第百二十三話「悪の怪人、脅迫す」

 満天の星空を模したプラネタリウム、その下で。

 永遠とも思える、ほんのわずかな、長い長い時が流れた。


 暴走していた力が、急速にその制御を取り戻す。

 剣のドレスも、まるで粉雪を散らすようにその肢体からこぼれ落ちていく。


「…………あっ……」


 短い嬌声とともに、水気を帯びた唇が名残惜しそうに赤い糸を引いた。


「……あんまりロマンチックじゃなくて悪いね。王子様の目覚めのキスのはずが、鉄の味になっちまった」

「………………」

「まあ、こんなもの・・・・・で力の暴走が抑えられるならやすいもんだ。暴走したのがベアリオン将軍じゃなくて本当によかったよ」

「………………」



 奇蟲軍団が本来けして外に漏らすことのない極秘中の極秘事項。


 ザゾーマから託された秘薬の正体は“人の生き血”であった。



 人を人ならざる者に変容させる怪人覚醒。

 それはすなわち、人という器からの脱却である。


 ゆえに純粋な人間の血液だけが、怪人の中に眠る“人”を呼び起こす。

 人の血は彼らに、怪“人”としての生きかたを取り戻させるのだ。


 神話や童話に出てくる怪物や妖怪の多くが、時代や場所を問わず示し合わせたかのように生き血や生贄を求めるのも道理である。



「けどちくしょう、体中が痛てぇ……! こりゃしばらくは医者の世話になるしかなさそうだ。是非とも、みな……えーと、ソードミナス先生にお願いしたいところなんだけど」

「…………うん……」


 ソードミナス……湊はボーッとした目で、ただ皮肉屋な林太郎の言葉を聞いていた。

 まだ夢の中にいるような、そんな余韻が湊を優しく包み込む。


 今はまだ、このふたりだけの世界にいさせてほしい。

 そう思いながらあたりを見回し、湊はギョッとした。


「どこだ、ここ……? というか、なんだこれ?」

「剣の王国の玉座ってところだな。それじゃ城も落としたことだし、戦利品のお姫様をいただいて帰ろうか。やってくれソードミナス」

「え? 何を・・?」

「えっ?」


 ゴゴゴゴゴ……という振動とともに、剣のドームが金属音を軋ませながら瓦解し始める。


 今いる場所は剣の山の中腹地点とはいえ、林太郎と湊の頭上には未だ数万トンにも及ぶ刀剣がひしめいている。

 それらが今まさに大崩落を迎えようとしていた。


「ねえちょっと待って、ソードミナスさん。これ君の能力でパッカーンってできやしないのかい、モーセの十戒みたいにさ」

「わわっ……私にそんなことできるわけないだろう! 林太郎は私をなんだと思ってるんだ!?」

「あっはっはっは、面白いジョークだなこいつめぇ」


 林太郎の傷だらけの顔から血の気が引いて、みるみるうちに真っ青になった。

 その顔を見て、湊も次に起こるであろうことを瞬時に理解する。


「「やだーーーッッ!! 死にたくなァーーーーいッッッ!!!!」」


 数千万本にも及ぶ剣が、抱き合い泣き叫ぶふたりの頭上に降り注いだ。




 ………………。



 …………。



 ……。




 気づくとふたりは暗くて狭い空間の中にいた。


 何百もの剣が天幕のように折り重なり、奇跡的にふたりぶんの空間を作り出していたのだ。


「……俺たち、助かったのか……? 実はここは地獄でしたみたいなオチじゃないだろうな?」

「……ああ、もう大丈夫だ……この子たちが守ってくれている」


 湊は自分たちが助かったのは奇跡などではないと確信した。

 剣山怪人ソードミナスから生み出された無数の剣たちが、母を傷つけまいとしてくれているのだ。


 狭い空間を彩る剣の一本に、湊の白い指先がそっと触れる。



「ありがとう、おまえたち……」


 湊は怪人となって初めて、自分の力に感謝の言葉を口にした。



 無尽蔵に剣を生み出す驚異の怪人、剣山怪人ソードミナス。


 怪人として覚醒した日以来、忌み嫌い続けてきた自分の力。

 人助けがしたいという心とは裏腹に、多くの人を傷つけてしまう呪い。


