自殺未遂

知り合いの刑事は言った。

「我々のプロファイリングでは、10歳未満の自殺はない。」

と。

そうかも知れないが、私は、小学1年生の時、

自ら首を吊った。

未遂だったから、今生きているのだが…

母親が全てだった私には、何度も繰り返して見る夢があった。

知らない町で母に置き去りにされる夢だ。

知らない町を泣きながら母を探す。

声を上げて泣く。

「お母ちゃん、お母ちゃん。」

実際に泣いていて、その声に驚いて、隣で寝ていた母が、

私をゆすって起こす。

そんなことが何度もあった。

母親しかいない暮らしの中で、

いつか母がいなくなるという不安が幼心にあったのだろう。

母は、幼い頃から心臓が弱かった。

貧乏だったので、治療や手術を受けることも出来なかった。

夫が蒸発して、娘3人を養うために無理を重ね、

寝込むこともあった。

周囲からは、一番幼い私を手放してはどうかとの話もあった。

母は、

「たとえ母子で飢え死にしても、子供を他人に預けたりはしない。」

ときっぱりと言った。

一番上の姉が上京した後、

母が病に倒れた。

枕元に小学生の2人の娘を座らせ、

母は言った。

「もし、お母ちゃんが死んだら、鈴木のおじさんが民生委員だから、

親戚には行かず、2人で同じ施設に行きたいと言いなさい。」

と。

親戚との関係は良くなかったし、姉妹が離れ離れにならないようにという

母の想いだった。

幼心に

いつか母がいなくなるんだということが、刷り込まれていた。

覚悟…

出来るはずもない。

昭和40年代、多くの女性が花嫁修業にお花やお茶、洋裁、そして編み物を習うのが、流行りの頃だった。

母は、夜、勤め帰りの若い人向けに編み物教室を開いていた。

6畳二間のボロボロの借家の一室で、3,4人の生徒さんが来ていたのではなかろうか。

当時、まだ3,4歳だった私は、母のそばを離れたくなくて、

編み機の音がうるさい部屋に、自分用の小さな布団を引き摺って行き、

母の編み物台の下に入って寝ていた。

生徒さんの1人が、いつもキャラメルやビスコなどのお菓子をくれた。

不愛想な私は、お礼も言わず、大事に抱いてタンスの木目を見ながら、

いつの間にか眠りについた。

この教室のお陰で、クリスマスには、大きなケーキが2個届いた。

二日間食べれると喜んでいると、母は、1個をある家に持って行く。

子供が4人だかいる家で、両親はいるが、その暮らし向きは苦しそうな家だ。

折角、2個もらったのに。

母は、惜しげもなく、プレゼントした。

私の小学校の入学時にも、

ランドセルが3個もお祝いで届いた。

嬉しかった。

牛皮のやや重いタイプ、当時流行りのクラリーノ、

合皮の軽いタイプの3個。

選び放題だ。

濡れても大丈夫なクラリーノを選んだ。

他の2個は、またまた、母が、同じく貧乏な家庭に持って行った。

タダであげなくても、いくらかで売ればいいのにと思ったが、

母は、そんな人ではなかった。

貧乏かも知れないが、どこもお父さんがいるじゃないか

そう思った。

でも、母にそれを言ったことはない。

母は、いつも

「困った時は、お互い様だから。」

と言っていたが、お互い様だったことはない。

何一つもらったことも助けてもらったこともないではないか。

母は、損得勘定をする人ではないのだ。

私は、ただただお母さんっ子だ。

父親がいないのだから当たり前だが、母が全てだった。

そして、あの日。

母は、いつも家で編み物の仕事をしているので、

学校から帰ると、

「お帰り。」

と優しく迎えてくれる。

あの日、表の戸が全て閉まっていた。

裏に回る。

鍵などかかってはいない時代だ。

家の中には、誰の気配もなく、

シーンとしていた。

土間から、座敷に上がる。

母は、綺麗好きで毎日掃除は欠かさない。

綺麗に片付いた部屋。

居ない…

ついにこの日が来た!

置いていかれた。

その思いが強くなったのは、飼い犬もいなくなっていたからだ。

「まる」も居ない。

一人ぼっち。

生きていけない。

そんな思いが、心を圧し潰した。

生きていけない

それは、死ぬしかないということ。

死のう。

わずか7歳には、それしか思い浮かばなかった。

当時、物干し竿は、軒下の縄にかけられていた。

空っぽの犬小屋の横に木製のりんご箱を運ぶ。

そこに縄があったから。

縄に首を通して、

「お母ちゃん」

と小さく言った。

次の瞬間、縄が切れた。

お尻がりんご箱に当たった。

「痛い。」

急に我に返る。

もう一度、とは思わない。

そこへ、隣のおばちゃんがやって来た。

「あら、帰ってたの。お母さんね。お姉ちゃんが盲腸になって、

病院に行ってるから待っててって。おばちゃん家に来る?」

「あっ、そうなんだ。いや、家で待ってます。」

「すぐ帰ってきてよ。」

と優しい笑顔だった。

母が、私を捨てて行ったのではないことが分かり、安心した。

そんなはずないじゃないか。

でも、人が自殺を考える時、思考は狭く、

他のことは考えられなくなるのだ。

それにしても、なぜ「まる」はいないのか。

その疑問は、母が、戻って来て分かった。

母と姉が乗ったタクシーを、鎖がついたまま、3キロ先の病院まで追いかけて行ったのだ。

姉が盲腸で1週間入院するため、私も母も、そして「まる」も病院で寝泊まりすることになった。

あの日のことを思うと、今でも涙が溢れる。

7歳で死を選ぶ。

理由はたわいないかも知れないが、

幼い心が潰れそうな瞬間が蘇る。

この事実を、母にも姉たちにも話してはいない。


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私の中のわたし 梨花 @shinobu1120

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