第百二十九話「“秘密”」

 事件から丸二日が経過し、林太郎の身辺は一応の落ち着きを見せていた。


 というのも、百獣軍団トップ陣を林太郎が『手籠め』にした一件以来、明らかに周囲の者たちの林太郎を見る目が変わったのだ。


 それも林太郎の身体を狙っていなかった者も含め、老若男女問わずである。


「あっ、デスグリーン様! おはおはおはは、おはようございます……ッ!」

「きょきょっ、今日もメガネとか、あとメガネが素敵でございますですわねデスグリーン様!」

「ひえぇっ、ででで、デスグリーン様、どうかこの子の命と貞操だけは……!」

「はわっ、ごめんなさいごめんなさい! ボクは食べてもおいしくないですぅーーッ!!」


 林太郎が基地内を歩くと女は青ざめ、男は尻を隠し、子供は泣き叫び、お年寄りには手を合わせて拝まれた。


 そもそも林太郎を追い掛け回していたのは、そのほとんどが百獣軍団か軍団無所属の女怪人たちであった。

 みんながあまりにも林太郎を追い掛け回すものだから、ついにデスグリーンがキレて彼らの頭目を手にかけたという噂がアークドミニオン中を駆け巡ったのだ。


 ウサニー大佐ちゃんのポンコツ作戦は、ある意味で功を奏したといえた。


 林太郎の心に深い傷を残して。



 自室に戻った林太郎はふかふかのソファで膝を抱えて、ダンゴムシのように転がりながら泣いていた。

 いつもは天敵である桐華が心配になって様子を見に来るほどに、林太郎は憔悴しきっていた。


「ウッ、ウッ……みんなが俺のことを極悪人を見るような目で見てくるよぉ……」

「それはまあ、センパイは極悪人そのものですからね。いいんじゃないですか? 変にたかられるよりひとりのほうが気楽でいいじゃないですか」

「責任の一端はお前にもあることを忘れてやいないかい黛さんや……」

「それはつまり『責任を取ってお前が俺を慰めろ』ということですか? んっ、仕方ないですね……」

「脱ぐなッ! その服にかけた指を1ミリでも動かしてみろ、今度こそ本当に追い出すからな! しくしくしくしく……」


 怒ったり泣いたりとせわしない林太郎であったが、そのいっぽうで桐華の言うことにも一理あると感じていた。


 多くの女怪人たちから肉体関係を迫られるのは極めて危険だ。

 それは肉体的なダメージのみにあらず、林太郎の秘密を知られるという危険性をもはらんでいる。


 現状、林太郎が“人間”であることを知るのはこの桐華と、総帥ドラギウス三世、絡繰将軍タガラックの3名のみだ。

 先日のやり取りから奇蟲将軍ザゾーマも薄々勘づいているようではあったが、今のところ彼からのアプローチはない。


 彼らについては立場もあるので、そう易々と秘密を漏らすようなことはないだろう。

 だが一般の怪人に秘密を知られるとなると話は変わってくる。


「センパイ、私はこう見えてもセンパイの身を真面目に案じているんですよ」


 外しかけていたシャツのボタンを留めながら、桐華はいつになく真剣な顔で林太郎の目を見つめた。


「みなに慕われるのは結構ですが、近くにはべらせるのは控えるべきです。これ以上秘密を知る者が増えれば、いつどこから漏れるかわかりませんよ」

「それは、黛の言う通りだと思うけど……」

「正直に言ってしまえば、センパイはもう少し怪人と距離を置くべきだと思います。今だっていつ正体がバレるかわかったもんじゃないんですから」

「…………だよねえ」


 人の口に戸は立てられぬとはよくいったもので、秘密はそれを知る者が多いほど漏れる危険性が増す。

 これまで林太郎がアークドミニオンの一員として受け入れられてきたのは、秘密を知る者たちの口が堅かったからに他ならない。


「誰しもが私や総帥のように、嘘や隠しごとが得意なわけではないんですよ?」


 桐華の言葉は林太郎の耳に痛いほど響く。


 たとえばサメっちや湊は万が一秘密を知ったところで、けして林太郎と敵対するようなことはしないだろう。

 しかし桐華やドラギウスのように、平然と隠しごとができるようなタイプではない。


 林太郎を慕う彼女たちでさえ、秘密を知られてしまった場合周囲に漏れる危険性はそれなりに高いというのに。

 身体を狙って群がる連中に秘密を知られた日には、結果は火を見るよりも明らかである。



 桐華は本気で林太郎の身を心配し、同時に湧いた疑問に対して首をかしげた。



「そもそもセンパイはどうして“人間”にそこまでこだわるんですか?」



 かつて絡繰将軍タガラックの誘いを断ったとき、林太郎は同じ疑問に直面した。

 そのときはタガラックのことを信用していなかったこともあり、答えをはぐらかしていたが。


 林太郎はしばし目を閉じ心を落ち着かせると、静かに語り始めた。


「……なんでって……そりゃあもちろん、俺は……」


 そこまで言いかけたところで、林太郎は何者かの気配を感じてハッと顔を上げた。

 視線は桐華の肩越しに部屋の入口へと向けられる。


 閉まっていたはずの扉がほんの少し開いており、扉の陰から中の様子を窺っていた小さな瞳と目が合った。


「はわッス……!」

「サメっち……いつからそこに!?」

「あ、アニキ……」


 林太郎と桐華は互いに目を見開き、唖然としたまま固まっていた。


 話を聞かれていたのだろうか、聞かれていたとしたらいったいいつから……?

 疑問と焦燥が林太郎の頭の中をぐるぐると駆け巡る。


(やばいやばいやばい、考えろ考えろ考えろ……)


 林太郎の邪悪な脳は必死に言い訳を考える。

 しかしいつもと比べて随分とぎこちないサメっちを前に、林太郎は頭の中が真っ白になっていくのを感じた。


「サメっち、よかった。目を覚ましたんだな……心配したぞ……」


 からからに乾いた喉からようやく絞り出されたのは、そんな当たりさわりのない台詞であった。

 林太郎はニタァと苦手な笑顔を顔面に張りつけ、サメっちに部屋へ入るよう促す。



 ところが――。



「アニキ……ごめんなさいッスぅ……!」



 今にも泣きだしそうな顔のサメっちは、扉を勢いよくバタンと閉めてしまった。

 同時にタタタッという小さな足音が遠ざかっていく。


「センパイ! 追いましょう!」

「あ、ああ……!」


 桐華の声で我に返った林太郎は、慌てて廊下に飛び出す。


 しかし時既に遅し。


 林太郎たちは長い廊下の先に小さな背中を探したが、サメっちらしき影はどこにも見当たらなかった。



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