第百二十八話「百獣軍団いちの頭脳」

 黄色い工事現場用のヘルメットをかぶり、サングラスとマスクで顔を隠す男がいた。


 しかし驚くなかれ、ここは粉塵立ち込める工事現場ではなく屋内である。

 もちろん60年代さかんに行われた学生運動の真っ只中でもない。


「カタカタカタカタ……」


 部屋の隅で肩を震わせる男の名は、栗山林太郎、26歳。

 いつどこから襲ってくるかわからない“モテ期命の危機”に怯えていた。


「それでオレサマの部屋に転がり込んできたってわけかあ! 災難だったなあ兄弟!!」

「笑いごとじゃないですよホントに! もうちょっとで男の子を卒業しちゃうところだったんですからね!」

「ガハハハハ! 女遊びもほどほどにしねえとなあ!」

「だからそれも誤解なんですってぇ!」


 もはや自分の部屋すら安息の地になり得ないことを悟った林太郎は、サメっちとともにアークドミニオン地下秘密基地内にある百獣将軍ベアリオンの私室に逃げ込んでいた。


 とんでもなく広い室内には大小さまざまなトレーニング機器が所せましと並べられており、生活空間というよりはまるでジムである。

 だが少なくともここにいる限りは、林太郎の身を狙う女怪人たちが強引に踏み込んでくることはないだろう。


「ごめんなさいッスぅ……」

「いいんだよサメっち。アニキとサメっちの間に、隠しごとなんてないってわかってくれれば」

「アニキィィィィ……!」


 未だヒリヒリと痛む股間を押さえながら、林太郎はしょんぼりと肩を落とすサメっちをフォローした。


 起きてしまった悲劇について後悔しても仕方がない。

 大事なのは悲劇を繰り返さないことだと、林太郎は自分に言い聞かせた。


「それより兄弟、そのチョコの山はどうするんだあ?」


 ベアリオンが部屋の中央に積み上げられた、甘い香りを漂わせる箱たちを指さして尋ねる。

 それらは林太郎が女怪人たちから押し付けられた大量のチョコレートであった。


「そりゃまあ、食べますよ。もったいないですし、食いものに罪はないんで」

「はわわわわ……甘いのがいっぱいッスぅ……チョコたっぷりッスぅ……」


 甘いものの大群を前にして、サメっちはキラキラと目を輝かせていた。

 ただやはり少なからず負い目があるのか、指をくわえながらもチョコの山と林太郎の顔を見比べるばかりであった。


 そんなサメっちを見かねて、林太郎が箱のひとつを手に取り封を切る。


 箱の中には宝石のように色とりどりのチョコが、等間隔で丁寧に並べられていた。

 林太郎はその中からひとつ、特に甘そうなものをつまみ上げてサメっちに手渡す。


「どのみちひとりで食べきれる量じゃないからな。サメっちも食べていいよ」

「いいんッスか!? わーいッスぅ!」

「そのかわり食べたらちゃんと寝る前に歯磨きするんだよ。アニキとの約束だ」

「はーいッス! 約束するッスぅ!」


 サメっちは満面の笑みで、さっそくアニキからもらったチョコを鋭い牙の並んだ口の中に放り込んだ。


「あまぁーいッス! おいしいッスゥー……」


 満面の笑みでチョコを堪能していたサメっちであったが、次の瞬間。


