第3話 秘密
「で、お前らまた何かしたのか?」
孤児院の外。
庭で正座をさせられている、少女二人。
アイリスとクララに声をかける。
クララは相変わらずボーっとしており、アイリスは恨めしそうにクララを見ていた。
ここではいつもの光景で、二人はシスターの折檻を受ける常習犯である。
正座させられることなど月に三回はあるかもしれない。
まあ、実際はアイリスはクララに引っ張り回されてるだけで、原因はクララの方にあるのだろう、と尋ねた少年はあてをつけている。
きっとクララがやらかして、そのペアであるアイリスもシワ寄せが来ているのだ。
「バイト先の薬屋追い出された…………」
「クララのせいでね!」
案の定だ。
生活の根本に関わってくるバイト先を追い出されるとは、何とも間抜けだ。
シスターがカンカンになった姿を容易に想像できる。
「何したんだよ?」
「帳簿を間違いで引き裂いて、作りかけの薬踏んづけて、あった素材いくつか燃やして、売り物の飲み薬を店主にぶちまけた……」
「それいつの話? 日々積み重ねてそうなったの?」
「ついさっきクララがやったこと! ビックリしたわよ! 気が付いたら惨状になってるんだから!」
偶然の領域を超えているだろう。
一日、というか、言葉からして一瞬の出来事だろう。
一つの間違いを一日ずつならまだ分かるのだが、同時にしたのならもうワザとである。
こういうドジをちょくちょくするのがクララだと知っているために、アイリスは彼女を監視する役割を任せられているのだ。
少し前にも、似たようなことがあった。
その時もクララがとてつもないヘマをやらかして追い出されるという同じ構図だ。
「もう! あそこお金くれる所なのに!」
「しょうがないんじゃない?あの程度でゴタゴタ言う方がおかしい」
「アンタが言うな!」
真面目腐った顔で、不真面目な塊のようなことを言うクララ。
店を追い出された原因が自分だと納得してなさそうな言動だ。
年の割にも少し幼く見えるその顔は、同じ表情のままで不満な雰囲気を漏らしている。
クララの頭をひっぱたくアイリス。
うう、と呻きながら頭を抱えるクララ。
芸人の寸劇だろうかと疑う少年。
なかなかに混沌とした空間が広がってきた。
「なんで頭は良いのにこんなにアホなんだろ?」
アイリスの嘆きの言葉。
バイト先で帳簿の仕事を任せてもらえるくらいには頭の出来は悪くないはずなのだ。
だというのに、この性格が全部を台無しにしてる。
マイペースというか、何というか。
この嘆きを何度繰り返したのか分からない。
何度も繰り返しているから、疑問の余地も生まれないのだ。
だいたい理解した少年はため息をつく。
彼女は本当に損な役回りばかりしているようだ。
呆れたような目でクララを見て、そしてまた大きくため息を吐く。
この時、ボーっとしていた彼女がほんの少し、少年を睨んだ気がしたのだが……
「ああ、アレン。居たのですか?」
背後から声をかけられる。
よく見知った、大人の女性の声である。
少年、アレンは振り向くと、そこには孤児院の主が居た。
「シスター………」
「もう、ちゃんと反省しましたか?」
孤児院を一人で経営する聖職者、シスターカレン。
齢は六十を超え、金の髪には白髪が混じっている。
今は穏やかなそうな雰囲気の老婆だが、一度怒れば二重人格かと思うほどに変わる恐ろしい婆だ。
だが、聖職者らしく人間として尊敬できる部分も大きい人物でもある。
仕方がない子を見るような視線が二人に注がれる。
アイリスはしゅんとして、クララは相変わらず無表情のままで視線を返した。
「ご、ごめんなさい………」
「反省してます………」
「もう、ちゃんとしてください。貴女たちには妹や弟がいるんです。模範になっていただかないと困ります」
諭すように言うシスター。
それに二人は返す言葉もない。
まぁ、アイリスに関してはそれほど悪いというわけではないのだが、クララをよく見てなかった監督責任だ。
当のクララは知らん顔なのだが、いつものことである。
表情が希薄だからよく分からない。
だが、意地の悪い訳ではないのはカレンも知る所だ。
