うれしいさようなら

金子ふみよ

第1話

 街外れの丘の上にある一本の木の下に、少年が一人座っています。彼はルービックキューブを回しています。

「こんにちはー」

 一人の少女が息を切らしながら、走ってきました。

「カンナちゃん、こんにちは」

 少年は手を止めて、カンナを見上げると、またすぐに手元を動かし始めました。

 カンナは少年の横に腰を下ろすと、置いてあったルービックキューブを手にして始めました。二人に会話はなく、温かい太陽の光を浴びて、そして涼やかな木の下の風に当たりながら、手を動かし続けるのでした。

 しばらくして、カンナがその手を止めて、一つ大きく呼吸をしました。それから思い切ったように顔つきを整えると、

「あのね、今日は話があるの」

 と言い出しました。

少年は指を回しながら、カンナの声に耳を傾けています。

「私、引っ越しをするの」

 少年の動きが止まりました。

「そうなんだ。いつ?」

 驚いているようですが、カンナへの質問は静かな言い方でした。再び手を動かし始めます。

「あさって。準備があるからここに来て会えるのは今日が最後だから。今まで何度も言おうと思ってたんだけど、言えなくて」

 少年は黙って聞いています。

「ずっとこうしていられるのが楽しかったんだ。でも、だからきちんとお別れを言わなきゃと思って。今までありがとう。さようなら」

 目に涙を浮かべながら言葉をつなぐカンナに、少年はルービックキューブを脇に置きました。ポケットからハンカチを取り出して、カンナに渡しました。カンナは涙を拭くと、少年の顔を見つめました。少年の顔を覚えておこうとしたのです。

少年は妙にうれしそうに、カンナには見えました。今まで見た中で一番穏やかで優しい笑みに見えました。

「どうして笑っているの?」

 カンナは、彼が自分との別れを喜んでいるのかと思って聞きました。

「違うんだ。カンナちゃんとお別れをするのはとても悲しい、さびしい。今も胸がドクドクとしている。けれどね、僕は今とても感謝しているんだ。

僕のお父さんもお母さんもいないのは知っているよね。去年、お父さんもお母さんも消えてしまったんだ。家に帰ったら、もう動かなくなっていてね。僕に何も言わないで。

 お父さんとお母さんだけじゃないんだ。前はね、水槽の金魚もずっと一緒に遊んでいたコリーて言う名前の犬も、何も言わないで僕の前から消えてしまったんだ。

いつもいたのに、言葉もなくてお別れするのは、とてもさみしいんだ。

だからね、カンナちゃん、君はきちんと僕にさようならを言ってくれた初めての人なんだ。それがうれしいんだ。

こうして一緒に遊んでくれて、とても楽しかったんだ。だから、カンナちゃんは遠くに行ってしまうけれど、ずっと友達だと思っていてもいいかな」

 少年にカンナは一つ大きくうなずきました。それを見て、彼は安心した顔つきをしました。「じゃあ、私行くね」

 穏やかな表情のまま彼もうなずきました。

「さようなら」

 カンナがルービックキューブを置いて、手を差し伸べています。

「さようなら、カンナちゃん」

 少年はその手を握り返しました。

 カンナは走って丘を下って行きました。少年はカンナの背中を小さくなるまで、じっと見やっていました。

「さようならはありがとうなんだね」

 少年は一人ルービックキューブを再開しました。そして、カンナが好きな赤色の面を最初にそろえたのでした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うれしいさようなら 金子ふみよ @fmy-knk_03_21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