正義

若子

正義

 むせ返ってしまいそうなほどに濃い鉄の匂いが一気に肺に詰め込まれた。視界には足元に広がっている赤い血溜まりと、そして動かなくなった複数の敵の死体が映り込む。顔に飛び散った敵の血を手で拭って、俺は大きく息を吐いた。

「勇者様!」

 傷を癒やし、時には邪悪な力をはらう聖なる力を持っている仲間が、目に涙を浮かべ、こちらへと駆け寄ってくる。

「やっと、終わったのですね」

「ああ、終わった。俺達の役目は、これで」

 そう、終わった。ようやく終わった。ようやく俺達を脅かす敵は、大方いなくなる。汚染された空気は段々と浄化され、自然が蘇っていくことだろう。もう村を襲撃されることも無いはずだ。俺達の住む場所を奪い続けて、殺しを幾度となく行ってきたやつらの最高指導者は、もういない。計画的な、口に出すこともはばかられるような酷い虐殺は、もうこれで、きっと、行われない。

 死闘が終わって、どっと疲れが押し寄せてきた。それと同時に、戦いの中では気にならなかった傷の痛みを感じた。顔をしかめると、それに気付いた彼女は慌てて俺に治癒魔法をかけてくれる。

「ありがとう。助かるよ」

「これが私の仕事ですから。……きっと、これが最後の仕事です」

「……ああ、そうだな」

 これが最後の戦いになるのだと、信じたかった。もう、悲劇を繰り返されるのはごめんだ。

 少し周りを見れば、数々の戦いを共にしてきた二人の仲間が、欠けることなく立っている。二人とも疲弊しきっている様子だったが、その目には力強い光がともっていた。

この仲間たちと共にもう戦うことはないのかと思うと、少しだけ寂しい気持ちを感じる。が、それで良い。それで良いのだ。俺達が動くことのない平和な世界のほうが、戦いのない平和な世の中のほうが、良いに決まっている。

 懐から紙とペンを取り出して、戦いが終わった旨を簡単に書き、俺達の国へと伝書鳩を飛ばす。そうして、仲間達へと向き直った。

「……帰ろうか。俺達の国に」

 願わくば、一生続く平和を。悲劇など起きないような、天国のような場所を、この世界に。





 国へと帰れば、どこから話を聞いたのか、たくさんの国民たちが俺達の帰還を待っていた。浴びせられる数々の称賛の声に、ああ、俺達は皆を守った、守れたんだという気持ちが沸き起こる。達成したという満足感と、背負わされていた皆の期待からの開放。なんだか、今から走り回ってしまいそうな、叫びだしてしまいそうな、そんな浮ついた気持ちだった。

 とりあえず一日は休み、上の人達には明日に直接報告をしようという話となったので、ひとまず自分の家へと帰ることとなった。

「ただいま」

 そう言ったが、しかしなんの返事も返ってはこなかった。当たり前だ。この家には誰もいないのだから。……勇者としての俺を待っていてくれる者が大勢いるとしても、俺個人を待っていていてくれる者は、もうこの世にはいないのだ。

 家族は、俺が住んでいた村の者達はあのおぞましい敵に殺された。俺達はなんの罪も犯していないというのに。ただ、慎ましく、農業を営んで暮らしていただけなのに。

 悲劇は、突然やってきた。

 あちらこちらで火の手が上がる。すうと息を吸えば、肺が焼けてしまうようだった。耳には絶えず誰かの悲鳴が入り、上から降ってくる敵の魔術は、全てを燃やし尽くしていった。村の外に逃げていった者ら外で待ち構えていた奴らに殺された。俺をかばって死んでいった親の顔。「逃げて!」という悲痛な叫び。荒い呼吸。視界に映る緑の葉。敵に追いかけられながらも、無我夢中で森の中を走った足の痛み。あのときの光景は、忘れられず、今もなお鮮明に脳裏に焼き付いている。

 あのとき、俺達を助けてくれるヒーローのような存在がいてくれれば、と何度も思った。しかし現実では、そんな存在はどこにもいなかった。自分の身は、自分自身で守らなければいけない。たとえ、どんなに幼くとも。非力であっても、強くならねば、自分も、守りたいものも守れはしない。

 ……だから、皆のヒーローに。勇者と呼ばれる存在になってやろうと思った。自分の身は自分で守らなければならない。幼い子どもにそんなことを思わせない世界を作りたいと思った。なし得ることが出来ただろうか。いいや、まだだ。敵の残党がまだ残っている。安心はできない。根絶やしにしなければ。もう二度と、我らに歯向かおうなんて思わないほどに……我々の平和のために。


 次の日。朝起きれば、強い光が緑を照らし、朝露に濡れた葉がきらきらと輝いていた。寝汗をかいた体に、少しぬるい風が心地良い。正装をして仲間と合流し、王のもとへと向かった。

