第百十六話「冷たく空虚なその正義」

 日本経済の中核・東京港区芝公園にそびえ立つ日本電波塔。

 古くは昭和33年の暮れから東京都のランドマークとして、“東京タワー”の愛称で親しまれてきた。


 東京スカイツリーにその役目を引き継いだ今でも、国内外から連日多くの観光客が訪れている……はずであった。



 最初に被害に遭ったのは、芝公園でドラマの撮影を行っていたロケ隊である。



「プロデューサー、港区に避難勧告が出てますよ。なんでも怪人がテロ予告してるとかで」

「バカ言ってんじゃないわよ監督ッ! 撮影を続けなさいッ!」

「でももう僕たち以外みんな避難しちゃいましたよ? 天気も悪いですし、リスケしませんか?」

「このおブスッ! 森沢きゅんのスケジュールを半日押さえるのに、いったいいくらかかると思ってるのよッ!」


 プロデューサーと監督の視線の先では、ミケランジェロの彫像じみたバタくさい顔の色男が姿見の前でポーズを取っていた。


 彼こそは日本が誇る国民的スター・森沢モリオ、その人である。


 森沢モリオといえば、今やバラエティーから映画まで引っ張りだこの超人気俳優である。

 平均視聴率40パーセントを記録し社会現象となったドラマ『セクシーチェリー』で主演を務め、CM1本のギャラで都内に一軒家を買えてしまうほどだという。


「ごめんねぇ森沢きゅん! すぐに撮影再開するからねぇ!」

「あはぁん……堀P、構わないよ……んっふ……ボクはいつだってマキシマムエクスタシーさ……。あぁ……準備は……んっん……万端だよ……あぁぉ!」

「あぁーーッ! 森沢きゅぅぅんッ!」


 森沢モリオのあまりのセクシーさに、プロデューサーは目をハートマークにしながら身体をくねらせた。


 ――しかし次の瞬間。



 ヒュババババッ!!



 どこからともなく飛来した十数本の剣が森沢モリオの衣装を斬り裂き、ハート柄の下着まで剥ぎ取ってその肢体をあらわにした。


「アアアアアオッ!!?」

「森沢キュウウウウゥゥゥゥンッッッ!!!??」




 …………。




 大混乱に陥るロケ隊の様子を、遠くで眺める少女がいた。


「あちゃー、当たっちゃったッスかね? んもーぅ、せっかく人払いしたのに意味ないッスぅ」


 双眼鏡を覗き込むサメっちの隣では、ソードミナスがコートの袖からまるでダムの放流のように剣を射出し続けていた。

 おびただしい数の刀剣類が、芝公園の敷地内に降り注ぐ。


「わあああん! ぜんぜん止まらないよぉぉぉッ!!」

「わあ、ソードミナスやばいッス! バグった消防車みたいになってるッス!」


 彼女の体質・・はもはや、サメっちはおろかソードミナス自身にすらまともに制御できない状況であった。

 ソードミナスから生み出され続ける無数の剣は、おさまるどころか徐々にその勢いを増している。


 それでもここまで人的被害が最小限に抑えられているのは、サメっちによる“人払い”が功を奏しているからに他ならない。


 サメっちは『風に当たりたい。誰もいないところに連れて行ってほしい』というソードミナスの願いを胸を張って聞き届けた。

 しかしながら大都会東京の中心、タガデンタワーがそびえる品川近辺において、人のいない屋外などといった都合の良い場所はそう多くない。


 ならば逆転の発想でと、サメっちは人の“いない”場所を探すのではなく、人に“いなくなってもらう”ことにしたのだ。



『みなと区に、血の雨がふる。命がおしければ、いますぐにげろ。ごくあくぐん団』



 舌足らずな脅迫メールがマスコミ各社に送りつけられたのは、つい1時間ほど前の出来事である。


 本来であれば愉快犯として一笑に伏されるような内容だろう。

 しかしこれまで散々怪人被害にあってきた都民の反応は早かった。


 今や廃墟街と化した神保町からほど近いこともあり、スムーズな住民避難が行われたことは不幸中の幸いだ。



 だが案の定、サメっちの“人払い”は同時に、ヒーロー本部への挑戦状でもあった。




 ……ジャリ……。




 道路に薄く積もった剣を踏みしめる赤いブーツ、胸にきらめく勝利のVサイン。

 その姿を目にしたサメっちたちの顔から、血の気がサーッと失せていく。


「はわわ……えらいこっちゃッスぅ……!」

「どどど、どうしようサメっち!? まだ止まらないんだけど!」



 “心がたぎる赤き光”――ビクトレッド。



 勝利戦隊ビクトレンジャーのリーダーとして、数々の怪人を打ち破ってきた男。

 ビクトリースーツをまとった暮内烈人は、震えるふたりの姿を捉えるとおもむろに口を開いた。


「デスグリーンは、どこだ」

「あ……アニキはいないッスよ!」


 言うが早いか、サメっちは烈人の前に立ちはだかってファイティングポーズを取った。

 力を制御できていない今のソードミナスでは、一撃必殺の火力を持つビクトレッドの相手はおろか、逃げることすらままならないだろう。


 ならばサメっち……牙鮫怪人サーメガロが取るべき行動はひとつである。


「シュッシュッ! お前の相手はサメっちッス! 必殺メガロドンキーーックッス!!」


 一瞬にしてサメ型の怪人態へと姿を変えたサメっちは、先手必勝とばかりに烈人へと飛び掛かった。


 しかし――。



「君はたしか朝霞さんの妹の……冴夜ちゃんだったね。手加減はするけど、痛かったらごめんね」



 ドゴンッ!!



