第5話 呪いの森の白雪の魔女 巫女と魔女5

 ヒトの領域が近づいてくると、だんだんに木々の密度が低くなってくる。町に近づきすぎて姿を見られるのは嫌だし、非力な少女を連れて長く地上を歩くのもめんどうだ。待ち伏せされている可能性も考慮に入れておかねば。

 ソフィアは、樹木がまばらで平らそうな場所を選んで、少女を起こさないように、いつもよりも慎重に着地した。眠っているスーリンを下ろして、ヒトに姿を変える。雪も風もすっかりやんで、真っ青な空が広がっていた。だが、油断はできない。この季節、空模様の変化は気まぐれだ。

 スーリンが目を覚ますのを待つ間に、近くのオオカミ集団に救援を寄越してくれるように頼み、眷属けんぞく通信精霊メッセージを飛ばしておく。そういえば、こないだの一件もまだ知らせていなかった。また怒られるんだろうなあ。連絡が遅い、顔を見せろって。別に嫌いなわけではないけど、古い知り合いというものは、何かとわずらわしい。

 むくりとスーリンが起き上がった。


「目が覚めたか?」


 呼びかけたが返事がない。


「おい……?」 


 少女は、何をするでもなく、ただぼんやりと立ち尽くしていた。あれほどにクルクルと変化していた表情がうつろに凍りついている。光の加減で深く落ちた影のせいか、やつれた顔が干涸らびた死人のようにも見えた。

 様子がおかしい。

 おかしいのはスーリンだけではない。視界のあちこちで積もった雪が動き出す。見えざる手が雪を積み上げ、削り、くっつけ、人に似た形ができていく。四方見渡す限り、同じものが何体も何体もの草の芽吹きのように白い地面から生えてくる。予想はしていたが、ここまで来て、厄介なことだ。

 背中にスーリンを守りつつ、ソフィアはあたりを見回した。

 白い人形たちがゆらゆらと動き出す。

 スーリンを追いかけていた奴らよりも急ごしらえで、造作がずいぶん雑。その分、数がものすごく多い。どうせ、こいつらに知能は無い。闇雲な暴力に策など不要。一気に強行突破するのみだ。

 そっちが雪だるまなら、こっちは雪玉だ。空気中の水蒸気と雪を混ぜてヒトの手のひら大の雪玉を大量に生成して高速乱射。おもしろいように当たる。避ける知能もないただの操り人形。運良く白い弾幕を抜けて殴りかかってくる輩は氷魔法で作った剣でぶった切る。


「走れるか?」


 少女の反応はない。この騒ぎの中で無表情に突っ立っている。担いで運ぶか、正体がばれるのを覚悟で飛ぶか。

 スーリンを殴りつけようとしたやつの腕を切り落とし、肩口から腹に掛けて両断。後ろから来るやつも一刀のもとに真っ二つ。まるでそこに何もなかったかのように、はらりと粉雪になって舞い散ってしまう。全然手応えがない。ふわふわの雪を切っている。


「お待ちしておりました」


 声がした。

 雪人形の残骸が舞う先に、ヒトらしき姿が見えた。 

 自分の倍はあろうかという背丈のスノーゴーレムを従え、ぼろぼろの黒っぽい外套をまとった小柄な男。初めて見る顔。

 ヒト族じゃない。


 魔族――「底の世界」と呼ばれる異界から来た連中だ。


「おまえが、こいつらの親玉か」


 問いつつも、近づいてくる人形を切りふせる。邪魔だ。


「うかがっていた通りですな。美しくも恐ろしい銀の竜姫どの」


 意識の奥がちくりと痛む。


「あいつらの仲間か」


 男は無言で、しわの目立つ口の端をわずかに上げただけだった。それが肯定の意なのだろう。わざわざ、やつらと同じ呼び方をしてくるのが癪に障る。好き勝手に呼びやがって。

 ゴーレムたちは完全に動きを止めていた。ソフの方も弾撃魔法を一時停止する。やつらが動くそぶりを見せれば、即座に再起動できる。


「何が目的だ。スーリンの聖剣を奪ってどうする?」

「その剣は、手段に過ぎません。われわれの目的は、あなたご自身ですよ、竜の姫」

「訳がわからん。私を滅したところで、何の得もないぞ」


 何なんだ。こいつら。

 この世界の倫理に反するようなことをした覚えはないし、ヒトの大好きな金銀宝石をため込んでいるわけでもない。森の奥で、何をするでもなく怠惰に暮らしているソフの命を奪ったところで金にも名誉にもなりはしないのに。たぶん。