十年も育ててきたのだから、だいたいは理解しているつもりである。
案外、顔に出ていないだけで、内心ではアイリスのようにしゅんとしているのかもしれない。
とにかく、
「はい、もう結構。戻ってらっしゃい。そろそろご飯にしましょう」
そろそろ夕飯の時間だ。
全員が揃ってからじゃないと、食事は始められない。
「は、はい!今行きます!」
痺れた脚をもつれさせながら、アイリスはカレンに付いていこうとする。
今日は色々あって疲れたのだ。
早く質素な食事にありつきたい。
だが、それよりも先に、
「クララ!」
「はいはい……」
二人は手を繋ぐ。
どんなに厄介を引っ掛けられても、引っ張っていくのはアイリスで、手を引かれるのはクララだ。
一番近くで、二人は一緒に過ごしてきた。
皆に優しいアイリスは、クララに対してが一番優しい。
孤児院の全員が知っていることだった。
その二人を見てアレンは、
「ホントに損な役回りだな……」
誰にも聞こえないように、小さくつぶやいた。
※※※※※※※
夜、教会の中。
ろうそく一本だけの光が灯っている。
そこに居たのは二人の男女、いや、少年と少女だ。
少年、アレンと、少女、クララは二人で地図を広げて、ペンを握っていた。
光に集まりつつある虫を振り払いながら、熱心にバツ印と、その近くに文字を書き込む。
真剣に、そして不愉快そうに。
「で、お前らの薬屋はどこだ?」
「ココだよ。そんで、そこの路地から裏に繋がってる。多分、誘拐されるならこの道を通るだろうね」
それは、クララが始めた事だった。
表に出せないような商売を影で行う店を探して、危ない道や場所を書き込み始めたのだ。
当時、七歳であった彼女は、そういう店に雇われ、使われる前にやらかして逃げる、というサイクルを続けていた。
国の、秩序も何もない、薄汚い下町だ。
上流階級からすれば何の価値もないゴミ溜め。
そのお偉方の直属、警官の役割を担う憲兵たちもまともに足を踏み入れない。
違法行為を行う人間や組織が上部から発見され難く、犯罪の温床となっている場所だ。
数え切れないほどの子どもが居なくなったとしても、誰も気にしない。
だから、クララは動いた。
安全な場所を自分の目で確かめられるように。
ギリギリ働ける年齢になってから、ずっと探り続けてきた。
死にたくないから。
どこで、いつ、どんな危険な相手が居るのかを知り、生き延びたかったから。
そのためなら、裏を持つ店に飛び込むのだって楽勝だった。
一番後ろ暗い場所は、流石に子どもが踏み込める所にはないが、知識さえあれば浅い所ならわざわざ探さなくても自然と見える。
子どもだから、と運びに使われる事も多い。
あとは、情報から色々と推測するだけだ。
思っているよりは危険は少ない。
何も知らない子どもを利用しようとする輩が相手ではあるが、いくらでも居る無知なガキをわざわざ連れ戻すほど暇ではない。
だから、やらかしてクビになった体を取れば、報復はないだろうと思ったのだ。
それなら誤って危険な道を通り、事件に巻き込まれる方がよほど恐ろしい。
安全な理由がある前者と違って、知らなければ後者は防ぎようがないのだから。
そして、クララにとって、そうやっていきなり、理不尽に殺される事が生理的に恐怖でしかないから。
「本当に大丈夫なんだろうな? 後になって殺されるなんてことは……」
「ボクは三年やっても大丈夫なんだから大丈夫さ。ちゃんと引き際さえ見極めて、ドジな子どもを演じれば平気だよ。アレンはそんなうっかり、しないでしょ?」
アレンは理解できなかった。
普段から死にたくない、と二言目には言うクララ。
だが、一歩間違えれば死ぬというのに、彼女は潜入をまったく恐れない。
それよりも、そこを怠ることの方が恐いのだ、と。
彼も同じ事をしているが、気が気ではない。
頻度はクララの十分の一以下で、それでも眠れなくなるくらいには怖い。
目の前のどこかおかしい少女に溜息を吐く。
どこかで間違えそうで、本当に心配だった。
心情的には、手のかかる妹だ。
「あぁ……なら、お前は心配だな……」