 まるで大砲が暴発したかのような轟音とともに、烈人の周囲の地面がはじけ飛ぶ。

 それはあまりの高温ゆえに、烈人の周囲の大気が爆発して起こった衝撃波であった。


「ふぎゃんッスぅ!!」


 牙鮫怪人サーメガロは、渾身のキックが烈人に届く前に身体ごと弾き飛ばされ宙を舞う。

 勢い余ってゴロゴロとアスファルトの上を転がると、サメ型の巨体はみるみるうちに元の小柄な少女の姿へと戻ってしまった。


「きゅぅぅぅぅッスぅ……」

「サメっち! ……くっ!」


 ソードミナスは一撃でノックアウトされたサメっちに駆け寄ろうとする。

 しかし己の両手からとめどなくあふれ出る刃物を見て足を止めた。


 かつて医療に従事し人助けを志した彼女の手は、差し伸べるにはあまりにも凶暴であった。


「うぅ……サメっちぃ……」

「できればあまり手荒な真似はしたくない、大人しく降参してくれないか」


 まるで遥か高みから見下ろすように、烈人はソードミナスに投降を呼びかけた。

 彼の言葉は口調こそ穏やかだが、まるで静かにくすぶる火種のようにじりじりと曇天を焦がす。


「仕方ない。どうしても抵抗をやめないというのなら……」


 烈人は小さく息を吐くと、赤い拳を握りしめ構えを取った。


 ……だが。




「……なんで……」




 ぽつり、と。


 囁くような言葉とともに、灰色の雲の合間から雨の雫がこぼれ落ちた。



「なんで放っておいてくれないんだよぉ……!」



 ソードミナスはがっくりとうなだれたまま、目に大粒の涙を溜めていた。



「もう嫌なんだよぉ……なんでお互い傷つけあわなきゃいけないんだよぉ……」

「なんだ……? 調子を狂わせようとする作戦か?」


 味方を倒され、怒り任せに容赦のない攻撃が来ると予想していた烈人は、赤いマスクの下で顔を歪ませた。

 これから命をかけた戦いに臨もうというのに、女に泣かれたとあっては手を出しにくいことこの上ない。


 それに加えて、烈人はその嗚咽交じりの声に聞き覚えがあった。



「うぅぅぅっ、うぇぇぇん……」

「君はまさか、そうか……思い出したぞ、あの時の……」



 烈人の脳裏におぼろげな記憶が蘇る。


 さいたま新都心で爆発に巻き込まれ全身に火傷と打撲をおったとき。

 羽田空港で味方からペグ打ちにされ生死の境をさまよったとき。


 いずれも意識不明の重体ではあったが、何者かの応急措置のおかげで事なきを得た。

 相手の姿こそ知り得なかったが、烈人の耳は彼の命を救った女の声をはっきりと覚えていた。


 赤い拳に灯った炎が、烈人の闘志に呼応するように小さくなって消える。



「……くそっ、どうしてデスグリーンじゃなくて君なんだ……!」



 烈人は震える唇を噛みしめた。


 無抵抗の女子供を相手に拳を振るうのは、誰だって気分がいいものではない。


 しかしどんな姿かたちであろうとも、“怪人”は多くの悲劇を生み出す人類の敵だ。


 社会の脅威を排除し、世に平和の“くさび”をうがつ。

 無秩序には制裁を、暴力には暴力を、それが正義の宿命である。


 その真理を受け入れられない心の甘さが、味方の死という最悪の結果を招いたのではないのか。


 頭では理解し、ヒーローとしての矜持は復讐に燃えていたはずだ。


 だというのに烈人の“心”は、まるで太い鎖のように赤い正義の拳をからめ取っていた。



「俺は……! 俺には、できないよ……!」




 ピピピポポポピ。




 烈人は拳を力いっぱい握りしめ、ビクトリー変身ギアの通信回線を繋いだ。

 通信はすぐに繋がったが、相手の上司は何を言うでもなく静かに烈人の言葉を待った。


 少しばかりの沈黙が流れたあと、烈人はようやく口を開く。


「朝霞さん……ごめんなさい……やっぱり俺にはできません……!」

『そうですか』

「……咎めないんですか?」

『私がやれと言ったらやるんですか?』


 朝霞の言葉に、烈人は静かに首を振った。

 烈人の様子が見えているかのように、朝霞司令官は言葉を続ける。


『暮内さん、当該怪人との“対話”は可能ですか?』

「対話……ですか……?」


 驚いた烈人は、思わず聞き返した。


 ヒーロー学校で習う怪人対応マニュアルに“対話”は存在しない。

 あるのは“鎮圧”か“処分”のみである。


 正義と悪の間に、意思の疎通が介在する余地など本来ありはしない。

 だがしかし、朝霞は確かに対話と口にした。


