すさびる。『彼女の小説』
晴羽照尊
彼女の小説
「ねえ、小説って知ってる」
第一声に、彼女は問うた。いや、語尾が上がっていない。これは、問いじゃない。
ただの独白。そして、それを僕は聞くだけ。なぜなら、それが僕の仕事だからだ。
「あたしは小説ってのが好きで――いや、好きでもないんだけど、とりあえずずっと読んでて、思ったんだ。ああ、なんなんだこれ、って」
淡々としている。上がり下がりがない、平坦な口調。それはまるで、文字の羅列だ。決して、言葉などではない。
「誰かと誰かが恋をした。恋じゃなくても、走ったり叫んだり、なにかを思い切りやりきった。こことは違う世界で、いろんな世界が繰り広げられ、戦って、争って、最後は大団円。近未来も、大宇宙も、それはこの手のひらにあって。身の毛もよじる恐怖がやってきて、誰かが誰かを、驚く方法で殺害した」
キキキキ……と、喉の奥から甲高い笑いを漏らす彼女。そこだけは感情が表出している。はたして、本当かどうか、本物かどうか、彼女自身にも知れていないであろう感情が。
「ああ、なんなんだこれ、って。こんなことあるわけない。それなのに、言われてみればその程度。あたしたちは慣らされる。
やはり、疑問ではない。吐き捨てるような、表情。だが、言葉は変わらず、平坦なまま。
「で、解ったの。人間は、本を読んでいくうちに、どこかで、進化するの。人間から、小説家――語り手へ。小説を読んで、読んで読んで読んで。読んでもなにも感じなくなったら、感じるなにかを生み出したくなる。……だから書いた。あたしは、あたしの小説を、この世界へ」
「それが、あの惨状だったんだね」
僕はようやっと声を挟んだ。これはタブーだ。読者であるこの僕が、作家先生に言葉を向けるなど。まだ、彼女の小説は終わっていないのに。
「違法薬物の服用。それによる感情の高揚も相まって、友人たち十数名で、町中で騒乱騒ぎ、暴行、強姦、終いには殺人まで」
おっと、少々言葉が滑った。
「言葉なんて知らない。だけど、
「そうだね」
僕は笑顔で応えた。暗に先を促したのだけれど、気に障ったのだろうか? 彼女は黙り込んでしまった。
「あの……僕は理由を知りたいのだけれど。……いや、理由というより、動機。……そう。動機をさ」
彼女の小説は、決してミステリというわけではない。……いや知らないけれど。ともあれ、あらゆる小説を読み漁った彼女へなら、少しでも小説で使われそうな物言いをしてみた方が距離は近付くだろう。これも、僕の仕事である。
そのように問うと、彼女はまた、キキキキ……と、鼻の奥を揺らした。確かにもはや人間ではない。そうとまで思ってしまう。そんな、外れた表現方法である。
「だぁから。あたしはあたしという物語を完結させるんだよ。プロットは渡した。あらすじは語った。だから、この先は頼むね。……先生」
「……いちおう聞いておくけれど、君は死にたいわけじゃ、ないんだよね? あるいは、友人を皆殺しにするつもりも、なかったんだろう?」
彼女は僕を先生と呼んだ。ああ、呼ばれ慣れている。しかし、彼女に呼ばれることは、どうにも、慣れない。
そしてきっと、生涯、慣れないだろう。
キキキキ……。という、この笑い声にも。
僕はため息をつき、資料をまとめた。この、凄絶な事件の全貌を。彼女が築き上げた、小説を。
「ねえ、先生。あたしはあたしのやるべきことをやったの。それは義務であって、感情の問題じゃない」
「解ったよ」
僕は、諦めた。
彼女はもう、救えない。十人以上の人間を殺したとなれば。そしてそれを、認めているのだから。もう、死ぬしかない。
彼女の小説よりかはよほど些末で、小さな小さなこの世界では、彼女は死ぬ。そして僕は、そのお手伝いをしなければならない。彼女の言葉を代弁するため。彼女の小説を、代筆するため。
「んじゃあ、よろしくねん。弁護士先生」
面会時間が終わり、彼女は去って行った。死に向かう恐怖など、ないかのように。
ばたん。と、無機質な音が響いて、なぜだか、彼女の耳を突く笑い声が僕の奥底でこだました。
「弁護……ねえ……」
ため息をつく。僕はこれから、僕自身の口で、彼女の小説を読み上げなければならない。そのために、これから当分、その小説を書き、推敲する。それを何度も繰り返すのだ。
「義務であって、感情の問題じゃない……」
彼女の言葉をなぞる。これは僕の仕事だ。それでも、彼女が死ぬころには、もしかして僕の方が死んでいるのかもしれない。この仕事は義務だが、彼女を恐れるこの感情は、そう易々と消えやしないのだから。
だから、やはり彼女は小説家だ。もう、人間ではない。自分の小説のために、友人も、命も、感情も、なにもかも捨てられる。そんなもの、小説家以外のなんだというのか?
すさびる。『彼女の小説』 晴羽照尊 @ulumnaff
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