「あま……ウッ! ……ッスヤァ……」

「サメっち? サメっちぃぃぃ!」


 サメっちは突然糸が切れたように、ぼふっと絨毯の上に倒れ込む。

 林太郎が慌ててその小さな身体を抱きかかえると、サメっちは林太郎の腕の中でスヤスヤと寝息を立てていた。


「寝る前に歯磨きしなさいって言ったそばからァ!」

「あー……まあそうなるよなあ。ちょっと待ってろお兄弟」


 ベアリオンは大きなため息をつくと、内線でウサニー大佐ちゃんを呼び出す。

 しばらくすると透明な液体の入った瓶やビーカーを手にしたウサニー大佐ちゃんが部屋に入ってきた。


「おう来たなあウサニー、いっちょ頼むぜえ」

「はっ、これより検疫を行います」


 ウサニー大佐ちゃんはゴム手袋をすると、サメっちの口からこぼれ落ちたチョコの欠片を拾い上げ、ビーカーに充たされた透明な液体に放り込んだ。

 するとチョコが溶けるまでもなく、液体は一瞬でドロリと真っ黒に染まったではないか。


「ふむ、超強力な睡眠薬だな。二日は起きないだろう」

「二日もォ!? おいサメっちしっかりしろよぉ!」

「言っておくがデスグリーン伍長、これはまだ“アタリ”だぞ」


 その後の検査で、林太郎が貰ったほぼすべてのチョコには睡眠薬、神経毒、幻覚剤、精力増強剤、催淫誘発剤のいずれかが入っているということが発覚した。


 安全に食べられると判断されたのは、なんとサメっちと湊にもらったふたつだけである。


「9割以上がハズレとはなあ。モテモテじゃねえかあ兄弟、恐れ入ったぜえ」

「得物を痺れさせてから捕食するのは恋する乙女じゃなくて毒虫どくむしの発想なんですよ」


 物理的な身に迫る危険のみならず、ついには口に入れるものにまで気を遣わねばならなくなるとは。

 常に暗殺の危険にさらされていた中世の悪徳貴族もまっさおである。


 林太郎はサメっちをソファに寝かせると、ふたりの頼れる仲間とともに対策を練ることにした。


「おいウサニー、何かいい案はねえかあ?」

「はっ、それでは恐れながら小官より具申させていただきます」


 ズビッという音が聞こえてきそうなほどキレイな敬礼を決め、ウサニー大佐ちゃんは部屋の隅からホワイトボードを引っ張り出してきた。


 林太郎を襲う者たちと同じ女怪人でありながら、ウサニー大佐ちゃんは浮いた話とはいかにも無縁そうな軍服ウサミミ女子である。

 それに精鋭ぞろいの百獣軍団にあって、作戦立案を任されるほどのキレ者だ。


 彼女の意見は必ずや林太郎を窮地から救ってくれることだろう。

 林太郎は心してウサニー大佐ちゃんの言葉に耳を傾けた。


「まずデスグリーン伍長が狙われる理由でありますが……」


 ウサニー大佐ちゃんは黒いマジックで、ホワイトボードにキュキュッと林太郎の似顔絵を描いた。


 すぐに目つきの悪い5、6発殴られたゾンビのような男の顔が出来上がる。

 鼻の下が異様に長い気がするのだが、手元が狂ったのだろうか。


「はじめに申し上げておきますと、デスグリーン伍長……栗山林太郎という男がモテているわけではありません。彼女たちは極悪軍団長という肩書きに群がっているのであります」


