【エジソン】 モルモット オス -終-

実験が成功したのかどうかはわからない。だが、事実として少年は私の目の前にいるのだ。


仲間たちはただ純粋に見守っていてくれている。ありがたいものだ。


「久しぶりだね、エジソン」


柵を隔てて少年はそうつぶやく。


彼と再びあえた喜びを感じると同時に、私は妙な焦りに襲われていた。彼と会うのは今日が最後、野生の感がそう言っている。もっと彼と近づいて話したいのに、これほどまでに木曜日を呪ったことはない。


「ごめんね、急に来なくなってさ。ちょっとばたばたしてて。って、これは僕の勝手な思い込みだよね。よく来てた人間が来なくなったところで、君は何にも感じていないかもね。って、これはこれで失礼か。ごめんごめん。」


まったくもって失礼である。私だけではない、モルモット小屋の全員が君をここに呼ぶために奮闘していたのだ。


しかし、いざ少年を目の前にすると、何をしていいかわからなくなる。一度冷静になって考えてみる。


そう、私は少年の名前を知りたい、そして心を知りたいのだ。


そのためにはどうすれば良いのか。こればかりはもう念じるしかない。その結果、彼がここに来てくれたのならば、思いを引き出すこともできるはずだ。


そんなことを考えているうちに、少年は私を見て微笑み、背中を向けて歩き始めた。ようやくまた会えたのに、あまりにも悲しい、寂しい、やるせない。私は思い切り声を出した。


少年は一度反応したかのように見えたが、気のせいかという素振りと共に再び歩き始めた。


私はただ、呆然として天を仰いだ。結局何もできなかった。あの少年のことを知ることはできなかった。


どのくらい時間が経っただろうか。背後から声が聞こえてきた。


「お待たせ、ちょっと時間かかっちゃった。飼育員さん困らせちゃったみたいだけど、特別に入っていいってさ。子どもの特権ってやつだね。」


なぜ、一言声をかけないのだ!!久しぶりに心が荒ぶるのを感じた。それと同時に強い安堵が押し寄せる。彼とこうしてまた話をすることができるのだ。


彼はいつも通り、いや、昔通り、ベンチに腰を掛け、最近得た知識(あるいはもともと知っていた知識なのか)を、私に語り掛けながら伝えてくれる。そうしてこの時間はスタートするのだ。そうとばかり、思っていた。


しかし、彼は一向に喋りださない。それどころか、靴の先だけを眺めている。


何かあったのか。そう声をかけたい。だから私はそう念じる。


「エジソンはさ、こんなに久しぶりなのに、僕のところに来て、前みたいにじっと見つめるんだね。なんか、なんて言えばいいかわからないけど、すごく嬉しいよ。君と話ができればって、何回も考えたんだよ。そんな発明ができないかなって。けど、思いつかなかった。そうだ、目線を合わせれば、なんとなく君の気持ちに近づけるかな。」


そういうと少年は地面にうつ伏せで寝そべり、顔をこちらに向けた。小さくも大きなほほ笑みが目の前だ。


しかし、そのほほ笑みはすぐに雲に隠れてしまった。


「実は初めてここに来た時、話を聞いてほしくて来たんだ。聞いてほしいというか、誰にも言えない悩みをただ吐き出したかったんだ。僕には友達もいないからさ。けど、強がったんだ。君相手にも。だから、何でもない話をしたんだ。その後も、ほんとは吐き出したくて、でも、強がった。」


ぶつ切りのその話し方はあまりにも少年らしくない。それほどまでに思い詰めているのだ。


「けど、今日は話そうと思ってさ。友達に話すのは、いいよね。君は、僕の友達だからさ。」


もちろんである。黙って姿を消したことを含めても、少年は私の友達だ。時に少年、無粋なことを言うようであるが、話を始める前に、君の名前を教えてくれないか。


私の思いは届かず、少年は仰向けになり天を指さす。


「僕はもうすぐあそこに行くんだ。科学的な表現じゃないけど、あそこに行く。発明家になりたい少年が、志半ばで病気に倒れる。よくある話だよね。よくある話だけど、当事者の僕からしたらこれほどまでに辛いことはないんだ。うん、ただそれだけなんだ。ただ、それだけ。」


思いを口にしたからだろうか。少年の声が掠れていく。それを隠すように少年はまたうつ伏せになる。


想定の範囲内の回答である。だが想定外に、私はこの少年に特別な思いを抱きすぎている。水曜日の少年少女の一人ではない。彼は私にとって、ここにいる少年なのだ。


無責任に心を知りたいなどと考えていた自分が嫌になる。知ったところで私には何もできない。できることと言えば、ただ寄り添うことだけだ。幾人かの少年少女にそうしてきたように。


彼が落ち着くまでに随分と時間がかかった。本当に長い時間が経っていたのか、そう思わせる何かがあったのかは定かではない。


「ありがとう、エジソン。-そうだ、ずっと、エジソンって呼んでるけど、僕の名前を知らないよね。僕の名前はゆめ。女の子みたいだよね。生まれ変わったら、一緒にすごいものを発明しよう。」


予期せず、あれほどまでに知りたかった少年の名前を知った、その事実を喜びとして感じることは今の私にはできない。


だが少年が私に、自らの名前を教えてくれたのだ。これからの短い時間、彼でも少年でもなく、ゆめと呼ぶことにしよう。


その思考もつかの間、私の脳内は感情であふれ出してしまう。


ゆめを救いたい。これからも話がしたい。その思いだけが脳内を駆け回っている。


そう考えていた私の思考に電撃が走る。


私はゆめをここへ呼ぶという実験を成功させている。そう、今の私は発明家なのだ。


私はうつ伏せになるゆめの背中に乗る。そして背中に鼻を押し当て、下から上へと這わせる。何度も、何度も。


以前、ちゃちゃみが言っていた。命を奪う方法を知ったと。その方法とは、背中に指を置き、そのまま下に降ろせば寿命が短くなるというものだった。ならば、この逆を行えば、その者の寿命は延びるのではないか。


一度にどれほどの寿命が延びるのかはわからない。一日だろうが一時間であろうが。何度も何度も行う。そうすればゆめの寿命は延び、またここに訪れることができる。その際にもう一度寿命を延ばしてやればよいのだ。今私にできることは、できるだけ多く、ゆめの寿命を延ばすことだ。


ゆめは私の突然の行動に驚いているようだが、私は一心不乱に鼻を動かし続ける。


少しするとゆめが笑いながら、寝返りを打つように私を背中から降ろし、抱き上げた。


「ありがとう。一緒にいてくれて元気が出たよ。」




私の発明は成功だ。

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いちアニマルとして きりたつみき @kiritatumiki

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