第百三十話「すべて無に帰す」

 林太郎と桐華は、逃げたサメっちを追ってアークドミニオン地下秘密基地を駆け回った。


「センパイ、ここは手分けして捜しましょう」

「ああ、頼んだぞ黛!」


 しかしここアークドミニオン地下秘密基地は、広大にして複雑怪奇に入り組んだ現代アートのような迷宮である。

 ひとたび見失った子供ひとりを、たったふたりで見つけ出すのは至難の業であった。


「あっ、デスグリーンさん。そんなに怖い顔してどうしたんでありますかオラウィッ? みんなが怯えているでありますオラウィッ」

「バンチョルフ! サメっちを見なかったか!?」

「いえっ、自分は見てないでありますオラウィッ。……迷子なら一緒に捜しましょうか?」

「…………いや、結構だ。自分の仕事に戻ってくれ」


 己の尻を気にする狼男と別れ、林太郎は来た道を引き返す。


 ことがことだけに、林太郎の秘密を知らない怪人たちの力を借りるわけにはいかない。

 ともすればサメっちを起点に、秘密がアークドミニオン中に知れ渡ってしまう可能性さえある。


 林太郎は一刻も早く、サメっちの身柄を確保せねばならない状況に追い込まれていた。


「仕方ない、この手は使いたくなかったがやむを得ないか……」


 “デスグリーン変身ギア”を取り出した林太郎は、回線をタガデンタワーの最上階、会長室に繋いだ。

 ピッポピッポというコールがしばらく続いたあと、かわいらしい声で「なんじゃい」と短い応答があった。




 …………。




 地下秘密基地の直上にそびえる東京で最も高いビル、タガデンタワー。

 最上階の会長室では、主である絡繰将軍タガラックともうひとり、意外な人物が林太郎を待っていた。


 黒いタキシードをまとい、一見すると大正貴族のような白髪の老人。

 しかしながらその眼光は刃よりも鋭く、土気色の肌からは意地悪そうな白い歯が覗く。


「ドラギウス総帥!?」

「林太郎よ、話はタガラックから聞いておるぞ。らしくないヘマをやらかしたな」

「ええ、油断していました。完全に俺のミスです」

「クックック、責めるつもりはないのである。いずれはこうなると思っておった」


 そう言うとドラギウスは静かに背を向け、大きな窓から東京の街並みを見下ろした。

 表情を曇らせる林太郎に、金髪幼女のタガラックがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら頬をべったりとすり寄せる。


