結
日本。
「なぁんかすげえ懐かしい感じがする」
「みー。何年ぶりだっけ?」
「二年⋯⋯いや、三年か四年から五年⋯⋯⋯⋯どうでもいいやあ」
ミノルがリラックスしたように両腕を伸ばす。やはり生まれの故国は心地良いものらしい。その袖をミミミが引っ張る。
「みー⋯⋯⋯⋯ホテル、いこ?」
◆
「いーのか? 高いだろ?」
「みー。いーのいーの!」
簡素なビジネスホテルではない。観光客向けのお高いホテル、しかもダブルベッドだ。
「うおおおおおおおおお!!!! 白い!! 白いぞこのベッド!!」
微妙な表情のミミミを尻目に、ミノルははしゃぎ倒していた。
「みー。先にシャワー浴びてよ⋯⋯」
死神は手際良くポットの電源を点ける。よく分からない呻き声の返事を黙殺して。死神少女は枕に突っ伏す少年の近くに腰を落ち着ける。
「ミノル」
「なんだよ⋯⋯俺の名前呼んだの初めてじゃね?」
「みーー」
その頭をゆったりと撫でる。かつて幼かった少年にしてあげたかのような、あやすような仕草。成長した少年はいつしかこれを嫌がってしまったけれど、今はそんな素振り一つ見せない。
ミミミもミノルも分かっていた。今日で最後なのだと。
あるいは――――この行為に別の意味を見出すようになったのか。
「みー。お茶、入れるね」
ポットが
「なーミミミー? お前死神のとこに帰っちまうんだろ? 分かってたこととはいえキツぜ⋯⋯⋯⋯俺、一人で生きて行けるかな」
「心配しなくていいよ」
ミミミは言った。
袖に隠し持ったカッターナイフの刃を伸ばす。ミノルからは見えない位置取りだ。傷付けるのは自分の指。即ち、そういうことだった。
「みー⋯⋯どうぞ」
『リスト』の百人目――――その名前は、中川
◆
どうして。
私には最後の時まで理由が分からなかった。
「死神。情念の怪物。罪の意識から裁かれたいという集合無意識から生じた
鏡に向かって説き伏せる。死神は人の想いから生じた。だからこの迷いも、きっと。人に望まれて彼に惹かれたのだ。だから、彼の名前を聞いて、その名が『リスト』にあることを知って、私は。
次だ。
その次だ。
次こそは。
何度も逡巡を繰り返し、遂に百人目まで残してしまった。ここまで来てしまうと、もう言い逃れは出来ない。私は私の存在意義に従って、この初仕事を完遂しなくてはならない。
「ロイドさん⋯⋯ヨゼフ=サンドラだったっけ。これが呪いというやつなのかな⋯⋯」
因果の巡りを、人は『呪い』と呼ぶらしい。
九十九人目を殺せば百人目が来てしまう。だから私は仕事を渋った。その結果、情を抱いてしまった相手を殺す苦しみを知ってしまった。
名前を聞いた時に殺してしまうべきだった。
もっともっと早くに殺してしまうべきだった。
手が震える。指が痛みを拒絶する。吐き気が内側から込み上げた。後悔と諦念。自業自得とはよく言ったものだ。しかし、それでも。それでも私は。
「これが⋯⋯⋯⋯私の初仕事だ」
◆
死神の血はカップに入らなかった。その細い手首を、成長したかつての少年の手が掴み上げていたから。
「ミミミ、お前」
「ぁ、違⋯⋯っ」
殴られた。死神の軽い体躯が派手に飛ばされる。ミノルはカップのお茶をミミミにぶっ掛けた。熱さに少女が唇を噛む。殴られた頬がズキズキと痛む。上げようとした顔を蹴られてうずくまる。
「⋯⋯⋯⋯みー。私、死神だよ?」
けれど、そこまでだった。
いくら不意を打っても、情念の怪物と生身の人間では根本的に身体構造が異なる。逞しく成長した男の肉体が死神の細腕に組み敷かれる。暴れるミノルの顔を、ミミミは何度も何度も殴った。
やがて大人しくなったミノルを見て、ミミミは思った。
まるで、初めて彼に会った時のようだと。
「人間が私に勝てるわけな」
言葉は途中で止まった。左胸にねじ込まれるナイフを見て呼吸が止まる。
「お前、俺のこと何だと思ってんの? 刃物ぐらい考えとけよ。心臓潰せば死神も殺せんだろ?」
ミノルには、死への抵抗感と嫌悪感が欠如していた。全ては死神が世界を連れ回したせいだ。血を飲ませるだけの殺戮を九十九回も目の当たりにして、慣れた。
刃先に灯る冷たい炎を感じた。ミミミは全てを悟った。仕事の前に忠告された言葉を思い出す。
「みー。どうやら私は、情というやつに弱かったみたいだ……」
力が抜けていく。拘束が弱まってミノルが強引に抜け出そうとする。その頭を、死神の両手が包み込んだ。彼女の唇から漏れる鮮血。舌を噛んだのだ。
二人が見つめ合った。旅の終わりだ。運命を感じて、観念して、そして受け入れた。少年は生き残れなかったし、少女の初仕事は見事な失敗だ。
でも、まあ、きっとそんなものなのだろう。それで良いと思えた。
「みー。面白かった?」
「まぁ⋯⋯うん。退屈しなかったか?」
「みー」
口を塞ぐ。ふんわりと広がる鮮血の味。
初めてのキスは――――とびっきり甘い死の味がした。
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