「滅相もない。この哀れな老いぼれに、そんな力がありましょうか。老いぼれと一緒に来てくださるだけで良いのです。もちろん、そちらのお嬢さんの命は保証いたします」


 口調こそ惨めったらしいが、その実は脅迫と挑発。ずっとそうだ。馬鹿丁寧で穏やかな口ぶりで、じりじりとこっちの怒りを煽ってくる。嫌な奴。


「いきなり人んちを襲撃するようなとんちきの仲間が信用できるか」


 スーリンを傍らに庇い、攻撃を開始。留めていた雪玉を鋭利な氷の刃に作り替え、一気に小男へ撃ち込む。ゴーレムたちが防壁になって、初撃は通らない。木の高さほどの半円形の氷刃を形成。防壁もろとも斬り砕く。粉々になった雪人形と木々の残骸の向こうに男の姿はない。周囲の全てが真っ白に凍り付き、空気までもが結晶となって日の光にきらきらと煌めいていた。残っていたゴーレムたちも氷の彫像のように動きを止めた。


「大丈…夫…………?」


 腹に衝撃を感じた。

 スーリンが虚ろな顔のまま、いつの間にか両手に剣を握りしめている。聖剣は刃の根元まで、ぐっさりとソフィアの脇腹に突き刺さっていた。

 剣に刻み込まれた魔法が発動。身体を定義している部分を浸食していく。自分の存在がぎゅうぎゅうに握りつぶされ、窮屈な器に無理矢理に詰め込まれる感じだ。

 凍っていた雪人形の1体が硬い音を立てて割れた。そこから、ヒトならざる異界の人形使いが姿を現した。かなり負傷し、泥と血でぼろがさらに小汚くなっている。それでも、まだ余裕が見える。さすがに強かだ。


「あなたも、これを食べてくださっていれば、もっと楽だったのですがね」


 男の掌の上には小さな紙包み。見覚えがある。スーリンがニコニコして食べていたやつだ。


「あ……」


 あめ玉に魔法を仕込んでいたのか。

 今更気がついた。

 スーリンは迷っていたわけじゃない。この男に操られ、導かれていたのだ。おそらく、ソフィアの住処の湖へ。

 姑息なとこをする。

 要するに、まんまと欺かれ、おびき寄せられたのはソフィアの方だ。オオカミたちの頼みを断れないことも、ヒトの少女を見捨てることができないのも見通されていた。忌々いまいましい。一番のばかものは自分じゃないか。


「あなたのおかげで、こちらも人手不足なもので。お嬢さんにお手伝いいただいたまでです」


 抵抗する間もなく、雪男の太い腕に乱暴に雪の上に引き倒された。数体がかりでねじ伏せられて、身動きが取れない。

 まずい。

 あの時より、剣に残っている魔法の効力がきつい。

 本体の竜に戻ることはできなくなってしまったし、この人間の姿もいつまで保っていられるかわからない。とにかく、スーリンだけでも逃がしてやりたい。騙されて巻き込まれた小さきものが、こんなところで死ぬのは理不尽だ。

 ゴーレム使いがスーリンを操るためには、何かしらの条件があるはず。一つは彼女が魔法入りのあめ玉を食べること。あと、推定だが、彼女が眠るか意識を失うかしているとき。旅をしていたという期間の割に、異様にやつれていたのは、眠っているはずの時間も歩き続けさせられていたからだ。だから体力を余計に消費しているし、休んでいたつもりでも休めていない。あめ玉には睡眠導入薬が仕込まれているのだろう。

 呪縛から解放されれば、きっと自力で逃げられる。

 何とかして、目を覚まさせなければ。 


「起き……」


 かちかちに凍った雪に顔を押しつけられて口を塞がれる。

 幸い、限定的ではあるが、まだ魔法は使える。訴えるべきは暴力だ。

 身体の下で魔法を起動。地面から生えた氷の刃が、自らの身体ごと雪人形を貫き砕く。多少は再生できるが、思ったより痛い。凄く痛い。なんで2度もこんな目に遭わないといけないんだ。痛感遮断。冷たいくびきから逃れ、真っ先にゴーレム使いを狙う。魔法の乱射はもう無理。どうやら敵も条件は同じのようだ。スーリンと最初に出会った時より、ゴーレムが明らかに弱体化している。あの時のやつらだったら、今のソフィアでは完全に屈服していた。