「だーかーらー、わしの言う通り改造手術を受けておけばよかったのじゃー。うっひょひょひょ、なんなら今からでも遅くはないがのーーっ? あばぁーっ!」

「お断りします! 顔が近いんですよ顔が……!」

「んごごごごッ、強情なやつじゃのーっ! もうわし知らんもん! サメっちの居場所も教えてやらんもんね!」

「こっちも一筋縄でいくとは思ってませんよ。はいこれ、例のブツです」


 林太郎は上着の内ポケットから銀色に光り輝く手袋を取り出した。

 先の戦いで小諸戸歌子から奪い取った戦利品、かの百獣軍団を壊滅に追いやった“ハーメルンハンド”である。


「ひょほほーい! おぬしそれそれぇ! そういうのを待っておったんじゃーっ! でへへへへへ……」


 タガラックはダイビングキャッチで林太郎から手袋を奪い取ると、だだっぴろい会長机に工具を広げてさっそく手袋を解体し始めた。

 即物的な上わかりやすいほど利で動いたタガラックは、甘ったるいロリータ声でおっさんのような笑い声を上げながら会長室奥の扉を指さす。


 促されるように林太郎が扉をくぐると、そこは壁一面に基地内のありとあらゆる場所の映像が流れるモニタールームであった。


「フハハハハ、どうであるか? なかなか壮観であろう?」


 林太郎に続いてモニタールームに入ったドラギウスが、自慢げに胸を張る。


「老人ふたりして覗きが趣味とは、年金でパチンコ行ってるほうがまだ可愛げがあるってもんですよ」

「ハァーッハッハッハ、言ってくれるではないか! ところで林太郎、サメっちを見つけたとして、おぬしはどうするつもりであるか?」

「どうするって……」


 ドラギウスの問いかけに、林太郎はしばし押し黙った。


 もし正体を知られていたとしたら、なんと言い訳をするべきだろうか。

 ずっと自分を信じてついてきてくれていたサメっちを、林太郎は3ヶ月も騙し続けていたのだ。


 信じる者に裏切られた年端も行かぬ少女の絶望たるや、想像に難くない。

 彼女は今、怒っているのだろうか、それとも悲しんでいるのだろうか。


 傷ついたサメっちにかける言葉を、林太郎は未だ見つけられずにいた。



「謝ります……その、なんて言えばいいのかはわからないですけど」

「ふむ、及第点であるな。口を封じるとでも言うのかと思っておったぞ」

「……アニキですから」


 そのとき画面いっぱいにとある個室の様子が映し出された。

 鋼鉄製の家具には見覚えがある、ソードミナス・剣持湊の部屋だ。


 灯台もと暗しとはよく言ったものである。

 サメっちはずっと林太郎の隣の部屋に隠れ潜んでいたのだ。


 林太郎は食い入るようにモニターを見つめた。


 ベッドの下で、両手を口でふさぎながらカタカタ震える青いパーカー姿が目に入る。

 この期に及んで秘密を漏らすまいとする姿に、林太郎の目頭が熱くなる。


「サメっち……! サメっちぃぃぃ!!」



 林太郎が居てもたってもいられず部屋を後にしようとした、そのとき。



「ぐぅっ……!」


 背後で聞こえたうめき声に林太郎が振り向くと、顔に脂汗を浮かべたドラギウスが膝をついていた。


「ドラギウス総帥! どうしたんですか!?」

「大馬鹿者め、我輩のことなど捨て置くがよい。今はアニキの本分を果たすのである……ぐああっ!」

「そういうわけにもいかないでしょう! タガラック将軍、来てください! 総帥が!」

「構わぬ……どのみちもう痛み止めでは抑えられぬところまできておるのだ……」


 土気色の肌は見る見るうちに白く染まり、そのしわだらけの顔は苦悶に歪む。

 ドラギウスの尋常ではない様子に、さすがの林太郎も焦りを隠せなかった。


 何故トラブルというものは立て続けに起こるのだろうか。


 騒ぎを聞きつけたタガラックがドラギウスに駆け寄って肩を抱く。


「おいしっかりせんかバカたれ! その痛み、もはや気合いでどうにかなるものではあるまいて!」

「クックック……せめてかっこいい“アニキ”の背を見送るまでは耐えるつもりであったが……うぐぐぐ……」

「タガラック将軍、総帥は……? ひょっとして重い病気なんですか……?」

「ふん、こやつめ強がりだけはいっちょ前じゃからな。すぐに手当てをすればよいものを放っておいたらこのザマじゃ。それより林太郎、おぬしはサメっちを迎えに行け」


 戸惑う林太郎に、タガラックが冷たく言い放つ。

 林太郎は自分でも信じられないほど感情的に、彼女の言葉を否定した。


「行けるわけないでしょう。どう見ても普通の痛がりかたじゃない」

「いいから、ここはわしに任せてさっさと行かんか! こっちはこっちで何とかするわい! おい、この男をつまみ出せ!!」

「うわっ、な、なにを……!?」


 いつの間にか林太郎の両脇に控えていた執事とメイドが、林太郎の肩をがっしりと掴む。

 そしてそのままモニター室を抜け、会長室を飛び出し、地下行きのエレベーターに林太郎を放り込んだ。


 無機質な高速エレベーターによって、林太郎は一気に地下数百メートルへと落とされる。

