井の中の物語、大海に漕ぎ出す
葵月詞菜
第1話 井の中の物語、大海に漕ぎ出す
爽やかでカッコイイヒーローと、地味で目立たないヒロイン。そんな二人がとあるきっかけで距離を縮めていく少女漫画みたいな物語が好きだ。主人公たちの周りには一癖二癖あるキャラクターたちが集まって、時にはコミカルに、時にはシリアスに物語が転がっていくのが楽しい。
そんな自分が好きな物語を好きなように書き続けて、もう数年が経つ。
「――うん、今回もノリちゃんだなっていう話だね」
昨夜出来上がった私の新作を一番に読んだ幼馴染の彼は言った。
「ここぞというところへ出て来るヒーロー、さすがだね」
「……毎回思うんだけど、ヒーローに対する意見がいつも皮肉っぽく聞こえるのは気のせい?」
私は眉を僅かに寄せて小さな声で返した。
放課後の図書室。窓際の席でぽつぽつと自習をしている生徒がいるが、みな耳にイヤホンを装着してそれぞれの世界に入り込んでいる。
図書委員のトシはカウンターの中で腕を組みながら、私のプリントアウトした原稿を前に困ったように眉を下げて「ううーん」と唸った。
「ごめん。別にそんな気はないんだけど……いや、少しはあるかもだけど……ほら、僕とは絶対的にタイプが違うから、何かさ……」
目の前の幼馴染はひょろりとした見るからに文化系男子だ。今は授業中と図書委員の仕事中しかかけない眼鏡をしているせいでさらにその印象が強い。性格を見ても、がつがつみんなの輪に入って盛り上げるムードメーカーでも、進んでリーダーシップを発揮するタイプでもなかった。
その代わり静かで物腰が柔らかい彼は頼られることも多かった。クラスでは控えめな地味な位置にいるが、常に対応が丁寧で困っていたら助けてくれる。何よりまず話を聞いてくれるから、相談した方もとても安心するのだ。
「ああ、自分とはタイプが違うから憧れる?」
「憧れかあ……否定はしないけど、それよりは嫉妬の方が強いかな。あまりにクールでカッコよく登場するから、こんなのサブキャラが勝てるわけないだろって若干イラっとする」
「それやっぱり皮肉入ってるよね!?」
私がツッコむとトシは曖昧に笑って誤魔化した。
「でもノリちゃんの作る物語は好きだよ。ノリちゃんの好みがとても表れていて面白い」
「そう言われると急に恥ずかしくなってくるんだけど」
私が物語を書き始めた頃から、一番の読者はずっと彼だった。何だかんだと縁があって同じ中学、高校と進学してきて、いまだその座は変わらない。自分の書いた作品を誰かに読んでもらうのはすごく緊張することだが、トシの場合はもうすっかり慣れっこだった。むしろ安心感がある。
「じゃあ逆にトシが良いなあって思う女子の登場人物は誰だったの?」
「うーんそうだなあ……女子なら大人しい地味目のヒロインも結構かわいいなと思う」
「ああ、トシはこういう子がタイプなんだね」
「ちょっとノリちゃんに似てるよね」
ふふと笑うトシに私は言葉を失って目を逸らした。そうだ、この幼馴染はたまにこういうことを言い出すから怖い。
「で、これは部誌に載せるの?」
「そう。年二回発行の部誌にね。締め切りは今週末なんだけど」
この後文芸部にプリントアウトした原稿とデータを提出しに行く予定であった。
「さすがノリちゃん。締め切りは落とさないねえ」
「そこが私の取り柄だから」
トシが原稿の束を丁寧に揃えて私に手渡してくれる。
「大丈夫。今回も楽しめたよ。次の作品も期待してる。……まあ希望を言うとちょっと違うタイプのヒーローも見て見たいけどね」
「ありがと。トシにそう言ってもらえると安心した。……その時の私の気分によるけど、検討するわ」
私は読みかけの本と原稿の束を鞄にしまい、椅子から立ち上がった。そして彼に軽く手を振って、原稿を提出するために文芸部の部室に向かった。