『当該怪人たちの待遇については、私の権限の及ぶ範囲で可能な限り善処します。あなたが怪人の処分を拒むのであれば、あなたが怪人を説得した上で必ず保護してください』

「朝霞さん……ありがとうございます……!」


 烈人は通信越しに、見えもしないにもかかわらず、深々と頭を下げた。

 それは黒でもなく白でもない、灰色の曇天から一筋差し込んだ希望の光であった。






 ――ズドンッ!!






 無人の芝公園に鳴り響いた一発の銃声が、その希望を打ち砕いた。




 赤いロングコートの胸元から、花弁のように舞った赤黒い飛沫が、枯れた芝生を染める。



「あ……あれ……? なに、これ……?」



 烈人は目を見開いた。

 ひょっとすると何か叫んでいたのかもしれない。


 だが世界はまるで音を失ったように、ただ黙してゆっくりと時計の針を動かした。

 本格的に降りはじめたにわか雨の音だけが、ただうるさく耳に響く。


 どさり、と。


 思ったよりもずっと静かな音とともに、長い黒髪が地面に投げ出された。



「HIT。おかわりはいるかいラマー?」

「いいやウィル。心臓を一撃、さすがの腕前だ」



 振り向いた烈人の後方には、背丈ほどもある銃を構えたウィル。

 そして双眼鏡を片手に白い歯を見せるラマーが親指を立てていた。



「おまえ……たち……」

「HEY烈人、危ないところだったな。こわーい怪人は俺たちが仕留めてやったぜ」

「HAHAHA! 鬼退治なら俺たち“NEWビクトレンジャー”に任せな」

「さあ怪人の死体ふたつ、とっとと回収して帰ろうぜ。おっ、この小さいほうはまだ息があるのか?」

「暴れられても面倒だ。烈人、お前のバーニングヒートグローブでやっちまってくれ。銃弾を無駄遣いすると経理がうるさいんだ」



 烈人は力なくソードミナスに歩み寄ると、がっくりと膝をついた。



 そこに倒れているのは凶悪な怪人でもなければ、社会を脅かす化け物でもない。

 傷つき涙を流していた、ただのひとりの女の子である。



 怪人を倒すことは無条件に正しく、それこそがヒーローの責務である。

 だがしかし、これが在りし日に思い描いた理想の正義の姿だというのであれば。



 それはあまりにも冷たく空虚であった。



「すまない……すまない……!」



 気づくと烈人は、うわごとのように謝罪の言葉を繰り返していた。

 自分にできることは、もはやそれしかないのだと。








「なあ、これ、お前たちがやったのか?」








 そのとき烈人は、空と大地に、暗黒色の“ひび”が入るのを確かに見た。


 幻想とはいえ世界を歪めるほどの怒りの現出に、空気が、肌が、網膜がひりつく。



「HOLY SHIT……こわーいパパの登場だ……!」



 緑色のブーツが敷き詰められた刃物を踏みしめると、折り重なった鋼の剣はまるで薄氷のように音もなく砕け散った。

 竜を彷彿させるスーツ、緑と黒に彩られた全身から立ち昇るのは、見る者に明確な死を想起させるほどの濃密な殺気である。



 その緑の男は烈人の前に屈みこみ、まるで烈人など見えていないようにソードミナスの肩を抱いた。

 そして急速に失われつつある体温に、残された時間が少ないことを感じ取る。



「HAHAHA! 敵討ちとは殊勝なヤツだな。いいだろう、返り討ちにしてやるぜ!」

「俺たちの奢りだ。あの女怪人と同じように、この対怪人ライフルの弾を腹いっぱい食らわせてやろう」


 ウィルとラマーが銃を構えるのと同時に、銃口めがけて深々と剣が突き刺さる。


「お、OMGッ!?」


 それが目に追えないほどの速さで投擲されたのだと気づくよりもはやく、自慢の対怪人ライフルは暴発し銃身が花を開かせた。



「オーケー、楽しいトークの時間はオシマイだ。それ以上一言でもその鬱陶しい声を俺の耳に届けたら、下品な舌を抜いて火あぶりにしてやる」



 緑の男は周囲に散らばる無数の剣をひと振り掴み上げると、“倒すべき敵”に向き合った。




 極悪軍団団長・極悪怪人デスグリーン。




 かつて冷たく空虚な正義を誰よりも体現した男。



 平和を誰よりも愛し、己の平和を乱す者は一切の容赦なく蹂躙する、まさしく“局地的人的災害”の権化。




 ゴーグルの下で鈍く輝く瞳は、どんよりと灰色の空のように澱んでいた。





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