「帰還しました。我らが王よ」

「ああ。此度のヒューマン族の長の討伐、真に大儀であった」

「もったいないお言葉にございます」

 俺たちの国は魔族ごとに形成された国がまとまって出来た、連合王国である。ゴブリン、オーク、エルフ、ドワーフ…それぞれの国の王がそれぞれの玉座に並んで座る謁見の間。そこで俺たちは、膝を折り頭を下げる。

 話しているのは、このメンバーのまとめ役をしている俺と同じ種族の、ゴブリンの王だ。

「長い旅路から帰ってきたばかりのそなたたちにまた命じるのは気がひけるのだが……昨日、ヒューマン族の残党たちがとある村に逃げ込んだという知らせが入った。既に連合軍を出動させており、逃げ込んだばかりではまだあちらも戦う準備など出来ないだろうが……どうにも、胸騒ぎがしてな。行ってくれるか?」

「ご命令とあらば、直ぐに向かいます」

「うむ、期待しているぞ。着いたら、軍の指揮官と話し合って動きを決めてくれ」

 そう言い終えると、近くに立ってた騎士が俺達を外に促す。それに従い出れば、そこにはエルフが一人立っていた。

「こんにちは、勇者御一行。私は転移魔法を得意としている者です。村の近くまで移動しますので、準備が整いましたら私にお声がけください」

「転移魔法?」

 仲間の一人であるエルフが転移魔法という言葉に反応する。この世界には火、水、風、木属性の魔法に、神聖魔法、空間魔法があり、転移魔法は空間魔法に属するものだ。空間魔法は使う魔力量が多いため、基本的に長命なエルフしか使えず、そのエルフの中でも使える者は少数に限られる。

 目を輝かせ、今にも質問攻めをしようとしている知的好奇心旺盛な仲間の頭をぐっと掴んだ。

「帰ってからにしろ」

「ええー……あ、じゃあ今我慢するから、帰ったらそれに加えて魔術の研究もしていい?」

 俺に許しを乞うているのでは無いということは直ぐに分かった。この男は魔術を研究するために、俺に協力してほしいのだ。基本的に研究することも、使用することも禁止されているヒューマン族が使う魔術は、王達の許しがなければ触れられない。知的好奇心の高いこの男がそれを守っているとも思えないが、公式に認められて堂々と研究をしたいのだろう。何度もこの手の質問をしてくる男だ。ここで拒否をしたところで諦めはしないだろう。それに、隠れて研究をするとしてもそれが見つかって捕まれば目も当てられない。

「……帰ったら王に口添えをしよう」

「まじで!?やったー!」

「……え、えと、止めないのですか?」

 かなり引いている様子の治癒魔法使いの彼女はそう言う。魔術を追い求め、そして自然に害をなしていったヒューマン族は、はるか昔に種全体で魔法を使うことができなくなってしまった。

 魔法とは、自然にいる精霊たちへの懇願。種全体で自然に悪影響を為してきた奴らは精霊たちの怒りに触れ、魔法を使うことが出来なくなってしまったのだ。我々が魔術に触れることを禁じられているのは、精霊たちの怒りに触れないためである。この世界を形作っている精霊たちに嫌われれば、魔法を使えないことはおろか、森に入ることはかなり危険なこととなる。そして、今でこそヒューマン族だけが嫌われているが、我々もとなると……憎悪の対象がかなり増えることになると、精霊たちはどのような行動に出るだろう。知的生命体全てを殺そうとするだろうか。

「……もし暴走したら、俺が殺すさ。俺が生きているうちはな」

 そう言えば、その仲間は「目がマジなんだよ怖えよ……」と呟いていた。当たり前だ。俺は魔術が大嫌いなのだ。たとえ我々にとって良いものがあるのだとしても。魔術は、きっと一生、好きになることはない。

 準備を整え例のエルフに近くまで送ってもらう。帰りは軍とともに帰ってくれということだった。少し周りを見れば、色々な種族が入り交じる軍の前衛部分が見える。その中のひとりがこちらへと近づき、敬礼をした。

「勇者様、指揮官がお待ちです。ご足労願えますか?」

「わかった」

 俺達が来ることはもうこの軍の全ての者達が知っているのだろうか。さすが、情報の伝達がしっかりと行われているなと思いながら、その者の案内に連れられて指揮官のもとへと向かう。

「これはこれは、勇者様方。この度はお力添え感謝いたします」

 皮肉げな笑みを浮かべながら、指揮官は俺達にそう声をかける。指揮官は、エルフであった。まあ、一番寿命の長い、頭のいい種族だ。適材適所というやつだろう。

「こちらこそ。貴殿らと共に戦うことが出来て光栄です」

 心にもないお世辞を言い合った。相手は不満を隠そうともしていない。自分たちだけで十分やっていける。王達はそんなにも我々のことを信用していないのか……といったところだろうか。指揮官を任されるほどの存在だから、自分個人の感情を優先させることは無いだろうが、しかしやりにくい。