「何でさ? ボクはこれで間違えた事は一回もないよ? 慎重そのものでしかないボクに心配? それより、自分の事を気にした方がいいんじゃない?」
「なら、どうしてその慎重なお前が、二年前に俺にバレるようなヘマを踏んだのかね?」
クララはそれに押し黙る。
アレンの言葉の通り、彼女はミスを犯した。
夜な夜な一人で地図を作り、潜伏した場所を書き込み、情報を記していく。
その中で、クララは夜中に巡行するシスターにだけ気をやっていた。
どうせ他の子どもは起きないから大丈夫だろう、と高をくくっていたのだ。
すると、夜中にゴソゴソ動くクララをアレンは見逃さず、活動を始めて半年ほど無視していたが、終に突っ込んできた。
それから、危ない事をやめようとしない妹分を放っておけない世話焼きの彼は、以降彼女の手伝いをしている。
「べ、別にそれは偶々だし……。ちゃんと気をつけてるからもうしないし……」
「はあ……」
クララからすれば、アレンに論破されて悔しがっている。
もう、その行動が幼く、みっともない事に気付いていない。
アレンは指摘すればへそを曲げられるだろうと分かっているから何も言わず、クララは口をへの字に歪めたままだ。
そうして、静かになった。
小声で情報を交換し続けていた二人だったが、初めて何も言わなくなる。
気まずい空気が流れ出し、チラチラとアレンを見るクララの視線が余計に感じの悪さを助長した。
「…………」
アレンは考えていた。
昔から変わった子どもではあったのだ。
物心がつく頃から、クララは誰よりも思考が大人に寄っていると感じていた。
どんな事をするにも一歩引き、周囲の子どもや、当時居た年上の兄姉分よりも成長している、と。
幼かった彼は、彼女を真似るようにし、どんな事でも深く考えてから動くようになった。
損得を考え、自分が他の子どもを引っ張ろうと決心して、そうして歳の割に熟した思考をするようになれた。
考えるようになったからこそ、思う。
彼女の異常は、どこから来ているのか、と。
幼い所を見せる事もあるが、それは性格の問題だ。
彼女には、年齢ゆえの未熟さが見えた時期がまったくない。
はじめから既に完成されていたかのような。
そして、生への執着。
常々言っている『死にたくない』という言葉は、心から思っている事だ。
そう思わせる重み、粘着を感じさせる。
普通はそうは思わないのだ。
尋常ではない死への価値観と恐怖が、小さな体の中に渦巻いている。
さらには、
「お前、こんな危険な事、もうやめないか?」
「? やめないよ。ちゃんと生き残れる確率の高い所に居ないと、殺されるじゃないか。それはダメだ」
「……アイリスが居る」
アイリスへの深い愛情。
「お前にあの娘は付くんだ。アイリスが大切なお前からしたら、こんな危険な場所へ連れて行くのは嫌だろう?」
「…………」
何も言えない。
迷っているような、悩んでいるような。
けれども、それだけでよく分かった。
彼女は生きる事に対して強い執着を見せるのと同じで、何故かアイリスに対しても似た感情を抱いている。
普段の曖昧で適当な態度に反して、この場ではいつも真剣だった。
聞けば答える、尋ねれば悩む。
のらりくらりと躱さない。
「……これに協力してるアレンに言われたくない」
不貞腐れたように言う。
この間も手は止まらず、詳細な情報が書き込まれ続けた。
「大丈夫。ミスは無い。あったら死ぬから、やらない」
答えになってないかもしれない。
だが、静かに、力強く言う姿には、言いしれぬ意志があった。
これに、今度はアレンは黙る。
彼女は自分とは違う、と思ったからだ。
自分と同じ歳のはずの少女が、別の何かに見えたからだ。
「……今日は、ここまでだね」
自然と二人の手は止まっていた。
ろうそくはかなり短くなっており、もうすぐ火は尽きるだろう。
もう、終わりだ。
やるべき事は全部終わった。
クララはペンをアレンに押し付け、地図を素早く懐にしまう。
そのままパタパタと寝室へ戻っていく。
アレンはただ、その姿を見ていた。
「はあ……」
深い溜息と共に、ただ見送った。
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