 その有用性に目をつけたヒーロー本部によって、2年にもわたり監禁され。

 毎日のように実験という名の拷問を受け続け、己の呪われた力を恨まなかった日はなかった。


 心の傷が、忌まわしき過去が消えることはけしてない。



 しかしきっと、これからの未来は――。



 湊は隣で寝転がる男の顔に目を向けた。

 傷だらけの男は、いつものようにどんよりと暗い、だけど前に進む者の目をしていた。


「口から血が止まらねえ……手も足も動かねえ……これ救助がくるまでもつかな俺……。なあソードミナス、口内炎の薬とか……」


 スッと、林太郎の唇に細い指が添えられる。


「湊だ。そう呼んでほしい。じゃないと今後一生、私はお前のことをクリリンって呼ぶからな」

「……そいつは卑怯でしょうよ」

「少しぐらい卑怯でもいいだろう? 私は“悪の怪人”だからな」


 そう言うと湊はふふっと笑ってみせる。

 林太郎は観念したように、口角をにぃっと吊り上げた。


「わかった、降参だ、湊。俺を脅迫するとは恐れ入ったよ。まったくとんでもない“悪の怪人”さまだ」


 狭く息苦しい空間の中、林太郎はかろうじて動く左手でお手上げのポーズを取った。

 湊は林太郎の隣に身体を横たえたまま、満足そうにその左手を握る。


 悪の怪人と呼ばれるのも悪いものではない。

 そんなことを思いながら、湊はその大きな手を胸に抱いた。


「林太郎、もうひとつ頼みがあるんだ」

「なんだよまたか? お願いはひとつじゃ足りないって?」

「ああ、足りない」



 湊の心臓の音が、どくんとひときわ大きく響く。



「もう少しだけ、お前の血を分けてくれ」



 林太郎は少しだけ言葉に詰まると、観念したように小さな声で呟いた。



「……ちょっとだけだぞ」

「……うん」




 ………………。




 翌日、アークドミニオン地下秘密基地。


 暗黒密教の聖堂がごとき、闇色の大広間にその老人は座していた。

 老人の名はドラギウス三世、悪の秘密結社アークドミニオンの総帥である。


 此度の騒動に一度たりとも顔を出すことがなかった彼は、部下の三幹部タガラックから顛末の報告を受けていた。

 しかしその土灰色の顔は苦痛に歪み、額にはうっすらと脂汗をかいている。


「さすがは林太郎、我輩の見込んだ男であるな……。ぐっ……ぐぬっ……はぁ、はぁ、はぁ……」

「おーおー我らが総帥様ともあろうもんが、なんちゅう顔しとるんじゃ。ほれ、痛み止めも持ってきてやったぞい」

「手間をかけるのである、タガラックよ……」


 金髪幼女から薬と水の入ったコップを受け取ったドラギウスは、いそいそと薬を口に運び一気に飲み下す。

 彼の腹心であり無二の友でもある幼女姿のタガラックが、心配そうにその姿を見つめる。


「……ふぅ、ずいぶんと楽になった。相変わらずの即効性であるな」

「こんなもんただの時間稼ぎに過ぎん。おぬしはいつまでこんなことを続けるつもりじゃ? そろそろ腹をくくらんといかんのではないか?」

「クックック……我輩も老いたということであるな。……だが、かわいい孫の晴れ姿を見るまでは、まだ死ねん」


 関東怪人の頂点に立つ男ドラギウス三世こと黛竜三の孫といえば、先日アークドミニオンに加わった暗黒怪人ドラキリカこと黛桐華のことである。


 元ヒーローという肩書きを持つ彼女であったが、わずか数週間ですっかりアークドミニオンに馴染んでいた。

 それもこれもこのところメキメキと頭角を現している、極悪怪人デスグリーンこと栗山林太郎の後援あってのことである。


 目に入れても痛くない可愛い孫の桐華が、林太郎に想いを寄せていることはドラギウスも重々承知していた。

 ふたりが結ばれるのは、きっともう少し先のことになるのだろう。


「フハハハハ、桐華と林太郎が祝言を挙げるまでは意地でも死なーん! このドラギウス三世、それまではどのような痛みにも耐えてみせるのであーる!」



 そのとき、暗黒聖堂の扉がバーンと開かれた。