「はやく作戦の話へといきましょうよ。残党があの村に入りこんだのでしょう?急いだほうが良い」

 不満を隠そうともしない指揮官に向けて、軽い口調で言い放ったのは知的好奇心旺盛の仲間だった。無礼だ、とも取れるその発言に少しだけひやりとしたが、気を害したわけでもなく、その指揮官は村周辺が描かれている地図を開き、とん、とある一点を指し示す。

「貴殿らには森の近くで待機をしてもらう。火を派手に使うから、森へと燃え移らぬよう水魔法を使って防いでくれ」

「……それだけですか?」

 もっと作戦内容を話したりだとかあるだろう。既に作戦を決めているのだとしても、それを俺達に話すべきじゃないのか。

「森を守ることは何より大事なことだろう。それとも、もっと華々しい大役をお望みか?」

「いえ、そういうわけでは」

「ならばもう良いだろう。そちらの仲間が言ったように、時間が惜しい。貴殿らに作戦の詳細を教えるメリットはあるか?」

「……いえ」

 何人かそちらへヒューマン族が行くかもしれないから、そちらで処理してくれ。そう付け加えて、俺達はその場から追い出された。




「なんだよあいつ!」

 指定された場所へと行き、仲間がそう吐き出す。既に作戦は開始されているらしく、村の方からは煙が立ち上っていた。

「まあ、明らかに俺達はこの作戦にいらないからなあ。王達も何を考えているのやら」

 そう言って、俺は周りを見回す。精霊に嫌われているヒューマン族は森へと逃げ込まない。もし仮に逃げ込んだとしても、逃げ切れるとは全く考えていないのだろう。ちらほらと軍の者が配置されているが、かなり手薄であった。

 もし森に逃げられても、確かに警戒はしていたのだ。防ぐことが出来なかったのは仕方ないと言い訳をするための手薄い配置。……火を食い止める以外に、ほとんど仕事のないこの場所に俺達は追いやられたのだ。作戦の内容も伝えられないし、ひどい扱いである。

「一言ガツンと言っておくべきでした。何故そうしなかったのですか?」

「話を長引かせるのも面倒だったからなあ……それに、魔力の察知はこいつが出来る。火魔法をどう使っているのか分かれば、作戦の内容は察しがつくしな」

「はいはいやってますよっと……空中に多数。そこから……」

 ふと、村の方からこちらへ誰かが走ってくる音が聞こえた。仲間の顔に緊張が走る……が、直ぐにその緊張が溶けた。走る音が、戦いを学んだ者のそれでは無かったからだ。

「ただの一般人だろ。軍の奴らに任せても良いんじゃないか?」

「馬鹿。そうもいかないだろ。真面目にやらないと王に口添えしてやらないからな」

「それは勘弁。これだからこの勇者は……んや、お前の場合は私怨もあるか」

「任務に差し障りがなければいいだろう」

 そう言って、村の方を注視する。親子だろうか。大人が子の手を引き、こちらへと走ってくるのが見えた。

 剣を抜き、構える。仲間達は戦闘の準備はしているものの、全く緊張をしていないようだった。まあ、先日激しい戦いをしていたばかりだったから、仕方のないことなのかもしれない。後で小言だけ言っておこうと考えて、前を見据える。距離がだんだんと近づいてきた。あちらも俺達の存在に気付いたらしく、その顔には畏怖の感情が浮かんでいた。しかしその足が止まることはない。

「目を閉じてください!」

 言われたとおりに目を閉じれば、まぶたの向こう側が明るくなった。神聖魔法の一つ。強い光を発する魔法。目くらましに使われるこの魔法を使うほどの敵だろうか……そう考えて、自分もあの者たちを侮っているのだな、と気づき、気を引き締めた。

「……あいつら、魔法のコントロールがなってねえな。空中から森に一発入った。消しに行くから、俺は抜けるぜ」

「分かった。二人で何とかしよう」

「無いとは思うが、しくじるんじゃねえぞ」

「分かっているさ」

 言いながら、俺は走り出した。目くらましの魔法を受けても、奴らの足はなお止まらない。鍛えてもいないのに。見上げた根性だなと思いながら、まずは子どもをと剣を振るった。鮮血が舞う……が、しかし切ったのは子ではなく、親の方だった。

「そのまま走って!こんな化け物に捕まらないで!」

 とっさに子をかばった親はそう叫ぶ。姿形が違うだけで、自分たち魔族を化け物だというこのヒューマン族の者に、吐き気がした。お前たちがこんな考えを持っているから、悲劇は起きるのだ。こんな考えを持っているから、対立が起きるのだ。お前たちさえ居なければ、悲劇が起きることなど……

 もう一度剣を振るって、この者の足を切る。後は仲間がやってくれるだろう。素早い子どもは、足の早い俺が始末するのが良い。そう考えて、固まって動かない子に俺は近づいた。

「逃げて!」

 親の叫び声に子は弾かれるように森へと走り出した。反対に、俺は硬直した。数泊置いて、子が森へと侵入していくのを見、俺は慌てて追いかける。荒い呼吸。視界に映る緑の葉。必死で走る足の痛み。俺は、どこかで、この光景を。

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正義 若子 @wakashinyago

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