15.一房の髪に再会を願う


 お嬢さまの体が温まって呼吸が規則正しくなってから、私は願いを申し出ました。


「髪を一房ひとふさいただけますか」

「それだけ?」

「はい。再会の願掛けだと聞きました。それだけが私の望みです」

「つまらないわね、……ゴホッ」


 乾いた背中を撫でる私の手に咳が響きます。ようやく治まると口のはしを上げて微笑みました。


「いいわ、好きになさい」

「はい、ありがとうございます」


 喜びを胸にお嬢さまの髪を撫でていますと、寝息が聞こえはじめました。二人だけの静かな夜に聞くお嬢さまの寝息は幸福の音です。耳をかたむけるうち、いつしか私も眠ってしまいました。


 明け方、寒さを感じて目を覚ますと腕の中のお嬢さまが冷たくなっていました。信じがたいことでしたが、唇に耳を近付けても静かなままです。

 混乱しましたが、第一にお嬢さまのことを考えなくてはなりません。お嬢さまの名誉のため、通い婆が来る前にお嬢さまとお嬢さまの部屋から私のものが何一つでないよう片付けました。


 そうして、昨夜お許しいただいた一房の髪をハサミで切り、手ぬぐいに包んで懐にしまいました。目を閉じているお嬢さまの白い頬はいつもどおり美しく輝いています。何も考えられずどうにもできないまま、もう開くことのない冷えた唇に何度も口づけました。


 冷たい水で顔を洗って涙を拭い、お嬢さまのことを伝えるためにお屋敷へ急ぎます。朝餉あさげの支度中だった台所へ飛び込み、女中たちへお嬢さまのことを伝えまと女中頭が婿さまへ知らせにいき、騒がしく家の中が動き始めました。

 そのあとは慌ただしく、棺桶を頼んだり菩提寺へ知らせたり、あちらこちらと用事に走ります。葬儀の準備が整うまでお屋敷に戻れないお嬢さまと二人、小さな家で静かに夜を過ごしました。


 とうとうやってきた葬儀の日、痩せて軽くなったお嬢さまを棺桶の中に入れて蓋を閉じ、下男と二人でお屋敷まで運びました。お嬢さまにただの一度も会いに来なかった婿さまは、盛大な葬儀を開いてたくさんのお客様のお相手をしていました。少し大きくなった坊ちゃんのそばにいる女性が、女中たちの話に出てきた婿さまのお相手なのでしょう。


 私はもちろん葬儀に出られませんから、下男と一緒に裏で働きます。お嬢さまのためにできる最後の奉公だと思い、何一つ落ち度のないよう懸命に務めました。


「もう奥方のつもりらしいわ。すまし顔で挨拶まわりなんかしちゃってさ」

「ああいう図々しいのがうまいとこもってくのよ」

「坊ちゃんだって、旦那さまとあの人の子供だって聞いたよ」

「こうなっちゃうとお嬢さまも気の毒だったわね」


 台所で忙しく働きながら口もせわしなく動かす女中たちの話を聞き、お嬢さまはすべて知っていたからあんなに結婚を嫌がったのかもしれないと悲しくなりました。


「あんたはどうだったの? お嬢さまとさ」


 女中が私から何か聞き出そうと期待した目で私を見ます。いつもなら焦ったかもしれませんが、お嬢さまが亡くなってから麻痺したような私の心は少しも動きません。


「気に入らないとぶたれていました」

「それじゃ、今までと同じじゃない。他になにかあったんじゃないの?」

「雪玉をぶつけられました」

「変わんないわ」

「はい。変わりありません。旦那さまのこと、知っていたのかもしれませんね」

「あぁ、そうかもねぇ。八つ当たりもしたくなるわ、家を乗っ取られたんだから」


 私とお嬢さまのことは誰にも知られてはならない、知らせたくない2人だけの秘密です。そのあとも続く女中たちのお喋りを聞くともなしに聞き流し、葬儀が終わるまで立ち働きました。


 葬儀のあとはいとまごいをして、令状にあった入営部隊所在地まで汽車に揺られて行きました。

 そのあとは言われた通りに動くだけですし、特に何もありません。実際の戦いも最初は怖ろしく思いましたが、これでお嬢さまの元へ戻れると思えば覚悟も決まります。早く約束を守りたいのですが、なかなか機会が巡ってこないまま大陸を移動し、今は奉天へ向かっています。露西亜ロシアの大部隊がいるらしいと同じ部隊の者が言っていましたから、今度こそお嬢さまのもとへ行けるかもしれません。


 閉じた目の中では美しいお嬢さまが意地悪な桜色のほほえみを浮かべ、白い手に私をぶつ木の棒をにぎっています。

 私は胸ポケットに入れている艶やかな黒髪を手に取り、再会を願って口づけました。




 終



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お嬢さまとカブラ 三葉さけ @zounoiru

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