 逆光を浴びて静かに聖堂を進むその少女の身体を彩るのは、純白のウェディングドレスである。


 ドレスの白に負けぬ、透き通ったきめ細やかな肌。

 ベールに包まれた、シルクのように流れる銀髪。

 少し照れ臭そうに伏せられた、スカイブルーの瞳。


 黛桐華はそれはそれは見事な花嫁衣裳を身にまとっていた。



 呆気に取られるドラギウスに、孫は笑顔を見せながら報告を述べる。


「総帥、ご報告があります。私このたび、センパイ……栗山林太郎と結婚することになりました!」

「…………はいィ?」


 桐華はその後も何か言葉を続けていたが、ドラギウスの耳には何ひとつ入ってこなかった。

 ようやく我に返ったのは、報告を終えた桐華が暗黒聖堂を出て行った後のことである。


「……………………えっ?」

「ふひっ、くっくっく……これでいつでも死ねるのう?」


 呆然自失するドラギウスに、半笑いのタガラックが煽りを入れる。

 思いにもよらない展開に、ドラギウスはへなへなと玉座に腰を下ろした。


 ドラギウスは頭を振って気を取り直す。


「うっ、うむ。素晴らしいではないか! さっそく大々的に祝賀会を開くのである! フハッ……フハハハハハ……ハッ」


 祖父としては、孫の恋が成就したことを喜んでやるべきなのだろう。

 ただあまりにも突然のことで少し驚いただけだ。


 ドラギウスの目じりにはじんわりと涙のようなものが浮かんでいた。




 そのとき、再び暗黒聖堂の扉が再びバーンと開かれた。



「竜ちゃーん!!」


 いつも通り青いパーカーフードを揺らしながら、少女がドラギウスに駆け寄ってくる。

 アークドミニオン最年少の怪人にして、ドラギウスが孫のように可愛がっているサメっちであった。


「お、おお……サメっちではないか。どうかしたのであるか? わかったぞう、お小遣いが欲しいのであるな?」

「竜ちゃん、サメっち今度アニキと結婚することになったッス! だから竜ちゃんにナコウドってのをやってほしくてお願いにきたッス!」

「………………ほぉん?」


 サメっちはその後も一生懸命なにかを話していたが、ドラギウスはすべて生返事で、ただうんうんと壊れたおもちゃのように頭を縦に振っていた。

 ようやく我に返ったのは、報告を終えたサメっちが暗黒聖堂を出て行ってからしばらく経った後のことである。


「………………え、なんで?」

「くきききき……ひゃほほうげぇっほ! 林太郎のやつなかなかやりおるのう!」


 もはやタガラックは笑いをこらえるのに必死であった。




 そのとき、みたび暗黒聖堂の扉が……そぉーっと静かに開かれた。



 おそるおそる顔を出したのは、タガラックの報告にあった中心人物。

 長身の乙女、剣山怪人ソードミナスこと剣持湊である。


「あのその……そそそ、総帥にご報告が……」


 さすがに吹っ切れた湊であったが、やはり悪の総帥ドラギウスは怖いらしい。

 ドラギウスはなるべく怖がらせないようぎこちない笑顔を取りつくろうと、震える声で湊に報告を促した。


「な、なんであるかな? ひょっとしておぬしも林太郎に何か言われたクチであるかな?」

「えっ、あ……はい。私の残りの人生を必ず幸せにしてみせるから、俺を信じろ……って」


 顔を真っ赤にした湊は、両手の人差し指を突き合わせながらもじもじと答えた。


「それで、正式に極悪軍団に所属する許可を総帥に……」

「ほっ……ほっふ……ほぎゃ……ほぎゃぎゃぎゃぎゃッッッ!!!!!」


 悪の総帥ドラギウス三世はついにぶっ壊れた。


 湊は傍にいたタガラックに助けを求めようとする。

 しかし幼女は『ダヒャヒャヒャヒャッ!!!』とおっさんみたいに笑い転げるばかりである。



「りいいいいいんんんんたああああろおおおおおおおおッッッッッ!!!!!!!!!」



 地の底から響くような総帥の大絶叫は、広大なアークドミニオン基地のどこにいても聞こえたという。



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