第4話 転生とは

 白い流れは永遠ではない。

 然るべき時間をかけ、然るべき処置を取る。

 そこには誰の意志も関わらず、摂理として永遠に存在し続けるだけのものだ。


 この世の誰にも、こんなことは知る由もない。

 その白い流れという存在自体も、知る者はしかいないだろう。


 そういうものであり、そういう神秘なのだ。

 人が触れてはいけない領分の話である。


 なら、人の話をするしかない。



 では、そのとは誰か?



 異世界に転生した。


 何を言っているか、にも分からない。

 分からないなりに時間をかけて、ようやく辿り着いた結論がコレなのだ。    

 異世界に転生し、どこかの誰かになる。

 その認識が当たり前になるまで、十年かかった。

 状況から、最早そうとしか言えないところにまで来たのだ。


 白い流れに流される中で、眠る最後の瞬間に『白』以外が飛び込んできたのは、もう遥か昔に思えるだろう。

 それから夢うつつの状態でに陥り、その状態が長く続いた日々も遠くのことだ。


 長い時を越えて、『僕』は認識を手に入れる。



 「思い出した」



 先ずはじめに目を開けたら体が縮んでいる。

 その時はだいたい4歳ほど。

 正確な年も誕生日もまったく分からないから何とも言えないけど、多分、まあ4歳でいいだろう。


 そして流れて来る、これまでの記憶。


 ジグソーパズルのピースがぴたりとハマったように、思い出すことで『僕』が完成した。

 これまで不思議な事ばかりする子どもだと思われていたようだ。


 自分で自分の性格を判断するっていうのはよく分からないけど、記憶が戻る前の僕も、実に『僕』らしいものだ。

 だから『僕』が完成してからも何も変わらなかったのは、いっそ不気味に感じる。


 一瞬そう思った。


 ほんの一瞬思って、あとはもう惰性だ。


 記憶辿る。

 大切な情報源ほっとくなんてできない。

 頭の中に当たり前にあるものを無視することもできない。


 そこにある『僕』と僕の矛盾のなさを気味悪く思ったとしても、それでも向き合った。

 幸いなことに、はまともではないのだ。


 体と記憶が合致しない、不思議な感覚など苦痛足り得ない。


 が混ざることによる違和感など、些細なことだった。



 普通なら、気が狂ってもおかしくない。

 他人であるのに自分でもあるという違和感を呑み込むのはそれだけ難しい。


 問題を些事と切り捨て、生きる。


 ただそれだけの事ができずにいる者は多い。



 けれども、にはできた。

 とても簡単に、忘れ、切り捨てられた。


 だって、



「死にたくない…………」



 死にたくない、死にたくない、死にたくない。



 それしか考えられない。

 生への渇望だけが、を支配していた。

 これがをまともではないと称せる訳。

 尋常ではない、あり得ない、人一人分を遥かに超越しているモノが、一人に詰め込まれていた。


 その衝動に支配されたから、彼は狂わない。

 ただその衝動を満たすためだけの機械と化していたから、狂いようもない。

 そこにある問題よりも、もっと大きな問題を突きつけられていたのだ。

 あらゆるものをかき消す衝動が、胸の内には渦巻いていたのだ。


 白い流れの中で、にはそれしかなかった。


 それしかなかったからこそ、強く中に現れる。


 まさに魂に刻みつけられたように、は取り憑かれていた。


 だから、問題が解決したのではない。


 解消したのだ。


 それどころではなくなったからにすぎない。

 精神と肉体の違和感に苦しまなかっただけであって、さらに辛いものを味わった。


 四六時中、どんな時でも関係ない。

 終わりのない苦しみだ。

 第二の生の代償と言わんばかりの戒め。

 良心の呵責に苛まれる囚人のように、次第に蝕まれていった。


 だが、それを悟らせたことはない。



 死にたくない



 一人たりとも、この異常に気づいた者はいない。

 連日連夜寝ずにいたことも、食べたものを戻したことも、衝動を紛らわせるために自傷したことも、誰も知られていない。



 死にたくない



 ずっと眠りたかった。

 何日も、何ヶ月も、何年もろくに眠れない。

 起きれば飢えにも似た衝動に駆られ、寝れば死という黒い蛇が巻き付いてくる夢を見た。



 死にたくない



 生きることが辛い。

 生きたいだけなのに、何も問題はないはずなのに、この焦りと恐怖は止められない。  


 生という一番の宝を手に入れたはずなのに、それを失うことを恐れ、何よりも不自由に縛られる。

 いくらでも幸せを受けられるはずが、自らによって壊されてしまっているのだ。



 気が狂いそうだ。


 でも、気が狂えば死んでしまう。


 心が胸にあるのなら、心臓をほじくり出してしまいたい。


 でも、心臓がなければ死んでしまう。


 魂に刻まれたこの汚れを消してしまいたい。


 でも、真っ白な魂になるということは、自身という存在の死を意味する。




 濁流に呑まれたようだ。

 いつまでも光は見えず、揉まれ、流され、溺れる。

 手の内にある大切なものを逃さないように必死になって、だから余計に沈んでいく。

 どれだけ藻掻いても、救われずに暗いまま。


 きっと長くは生きられない。

 そう遠くない内に間違いなく狂って死ぬ。

 これは予感ではなく、予知だ。

 今ならばまだ耐えられるが、五年後、十年後には確実に潰れてしまう。


 だが、その事実に耐えられない。