 ウサニー大佐ちゃんの分析は正鵠を射ていると、林太郎は感心した。

 そうでなければ、もっと以前から熱烈なアプローチがあったに違いない。


「それじゃあ他の幹部を差し置いて俺が狙われるのは……?」

「ガハハハハ! そりゃあ兄弟が弱っちく見えるってことだろうよお! もっと肉を食え肉をお!」

「うっ……!」

「このように脇が甘いだけでなく女にも甘い。その上たとえ怒ったところで厳しい処分もしないとなると、周囲からナメられるのも当然であります」


 そう言うとウサニー大佐ちゃんは林太郎の似顔絵の横に『チョロザコナメクジ』と書き込んだ。

 普段から林太郎の言動や流れてくる噂話に鬱憤が溜まっているのかもしれない。


 だが確かに、同じ軍団長でもデリカシーのなさでは他の追随を許さない百獣将軍ベアリオンや。

 驚異的な美形だが何を考えているかまるでわからない上、通訳がいなければ意思の疎通もままならない奇蟲将軍ザゾーマ。

 そして年齢どころか性別不肖の絡繰将軍タガラックなんかと比べると、林太郎は狙いやすくて手ごろなカモに見えるということなのだろう。


 他の軍団長には目もくれず、林太郎がピンポイントで狙われるのも道理だ。


「加えて女と見れば年齢やキャリアを問わず、誰彼構わず手を出すケダモノであると、もっぱらの噂であります。既成事実を作るには好都合だと思われているのでありましょう」


 そう言うとウサニー大佐ちゃんは林太郎の似顔絵の横に『ドスケベヒョウタンゴミムシ』と書き込んだ。

 以前林太郎が思いっきり尻尾を引っ張ったことを未だに根に持っているのかもしれない。


 ウサニー大佐ちゃんは小さく息を吸い込むと、手にした乗馬用の鞭でホワイトボードをペッシィンと叩く。


「これまで彼女たちがおとなしかったのは、デスグリーン伍長の周りには常に特定の相手がいたからに他なりません。つまり、私が何を言いたいかというと……」

「……特定の相手を作れってことか……」


 林太郎は顎に手を当てて難しい顔で考え込む。

 彼の様子をよそに、ウサニー大佐ちゃんは言葉を続ける。


「いえ、デスグリーン伍長は“女に興味がない”とカミングアウトするのがもっとも効果的な作戦であるかと愚考いたします!」

「なるほどなあ、さすがは百獣軍団いちの頭脳だぜえウサニー!」

「はっ、恐縮でありますベアリオン様! 本作戦は既に百獣軍団麾下の者たちに手配済みであります!」

「いや待ちなって君たち、さも名案みたいに言うけれどもさ」


 脳みそまで筋肉で構成されているであろうケモノふたりは、キョトンとした顔で林太郎を見返す。

 そしてふたりそろってまるで何を言っているのかわからない、といった風に首をかしげる。


「何故だデスグリーン伍長。特定のパートナーを作ったところで、破局してしまえばまた元通りではないか。ならばいっそ根から原因を絶つべきではないか?」

「いやもうオチ見えてるんだって! それ今度は男に追い掛け回されるやつじゃないか!」

「はっ……そうか……! 確かに言われてみればその通りだ……くっ、この私としたことが……!」

「まさかこの完璧な作戦によお、こんな落とし穴があるとは予想外だったぜえ……!」


 百獣軍団いちの頭脳は想像以上にポンコツであった。

 林太郎はこのふたりに相談したことを早くも後悔しはじめていた。


「すまないデスグリーン伍長、噂は既に……」

「謝罪はいいからすぐに撤回してくれませんかね」

「ああ、わかった……!」


 あまりのショックに打ちのめされていたウサニー大佐ちゃんが、ヨロヨロと立ち上がる。

 彼女は懐から無線機を取り出すと、オープン回線でアークドミニオン中に向かって呼びかけた。


「総員傾聴! 極悪怪人デスグリーンは“女にとても興味がある”!! けして女に興味がないわけではない!! 繰り返す、デスグリーンは女の体に……」

「ちょっと待ってぇーーーッ! それは新しい誤解を生んじゃうからァーーーッ!!!」

「うわっ、いきなり何をするんだ貴官! やっ、やめろーーーッ!」


 林太郎はウサニー大佐ちゃんに飛び掛かり、慌てて無線機を取り上げた。

 しかし勢い余って取り上げた無線機の角が、あろうことか頭を抱えてうずくまっていたベアリオンのお尻に激突する。


「ギャアアアーーーッ! いてえじゃねえかあ兄弟! オレサマの尻になんてことしやがるんだあ!」

「こらデスグリーン伍長、それ・・はもっと丁寧に扱え! 大事なものなんだぞ、壊れたらどうするんだ! あんまりぞんざいに扱うんじゃない!」

「気遣ってられるかーッ! こちとら男の尊厳がかかってるんだぞ!!」

「おい待て貴官! 回線がまだ繋がって……」



 ブツンッ……!



 オープン回線で垂れ流されていた会話はそこで乱暴に途絶える。

 しかし無線の内容はアークドミニオン地下秘密基地にいた、ほぼすべての怪人が耳にすることとなった。


 極悪怪人デスグリーンがウサニー大佐ちゃんを押し倒し、ついにはベアリオン将軍にまで手を出してぞんざいに扱ったという噂がアークドミニオン中を駆け巡った。


 林太郎はベアリオンの部屋でソファを借りて朝まで泣いた。




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