日本。


「なぁんかすげえ懐かしい感じがする」

「みー。何年ぶりだっけ?」

「二年⋯⋯いや、三年か四年から五年⋯⋯⋯⋯どうでもいいやあ」


 ミノルがリラックスしたように両腕を伸ばす。やはり生まれの故国は心地良いものらしい。その袖をミミミが引っ張る。


「みー⋯⋯⋯⋯ホテル、いこ?」







「いーのか? 高いだろ?」

「みー。いーのいーの!」


 簡素なビジネスホテルではない。観光客向けのお高いホテル、しかもダブルベッドだ。


「うおおおおおおおおお!!!! 白い!! 白いぞこのベッド!!」


 微妙な表情のミミミを尻目に、ミノルははしゃぎ倒していた。


「みー。先にシャワー浴びてよ⋯⋯」


 死神は手際良くポットの電源を点ける。よく分からない呻き声の返事を黙殺して。死神少女は枕に突っ伏す少年の近くに腰を落ち着ける。


「ミノル」

「なんだよ⋯⋯俺の名前呼んだの初めてじゃね?」

「みーー」


 その頭をゆったりと撫でる。かつて幼かった少年にしてあげたかのような、あやすような仕草。成長した少年はいつしかこれを嫌がってしまったけれど、今はそんな素振り一つ見せない。

 ミミミもミノルも分かっていた。今日で最後なのだと。

 あるいは――――この行為に別の意味を見出すようになったのか。


「みー。お茶、入れるね」


 ポットがを上げる前に、ミミミが立ち上がった。耳がほんのり赤い。雑な手つきで備え付けのカップに茶葉を入れる。


「なーミミミー? お前死神のとこに帰っちまうんだろ? 分かってたこととはいえキツぜ⋯⋯⋯⋯俺、一人で生きて行けるかな」


 ミミミは言った。

 袖に隠し持ったカッターナイフの刃を伸ばす。ミノルからは見えない位置取りだ。傷付けるのは自分の指。即ち、そういうことだった。


「みー⋯⋯


 『リスト』の百人目――――その名前は、中川みのる







 どうして。

 私には最後の時まで理由が分からなかった。


「死神。情念の怪物。罪の意識から裁かれたいという集合無意識から生じた元型アーキタイプ


 鏡に向かって説き伏せる。死神は人の想いから生じた。だからこの迷いも、きっと。人に望まれて彼に惹かれたのだ。だから、彼の名前を聞いて、その名が『リスト』にあることを知って、私は。

 次だ。

 その次だ。

 次こそは。

 何度も逡巡を繰り返し、遂に百人目まで残してしまった。ここまで来てしまうと、もう言い逃れは出来ない。私は私の存在意義に従って、この初仕事を完遂しなくてはならない。


「ロイドさん⋯⋯ヨゼフ=サンドラだったっけ。これが呪いというやつなのかな⋯⋯」


 因果の巡りを、人は『呪い』と呼ぶらしい。

 九十九人目を殺せば百人目が来てしまう。だから私は仕事を渋った。その結果、情を抱いてしまった相手を殺す苦しみを知ってしまった。

 名前を聞いた時に殺してしまうべきだった。

 もっともっと早くに殺してしまうべきだった。

 手が震える。指が痛みを拒絶する。吐き気が内側から込み上げた。後悔と諦念。自業自得とはよく言ったものだ。しかし、それでも。それでも私は。


「これが⋯⋯⋯⋯私の初仕事だ」







 死神の血はカップに入らなかった。その細い手首を、成長したかつての少年の手が掴み上げていたから。


「ミミミ、お前」

「ぁ、違⋯⋯っ」


 殴られた。死神の軽い体躯が派手に飛ばされる。ミノルはカップのお茶をミミミにぶっ掛けた。熱さに少女が唇を噛む。殴られた頬がズキズキと痛む。上げようとした顔を蹴られてうずくまる。


「⋯⋯⋯⋯みー。私、死神だよ?」


 けれど、そこまでだった。

 いくら不意を打っても、情念の怪物と生身の人間では根本的に身体構造が異なる。逞しく成長した男の肉体が死神の細腕に組み敷かれる。暴れるミノルの顔を、ミミミは何度も何度も殴った。

 やがて大人しくなったミノルを見て、ミミミは思った。

 まるで、初めて彼に会った時のようだと。


「人間が私に勝てるわけな」


 言葉は途中で止まった。左胸にねじ込まれるナイフを見て呼吸が止まる。


「お前、俺のこと何だと思ってんの? 刃物ぐらい考えとけよ。心臓潰せば死神も殺せんだろ?」


 ミノルには、死への抵抗感と嫌悪感が欠如していた。全ては死神が世界を連れ回したせいだ。血を飲ませるだけの殺戮を九十九回も目の当たりにして、

 刃先に灯る冷たい炎を感じた。ミミミは全てを悟った。仕事の前に忠告された言葉を思い出す。


「みー。どうやら私は、情というやつに弱かったみたいだ……」


 力が抜けていく。拘束が弱まってミノルが強引に抜け出そうとする。その頭を、死神の両手が包み込んだ。彼女の唇から漏れる鮮血。舌を噛んだのだ。

 二人が見つめ合った。旅の終わりだ。運命を感じて、観念して、そして受け入れた。少年は生き残れなかったし、少女の初仕事は見事な失敗だ。

 でも、まあ、きっとそんなものなのだろう。それで良いと思えた。


「みー。面白かった?」

「まぁ⋯⋯うん。退屈しなかったか?」

「みー」


 口を塞ぐ。ふんわりと広がる鮮血の味。

 初めてのキスは――――とびっきり甘い死の味がした。

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死神ミミミの初仕事 ビト @bito

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