 耐えられない。


 遠くない内に狂死するという未来が恐ろしくて、今にも頭がおかしくなりそうだ。

 その時になって初めて、は泣いた。

 年相応に、みっともなく、惨めったらしく。


 泣いて、怖くて、死にそうで…………



 意識を失った。



 ※※※※※※※※



「クララ!」



 遠くで呼ぶ声が聞こえる。

 を呼ぶ声は遠くで、しかし光が差し込むように確かに届く。

 これまで何も見えなかったはずなのに、その光だけは確かに…………



 目を開ければ、本当の光が飛び込んで来る。

 暗いだけの世界はなく、色付いた綺麗な世界。


 だが、それはどうでもいい。


 一番目を引いて、一番見てみたくて、一番美しく映えたものは別にある。


 鈴を転がしたような可愛らしい声。

 差し込む光を表した金色の髪。

 まだ幼いが、その美しい顔は女神を思わせる。


 これまで何度も何度も見てきた顔が、この時、この瞬間だけは何もかもを忘れてしまうほど見惚れた。

 彼女をいつまでも見ていたくて、視覚以外でも彼女を感じたくて。


 手を伸ばして、頬に触れて、それで…………




「良かったぁ……三日も寝てるんだもの……」




 死ぬわけがない。

 この位で死ぬわけがない。

 死以外はすべて些事だというのに、どうして彼女は今泣いているのか?


 周りからしてみればいきなり倒れて眠ったままになったのだ。

 心配することは、不自然なことではない。

 知識としてその感覚は知っているが、からすれば本能で理解できない。


 だって、もしもがあるとして、どこまでいっても他人の死じゃないか。




「アイリス……どうしたの……?」


「どうしたの、じゃないわよ!もう!」



 アイリス。


 と同じ孤児院の、同い年の少女。


 姉貴風を吹かせたいきらいがある、普通の子だ。

 その子が何故か、寝ていたの手を握っていた。

 その目の下のクマから、彼女が何をしていたのか容易に分かる。


 きっと疲れているだろう。


 寝て待っていれば良かっただろうに、何と無駄な努力を。

 他人が目を覚ますのをただ待ち、涙を流し、良かったと安堵し、溜まっているはずの疲労を無視している。


 死なないのにどうして泣いている?

 自分の死でもないのにどうして悲しむ?



「心配したよ…………」


「………………」




 初めて、死以外を感じた。

 初めて、生以外を感じた。

 この感覚が何なのか、知らない。


 あの『白』の中で、忘れてしまっただけかもしれないが、これまでのにはなかったもの。


 この時、の何かが変わった。


 生への渇望と死への恐怖しかなかった心には、何かがもたらされた。

 勘違いではなく、確実に。


 感情に支配され続けた四年。

 苦しかった悪夢のような三年。

 そして、どこか変わってしまったあの時。


 一体何が起こったのか、正確な所はも知りはしない。


 支配されるだけだった者の中に、情緒を仕込んだのはアイリスだ。

 埋まった心に初めて別を考える余裕を与えたのは、紛れもなく彼女だ。


 それがとても興味深い。


 彼女が居なければ、興味深いと思うこともなかった。

 機械から、人間になった。

 アイリスは知る由もないが、にとっては恩人に違いない。


 その変化はに喜びをもたらしたのだ。



 だが、何故変化が起こったのかは分からない。

 何が原因で、何をもたらし、何がどうなったのかを説明するのは難しい。 

 言語化することは至難であり、気持ちだけが先行する。


 何一つ分かりはしなかった。

 その答えを、今でも分かっていない。


 だから、が彼女の側を離れようもしない理由はここからだ。



 一つ、恩ゆえに何か返したいから

 二つ、彼女の存在が興味深いから

 そして三つ、彼女に付いていくと何故か生きられると、そう予感させられるから。


 ずっと構われていただけであったが、の方から構うようになった。


 そうした方がいいと思えたから。

 甘い蜜に誘われた虫のように、自然と彼女に寄り添っていったのだ。


 運命だった。

 これはもう、運命としか言い表せなかった。

 歪で、矛盾で、歪んでいる彼・女・が、彼女に出会ったのだ。

 同じ年で、同じ孤児院で、同じ所を生きている。

 こんなにも素晴らしいことはない。


 すべては自身のために


 何百年経っても変わりはしない。


 少したりとも、他人が入り込むだけの余地など存在してはいなかった。

 もしも孤児院の誰かを引き換えに自分だけが生きられるなら、迷わず保身を選ぶだろう。

 それが、という存在の根本。

 生き残るための装置なのだ。


 だが、プログラムされた動きに注力するなかで、バグが生まれた。

 の中に、誰かが入り込んでくる。


 その誰かはこんなにも喜ばしい。


 すべては自身のために、という高く、厚い壁に、ナイフを一本突き立てたのだ。

 その傷は目に見えないほど小さいが、驚くべきものであることは間違いない。


 衝撃である。

 天変である。

 晴天の霹靂である。


 だから、彼女だけを見ていた。




 だから、彼女だけを愛した。

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恋する異端審問官 アジぺんぎん @chTillZ6j03YTnk

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