本部と同じく“ヒノスメラの逃亡阻止”である。

 だが同じ目的ながら、出会ったからには戦わざるをえないのが怪人とヒーローの宿命なのだ。


 此度の作戦を立案した林太郎とタガラックにとって、それは想定の範囲内であった。




 …………。




『案の定や……わんさかおるなあ』

「ダメッスね。今地上に出たらオジキたちに見つかっちゃうッス」


 ヒーロー本部とアークドミニオンの激突を、サメっちはマンホールの隙間からこっそり覗いていた。


 長い地下道をとことこ歩いては、こうして何度も地上の様子を偵察しているのだ。

 しかし銀座の街中は今やどこもかしこも、怪人やヒーローであふれていた。


『こりゃ突破は絶望的やね……うちが力出せたら正面突破もできるんやろうけど……』

「だーいじょぶッス! ヒノちゃんはサメっちが守るッスよ、大船に乗ったつもりでいるッス! ……へ、へ、へくちっ!!」


 2月末、未だ寒さ厳しい中で上から下まで濡れねずみでは、いくら健康優良児とはいえ風邪もひく。

 地上で戦う怪人のひとりが、どこからともなく聴こえた小さなくしゃみにウサ耳をピクリと動かした。


「むっ? 今の声はサメっち二等兵か?」

「はわっ!? やばいッス!」


 サメっちはすぐさまマンホールの蓋を閉めると、滑るようにハシゴを降り再び地下道へと戻った。

 凍えるような寒さの中、湿ったパジャマ一枚のサメっちは身体を震わせ鼻水をすする。


「はぶるるる……ずずーっ! むぅん、このまま地下を進むしかなさそうッスね」

『サメっち、無理したらあかんよ。あったこうして休まなもたへんよ』

「温かいおしることか買うッス。……ハッ! お財布がないッスぅぅぅ……!」


 普段はサラリーマンが行き交う地下鉄の駅も、今は避難命令に伴う運休によりほぼ全域が暗闇に閉ざされていた。

 耳をすませば地上の雨の音が微かに聞こえるほど、周囲は静寂に包まれている。


 自動販売機の照明だけが、煌々と虚しく冷たいタイルを照らしていた。

 光とともにわずかながら熱を発する自動販売機を背に、サメっちはぺたりと座り込んだ。


「むぅ、おしるこは我慢するッス。サメっちは我慢ができる大人のレディーッス。安心するッスよヒノちゃん。サメっちがいる限りヒノちゃんを“ホケンジョ送り”にはさせないッス」

『うちは野良犬か! ……まあ似たようなもんやね、捕まったらいわされることには変わらんのやし』

「みんなきっと話せばわかってくれるッスよ。アニキだっていつも“俺は殺しはやらない平和主義者だぁ”って言ってるッスもん」


 ヒノスメラはサメっちの前向きな言葉に押し黙った。


 彼女の悪行の数々は“話せばわかる”で済む一線をとうに超えている。

 己の内側から湧き上がる衝動を抑え切れず、敵はおろか味方にさえも牙を剥いた。


 富士山を爆発させ多くの被害をもたらしたことに留まらず。

 かつての同僚を爆破せしめ、自身の存在に勘づいた林太郎に刃を向け。

 己を幽閉したアークドミニオンを、跡形もなく内部から崩壊させようとしたのだ。


 サメっちが思い描くような、捨て犬を隠れて飼っていたなどとは次元が違う話なのである。


『なあサメっち』

「くしゅんッ! なんッスかヒノちゃん?」

『…………いや、なんでもあらへん……』


 本当のことを伝えるべきかどうか、ヒノスメラは口ごもった。

 己の真っ黒な復讐譚は、無垢な少女を傷つけるだけなのではあるまいか。


 どの道ヒノスメラが力を取り戻せば、サメっちの自我は再び闇へと沈むのだ。

 ならばその時まで騙し通せばいい、わざわざ真実を伝える必要などどこにもない。


 なぜならサメっち中身ヒノスメラにとって利用するだけの存在なのだから。



 ――しかし――。



「ひとりで抱え込むのよくないッス! 悩みごとなら聞くッスよ、サメっちこれでも聞き上手ッス!」

『…………サメっち……』


 ヒノスメラは思う、サメっちはきっと嘘を見抜けないタイプだ。


 きっと彼女の周囲には、嘘を吐く大人がいなかったか。

 あるいは、嘘がとても上手い大人しかいなかったのだろう。


「あっ! 聞きジョーズッス! ジョーズはサメのジョーズッス」

『ふふっ……』

「ヒノちゃん笑ったッスね! むふふん、サメっちは笑いも取れるいい女ッスよ」

『……いや、あずまのお笑いはやっぱりなんもおもろないなぁおもてな』

「わぁん! ひどいッスぅ!」


 嘘も真実も一緒くたに、素直に飲み込んでしまうサメっちに。

 いや、そんなサメっちだからこそ。


 ヒノスメラは一呼吸置くと、静かに。

 サメっちにだけ聞こえる声で語り始めた。



『ヒノちゃんな、ほんまは言わんとこ思とったんやけど……』



 ヒノスメラはその胸の内を余すところなく明かした。



 紡がれる言葉のひとつひとつが、たとえサメっちを傷つけることになっても。

 彼女にだけは聞いておいてほしかった。


 サメっちの家族とも呼べるアークドミニオンに、自分がいったい何をしたのかを。

 煉獄怪人ヒノスメラという、悪しき怪人が背負う業の深さを。


 数えきれないほどの罪を背負い、これからも罪を重ね続けるだろう。

 世の中にはいくら悔いても改められないものがある。


 己でも抑えきれない復讐衝動は、文字通り呪いだ。



『…………』

「…………」



 ヒノスメラが話し終えるまで、サメっちは一言も口を挟むことなく黙って聞いていた。

 全てを吐き出し終えたころ、少女の目からは涙がこぼれていた。


 それはサメっちが流したものか、それともヒノスメラの心から溢れ出たものか、あるいはその両方か。


 サメっちは涙をぬぐうと、ゆっくりとその牙の並ぶ大きな口を開いた。




「それじゃあ“ごめんなさい”しなきゃッスね」




 少女は屈託ない笑顔で、どこまでも真っすぐにそう言った。




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