センシティブ、な短編集
下戸🍼
第1話 盲信者
目が覚めると、真っ白な部屋の中に一人。体を起こすと、額から一筋の血液が目の外側の眼輪筋をなでるように降下していく。ねっとりと撫でるように下っていくその液体は汗のようにも思えたが、床に少量広がる赤が、それは血液であると主張していた。
目の前に置いてある稀代な機械は総合的に見れば黒っぽいのだが、隙間から緑色の基板がところどころ覗く。横には黄色いゴム製の持ち手をしたペンチが置いてあり、この時点ですでに嫌な予感を察知。もう一度機械に視点を戻すと、左側から二本、異なる色の銅線の様なモノが生えていた。『銅線の様なモノ』というのは、まだ己がその黒い機械を『爆弾なのだ』、『中心部に埋め込まれている電子版は爆弾爆発までの時間を指し示しているのだ』ということを認めたくなかったからである。ちなみに電子版の時間はとうに五分を切っていた。
そろそろ腹を括らねばならない。俺は今から、この爆弾の時限装置を解除して爆発を止める。何故かと聞かれれば、生きるためだと答える。ペンチを右手に握ったあたりで、もう一度問いかけに対する答えを考え直す。俺は別に死に物狂いで死にたくない訳ではない。必死こいて生きるという糸にしがみつくことも切望してはいなかった。じゃあ別に爆発と永遠におさらばでもいいか、という想いをかき消すようにペンチを握りなおす。だからといって、痛い思いをするのはごめんだ。痛い思いをして死ぬよりかは生きていたい。現実逃避をしている間にも時限爆弾の(もう仕方ないから認めた)タイマーはカウントダウンを続けている。つまりは時間が過ぎていく。
赤なのだろうか、それとももう一本の方なのだろうか。ああどうして俺はこんな目に遭わされているのだろう。赤か青か。二色のうちどちらか一つ、俺はTシャツを選んでいる訳じゃない、生きるか死ぬかの選択を迫られている。
自分で決めなければならないんだろうか、この究極の選択。さっきの話に戻るが、今の気持ちを端的に言うと『生きたい。』なのだが、もう少し念入りに、複雑に入り組んだ部分を伝えるとするのならば、『もちろん痛い思いはしたくないので生きてはいたい。だけれども、選択を間違えて自ら死んでしまう位ならばタイムアウトで死を迎えたい。』という言葉に変貌する。自分から時間内に進んで死(痛み)へと歩んでしまう位ならば、なすすべなく時間に身を任せて人生を終えたい。わかるだろうか。わからなくたっていいけれど。
残り三分を切った。
よし決めた。赤だ、赤を切るぞ。そう意気込んで赤い銅線をペンチではさむ。いくぞ、俺はやるぞ。本当に、やるぞ。
全身から汗が噴き出していて、爆弾で吹き飛ぶよりも先に脱水で死んでしまうのではないだろうかと思えるほどだった。それでは元も子もないので一度深呼吸をしてみる。
赤じゃない気がしてきた。二分間近、急激な落ち着きが決断を惑わせる。人は本当に焦ると冷静になるのかもしれない。手の震えも収まってきた。理由のない自信がみなぎる、赤ではない。赤ではないと俺の全神経がそう言っている。もう一方の銅線に手を移動させ同じポジションに。さぁ、今……。
携帯のバイブレーションが鳴った。バイブレーションモードに設定したいつしかの自分を全身全霊で称賛した。ここであのお馴染みの通知音が遠慮なしに流れてしまっていたら、心臓が破裂して死んでいたかもしれない。慌てて電話に応答する。
どうしてこんな時に時に電話に出るんだとか、様々な意見があると思うのだが、あいにく相手は旧友で、一番頼りにできるやつだった。
爆弾を処理し終えるまで、この唯一の頼みの綱である友人との電話をつないでおこう。いいか友よ、お前は俺の頼みの綱であり、外との世界へのパイプであり、俺の精神安定剤の役を任されているのだぞ。勝手にこんな大役を任せて本当に申し訳なく思っている。
もし俺の人生を海外風の小説として売り出す事ができるのならば、一ページ目の親愛なる(今は亡きの場合もある)友に捧ぐ的な文章は、間違いなくお前へ向けての内容になるだろう。
もし俺の人生最後にエンドロール的な何かを流すことができるのならば、主演の俺よりも先にお前の名を、【綱・パイプ・精神安定剤】役としてでかでかと流してやろう。
走馬灯の尺だって大半をお前の為に使ってやるとも。大半というのは、例えば走馬灯が十分ならば八分くらいの事だ。残りの二分の尺は、大変恐縮ながら俺が生まれた瞬間に十秒使って、残りの一分五十秒は、一生懸命愛をこめて育てていた(実はかわいいなぁなんて猫なで声を掛けたりもしていた)友達からのプレゼントである種の事を。今でも忘れない、正体が豆苗だったと種明かしをされたあの日の事を……あの夏の終わり、クーラーのないアパートの一室で悲鳴にも聞こえるうめき声をあげながら、出てきていた軟弱な芽を(種は一つだったので、もしかしなくても芽は一つ)むしり取り、でっかいフライパンに放り込んでごま油で炒めたあの日の思い出を……俺はなぜこんな話をしているんだっけ、あ、そうそう、走馬灯の話……走馬灯?
「誰がそんな縁起の悪い話を?」
そうだ、電話の向こうで綱パイプ精神安定剤という名の友が待っているのだった。
もしもし、と俺が呼びかけると、友人はいつも通りの彼の声で答えてくれた。
簡潔に今までの出来事を説明すると、友人は間髪入れずに言う。
「赤を。」
そこで通話は切れた。回線が悪いようには感じなかったが、そもそも爆弾と共に閉じ込められているという非日常な体験の中では、友人と普通に電話ができるという日常的な事の方が違和感にさえ思えてしまった。何が起こってもおかしくないのだ。
何の迷いもなかった。動悸もない。とても自信で満ち溢れた動作で俺は赤い銅線をペンチではさむ。
深呼吸も必要なかった。あいつが赤と教えてくれたのだから、それだけで十分だった。右手に込める力、二本に分かれる赤色の銅線。膝立ちの体の重心を少し後ろに傾けたところでようやく感じる。
頬の痛み。途端、膨大な痛みに対する反応を体の至る部分で感じる。痛みと閃光、衝撃波と共に体を打つ熱。
ああ、いつの間に別世界へ飛ばされたんだろうか。激しい破壊作用に当てられながら、俺は今まで目にしてきた赤を思い返す。
リンゴ、コーラのパッケージ、サンタクロース、もみじ、フルーツグラノーラの袋、たくろう火、ランドセル、三角コーン、信号、この部屋で目覚める直前に友人と飲んだ赤ワインと、あいつの結膜を伝う細い血管。
わかってはいた。それでも、俺はこれが正しいと思ったし、今でもそう思っている。最後の最後まで、あいつに対して懐疑的な目を向けることはできなかった。
ただ一つわからない、今俺が息絶えようとしているこの世界の赤は、一体どんな色だったのだろうか?
センシティブ、な短編集 下戸🍼 @The_Nighthawk_Stella
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