 最下層に到着した後、林太郎が何度ボタンを押しても、エレベーターはうんともすんとも言わなかった。




 …………。




 林太郎がタガデンタワーの最上階を追い出されてから十数分後。

 医務室に寄って湊に事情を伝え合鍵を受け取ったあと、桐華と合流した林太郎は湊の部屋の前に立っていた。


「黛は誰も入ってこないように部屋の前を固めてくれ。それと、もしまた逃げ出したらすぐに捕まえられるように」

「了解しました、センパイ。何かあったらすぐに呼んでくださいね」

「ああ、わかってる」


 ドラギウスのことは気になるが、ここに至ってはもはや腹をくくるしかない。

 援軍はなく頼れる者は己のみ、あとはサメっちを信じるだけだ。


 部屋の鍵をあけてゆっくりとドアノブを回す。


 少し開いた扉の隙間から明かりが漏れた。

 やはりサメっちはまだ中にいるようだ。


「サメっち、そこにいるんだろう?」


 秘密のこと、サメっちのこと、今後の身の振りかたのこと、それに加えて倒れた総帥のこと、これからの組織のこと。


 頭の中を埋め尽くす色々な問題がこんがらがり、林太郎は自身が精彩を欠いていることを自覚していた。


 それゆえに、ゆっくりと慎重に、声のトーンを落としてベッドへと歩み寄る。


 林太郎がおそるおそるベッドの下を覗き込むと、パーカーフードをすっぽり被って丸くなり、小刻みに震える小さな背中が見えた。


「ごめん、その……なんというか。とにかくごめんよ、サメっち」


 アニキの言葉に、小さな背中がピクリと動いた。

 そしてぐずぐずと鼻水をすする音がベッドの下から聞こえてくる。


 林太郎の心にずきりと、太く大きな棘が刺さる。

 棘にはまるで毒がたっぷり塗られているかのように、林太郎の顔を黒い痛みで染めていく。


「全部アニキが悪かった。今さら許してくれとは言わない、償えることなら何でもするつもりだ」

「……ああ、アニキぃ……」


 しゃくりあげるような、涙まじりの声があがる。

 ベッドの下から絨毯をべとべとに濡らして、少女がゆっくりと這い出てくる。


 少し欠けた月のような大きな目は赤く染まり、大粒の涙をこれでもかとたたえていた。


 林太郎は埃にまみれたサメっちを思わず抱え上げる。

 そしてお気に入りの上着が涙と鼻水で汚れることもいとわず、華奢な身体を力いっぱい抱きしめた。


 それに応えるように、サメっちも細い腕を林太郎の背中に回し、ギュッと指先を握りしめる。


「サメっち……ごめん……! ごめんよ……!」

「アニキは悪くないッス……全部サメっちが悪いッスぅ……!」

「そんなことあるもんか! サメっちは何も悪くない、悪いのはこの俺だ!」


 林太郎は心の中で何度も自分を責めた。

 言い出せなかったとはいえ、自分は卑劣な裏切り者だと。


 そんな自分を、あろうことかサメっちは庇ってくれている。

 心に大きな傷を抱えているにもかかわらず。


「アニキは……サメっちのこと怒らないッスか……?」

「どうして、どうして俺がサメっちを怒らなきゃいけないんだよ」

「だってだって、サメっちアニキと約束したッス。“寝る前にはちゃんと歯を磨く”って……!」




「…………ん?」




 林太郎の頭に疑問符が浮かぶ。

 どうにもさきほどから会話が噛み合わない。




「待ってサメっち、何の話をしているんだい?」

「えぐえぐ……虫歯のことじゃないんッスか?」

「……虫歯?」


 林太郎はサメっち顎を両手でつかむと、口の中を覗き込んだ。

 鋭い牙がずらりと並んだ奥のほうに1本、黒く欠けているものがあった。


 たしかにサメっちはチョコレートを食べかけのまま丸二日寝ていたが。

 たったの二日でここまで進行するなんて、怪人の身体とは不思議なものである。


「サメっちそれで俺から逃げてたの?」

「びえええええんっ! ごめんなさいッスぅぅぅぅッ!!!」


 林太郎は無言でサメっちを抱えて立ち上がると、すぐさま部屋を後にした。

 そして桐華に短く「もう大丈夫」とだけ伝えると、サメっちを医務室へと運び込んだ。


「湊先生、急患だ」

「なんだ林太郎、また来たのか。それにしても今日は急患が多いな」


 白衣の湊はちらりとベッドに目をやる。


 医務室には先客がおり、タキシードを着た老人が半泣きになりながら頬を押さえてうずくまっていた。


「だからアレほど言うたじゃろうが、痛み止めは先延ばしにしかならんと!」

「ほあああああ……痛いのであるぅ……! この世のものとは思えぬ地獄の痛みとはまさにこのことである……!」

「おお林太郎、やはりサメっちも虫歯か? そうじゃろうなあ、虫歯は怪人の天敵じゃからなあ」

「あーそうなんですねー、初耳でしたー。提案なんですが、総帥はしばらくこのままにしておきませんか」



 涙も覚悟も心配も全て徒労に帰した林太郎の心は、一言で表すならば“無”であった。




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