 魔法で形成した氷剣に残った魔力をめいっぱい圧縮する。

 近接戦で直接ぶった切ってやる。

 渾身の力で振り下ろした刃を小柄な男は粗末な小刀で防ぎ止めた。ヒトの身に封じられているとはいえ、竜の膂力を受け止めるとは。


「その状態で、まだ抵抗なさるのですか……」


 呆れたように異界の男が言う。


「そっちこそ」

「任務失敗は命に関わりますので」


 わらわらと雪人形たちが寄ってくるが、その動きは鈍重で、心許ない。繰者の男の息も荒い。防ぎきれないと悟ったか、剣を引いて身を翻す。ソフの方は、つんのめりそうになりながらも、踏みとどまって、低くもう一薙ぎ。

 剣の軌跡の先にいたのは愚鈍な雪人形だけ。避けられた。

 見た目に反して、身軽な奴だ。


「お願いですから、姫」

「黙れ!おまえら、絶対信用できないからな!」


 今度は敵の方から仕掛けてくる。向こうは時間さえ稼げばいい。剣撃を交わしている間にも「聖剣」の魔法は、ずっとソフの存在を侵攻していく。ヒトの姿が崩れてしまうのも時間の問題だ。これ以上小さくなったら、どうにもならない。周りをうろうろしていたゴーレムどもは、いつの間にか雪に戻っていた。向こうも必死なのだろう。

 幾度ともないの打ち合いの末、後退していた男が何かにつまづいてよろめいた。

 木に頭をぶつけて倒れたところに速攻で斬りかかった瞬間。

 疾風のごとく、赤いものが飛び込んできた。


「何やってんのさ、イゴール」


 真っ赤な羽毛の鳥……ではない。くちばしではなく、開いた口にずらりと牙が並ぶ。翼と別のかぎ爪の付いた前肢、後肢は片方欠けている。目も片方。ソフィアたちとは系統の違う竜の眷属だ。次から次へと、とんちきが増える。鬱陶うっとおしい。


「あんたが、お姫様?」


 鳥の竜は、剣を構えたままのソフに、ずいと首を近づけた。


「エイウィス、近づいてはダメです!」


 慌てて、ゴーレム使い――イゴールが叫んだ。


「あ、そっか。あたしも小さくなっちゃう」


 少女の声の赤い鳥竜は、あざけるように笑って素早く後ろへ飛んだ。

 この騒ぎでもスーリンは動かない。どういう神経をしているんだ。それほど強力な睡眠作用が仕込んであるということか。

 焦燥感がつのる。

 小生意気な鳥の竜の相手をするのは、さすがに辛い。

 小男の方はほぼ潰したし、今、逃げるしかない。

 剣に形成していた魔法を解体。千切れかけていた片腕も切り離し、魔力に変換。合わせれば、かなりの攻撃力になるはずだ。

 氷撃魔法を起動。氷混じりの極低温の嵐が赤い竜とゴーレム使いに襲いかかった。

 意識のないまま突っ立っていたスーリンを抱え、森の出口へ向かって走る。魔法の嵐が吹き荒れるのはほんの数分だし、ヒトならざるもの相手では、多少の足止め程度だろう。やつらの目的がソフィアなのなら、スーリンだけ逃がせれば、それでいい。あんな連中をヒトの町へ入れるわけにはいかない。


「起きろ!!スーリン!!!」


 適当なところに下ろし、今まで出したことのないくらいの大声で叫んでみたが、ぴくりともしない。

 すまないと思いつつ、頬を強めに叩いてみる。

 だめ。

 もっと、強い刺激が必要だ。

 1本、魔法で若い小枝ほどの細い刃を形成する。

 人の体で、傷をつけても命に関わらないところはどこだ?

 頭上から羽音、木々の向こうにゴーレムの姿が見える。連中、さすがにしぶとい。

 無垢な少女の身体に傷をつけるのは、激しく躊躇ためらわれた。でも、今はこれしか思いつかない。心を決め、スーリンの左手の手袋をはぎ取り、手の平を思いっきり貫いた。


「いやあああぁああ!」


 少女が金切り声で泣き喚いて、目を覚ました。

 スーリンは、傷ついた手を庇い、這うように後ずさった。驚愕にまん丸く見開かれた目が、ソフィアを捕らえた。ぽたぽたと赤い血が白い大地にシミを作る。

 どんな姿が、少女の目に映っているのだろう?

 逃げろと叫びたかったが、もう、少女に聞こえるような人間の声は出せなくなっていた。


「いや……た…助けて……」


 震えていた少女がはっと顔を上げて息を飲んだ。追っ手の雪人形、救援に駆けつけたオオカミたちの姿を見つけたようだ。怯えて泣き出しそうだった顔が、キッと引き締まる。あたりを見回し、傍らに落ちた手袋を拾って走り出した。


 それでいい。

 彼女が町にたどり着くまで、もう少し、がんばるか。

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