第6話 呪いの森の白雪の魔女 巫女と少年1
雪というのは、こんなにも重くて冷たいものなのか。
膝近くまで降り積もった白い結晶の集合体をかき分けながら、
そもそも、この雪の季節に北のクリスティア市に来たこと自体が間違いだったのだ。でも、祖父との約束は一刻も早く果たしたかったし、祖父が生まれ育った街とそこに積もる雪というものを一度この目で見てみたくもあった。少年が暮らす南のデルフィ市では、雪は特に寒い日にちらちらと舞うだけで、大地が白くなるまで積もることはない。少なくとも、生まれてから十数年のうちには見たことがない。
空は抜けるような青。
雪とのコントラストのせいか、デルフィの空より濃く、冴えて見える。森の上の方で、鳥がくるくると円を描いて飛んでいる。珍しく風がない、と少年の無謀さに呆れながらも送り出してくれた神官さんが言っていた。少しでも風が出てきたら、すぐに引き返してきなさいとも言われたのを思い出した。こんもりした森はそこに見えている。まだ、朝のお茶にも早い時間だが、急いだ方がいい。どんなに穏やかにみえても、雪国の天気は変わりやすい。帽子を深く被り直して、少し足を早めた。
しばらく歩いて、やっとのことで、ヒサキは、森の入り口にたどり着いた。道はここまで。ヒトが森に入ったような形跡はなかった。
無理もない。
ここの森は、紀元の森と呼ばれる中大陸のほぼ北半分を覆っている広大な森林地帯の一部。精霊の密度が異常に濃く、人間の魔法はほとんど使えず、方位磁石も効かず、未だにまともな地図も無い。樹木の1本でも斬り倒そうものなら、一家親族郎党まとめて七代祟ると言われ、幻の獣が
「ちょっと、お邪魔しますよ……」
一応、ただの気休めとは思いつつ、誰にともなく断ってから、今までより深く積もった雪に足を入れる。道のない森を歩くのは今まで以上に大変だった。木漏れ日が、白い地面に突き刺さったガラスの柱のように見えた。確かに、精霊の匂いは濃い。でも、聞いていたほど恐ろしい感じはしなかった。
ふと、人の声がしたような気がした。
気のせいだ。こんなところにヒトがいるわけがない。
雪が落ちる音がした。
獣か?それとも、本当にヒトなのか?
いつでも、魔法を放てるように、息を殺して、じっと待った。この積雪では、走って逃げるのは難しい。
ゆらり……と、薄暗い森の奥で、人の形をした影が動いた。
「助け……て……」
彼女は、そう言って、どさりと雪の上に倒れ伏した。
「しっかりしろって、おーい!」
倒れた少女は、揺さぶっても目を覚まさない。分厚い毛皮のフードの下から、柔らかそうな茶色の巻き毛が見えた。必死で逃げてきたのか、まだ頬は赤く火照り、息も荒い。命に別状はなさそうだが、弱っているのは確かだ。それにしても、どうしてこんなところに女の子がいるのだ?
「そいつは、その辺に寝かせておいて、手を貸してくれ」
もう1つ、声がした。
「え?どこだ……?」
見回しても、人の姿はない。きょろきょろしていると、突然、背中に何かが飛びついてきた。
「うわああああ」
「ここだ」
肩の上に、雪のように真っ白なウサギ。しかも、しゃべっている。厳密には精霊を介して思念を音声化しているようだが、とにかく普通のウサギにできる所行ではない。
「ちょっと待って、本当にどういうことなの、これ……」
「説明してやりたいところだが、今は待て。お前、魔法使えるな」
「一応……」
「よし、人間。あの薄汚い雪だるまを
彼女――声からして多分――は、短いウサギの前足で、びしっと指さした。
その先には、かろうじて人型に見える不格好な怪物が2体、ふらふらとおぼつかない足取りで近づいて来ていた。そいつらを牽制するように灰色のオオカミが2匹。雪だるまが、バランスの悪い長い腕を見境無く振り回す。まるで大仰な酔っ払いだ。オオカミたちは、やけくそ気味な暴力から器用に身をかわしつつ、低い姿勢で唸った。
「2人とも、もういい。こっちに任せろ!」
ウサギの言葉に、オオカミたちはこちらを一瞥し、くるりと一瞬で方向転換して森へ消えた。幻だったのではないかと思うくらい、素早い動きだった。
「任せろ……って……」
ぼやきつつも、魔法を起動。天空から、精霊たちが舞い降りてくる。
「珍しい魔法だな」
ウサギが感心したようにつぶやいた。
「まあね」
轟音とともに、季節外れの雷が迸り、2体の化け物を襲った。雪男は、あっさり跡形もなく消滅した。少しは腕が上がったかと一瞬浮き立ったが、そんなわけはない。いくらなんでも、呆気なさ過ぎる。
「
雪の上には、化け物を操っていたのであろう呪句の断片が漂っていた。そこから、大元をたどることはできそうだ。
「分かっている。討ち逃してしまったのだ」
応えたウサギの声からは悔しさがにじみ出ていた。
「探す?」
「いや。今はいい。ありがとう、助かった」
ウサギは、肩から飛び降りて礼を言った。
何処かに隠れていたオオカミたちが、慎重な足取りで戻ってきた。まだ、鼻をひくつかせ、耳を動かして、あたりを警戒している。ウサギはオオカミに駆け寄り、何かを話しているかのようにみえた。それにしても、ウサギとオオカミが親しげに寄り添っているのは、不思議な光景だった。それ以前に、あのウサギ、オオカミに命令していたような。やはり、紀元の森は恐ろしいところだ。
話が終わったのか、オオカミたちは何事もなかったかのように向きを変えて、森の奥へと帰って行く。別に親しいわけでも何でもないが、何となく手を振って見送った。
「面倒ついでに、人間よ、あの娘をヒトの街まで連れて行ってやってはくれないか?」
「いいけど、君は……?」
「もちろん、ついて行く」
安請け合いしたものの、気を失った女の子を運んで雪道を行くのは、想像以上に難儀な道のりだった。途中で出会ったおじさんに手伝ってもらって、何とか神殿にたどり着いたのは、昼食の時間が終わろうかという頃だった。
Farsphere 古樹沙悠 @furusayu
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