文芸部の部室に行くと、窓際でお茶を飲みながら部員が書いた原稿を読んでいる部長の姿があった。そして反対側の長机には必死に紙に向かう部員の姿が数名。先程図書館にいた自習する生徒と同じ様に、イヤホンやヘッドホンをつけて完全に個人の世界に没頭している。――いや、締め切りを守るためにも没頭しようとしているようだった。
今やほとんどデジタル原稿での提出となっているが部室にパソコンは無く、また持ち込みも禁止されているため、ほとんどの部員は家で執筆する。一方、部室でノートや原稿用紙に書きつけて後で打ち込む者もいて、それがまさに今長机で紙に向かっているみんなであった。因みに最終印刷に間に合わなかった場合は、手書きコピーをそのまま挟み込むことになる。
私は一人でないと集中できないので、家で執筆する派だった。今日はデータの入ったUSBとプリントアウトした原稿を持って来ている。
長机の方からは時々怪しい唸り声が聞こえて来たが、その気持ちは分かるので優しく見守るにとどめ、私は窓際の部長の方へ歩み寄った。
「部長。原稿持って来ました」
「ああ、谷平さん。あなたは全く心配してなかったけど、お疲れ様」
部長がふわりと微笑む。しかしその顔には少し疲れたような色が表れていた。
「あの、部長……大丈夫ですか?」
鞄の中から取り出した原稿の束を渡しながら訊くと、彼女は小さく溜め息を吐いた。
「ふふ……ちょっと今回の原稿ははっちゃけすぎちゃってね……私の趣味をこれでもかと詰め込んだら楽しすぎて、でもできたらこれで大丈夫かなとか不安になって、推敲を始めたらなんやかんやで朝になっててね……」
「まさか寝てないんですか!?」
「ううん、寝た寝た。授業でも意識飛んでたから……」
「授業で寝ないでください! てかまだ締め切りまでは日があるんですから!」
部長はふふふと笑うだけだ。これは疲れている。今日は早く帰って十分に休息をとって欲しい。そんな私の気持ちを知らず、部長は手元にある他の部員の原稿を愛おしそうに捲った。
「本当はもう今日は軽く部室覗いて帰ろうかと思ってたんだけど、上がって来た原稿読み始めたら止まらなくなっちゃってねえ……。この八木ちゃんの作品なんか私のドツボなのよ」
「部長……」
そうして読んでいたら結局部室から引き上げるタイミングを見失って今に至るのだろう。ああ、この部長は本当に文芸部の部長だな、と思う。
「しかもここで谷平さんの原稿まで来てしまった……! これは帰れない!」
「いや帰って下さい。何ならUSBのデータ渡すので家で読んでください」
私は心から願うように言った。まだ帰る元気がある内に帰宅するべきである。物語を読むことは、結構色々な力を使うのだ。
部長は苦笑しながら「はいはい」と答えたが、私が部室を出る時もまだ帰りそうになかった。仕方ないなあとため息を吐きつつ、文芸部の仲間たちがまだ唸って頑張る部室を後にしたのだった。
夕食後、私は自室のパソコンの電源を入れた。
部誌に掲載する分の物語は書き終えたが、個人的に書いている話はまだ他にもあった。こちらは長編のものもあって、気分が向いた時に書き溜めている。
「そういえばあれ、投稿サイトに投稿してみよっかな」
今までは自分とトシや文芸部の仲間たちと共有することが主だった執筆だが、最近はもう少し広げてみたいと思うようになっていた。実際に投稿サイトに投稿している部員の友達もいて、どんな感じなのか様子を聞くこともあった。
逆にすでに投稿されている全国の老若男女が書いた作品を読んで見たこともある。特に興味深かったのは、恐らく自分と同じ年代だろう学生たちが書いた作品を多く読めることだった。今の自分のレベルに気付いたり、さらに上にいる者たちに刺激をもらったりする。
前にトシに投稿サイトについて話を振ったら、「いいんじゃない?」と軽く言われ、それに背中を押されたというのもある。しかし、「でも作品を一番に読むのは僕だからね。そこは譲れないよ」と付け加えるのは忘れなかった。
私はその時のことを思い出しながら、投稿サイトのページを開いた。まずは登録からしてみよう。
――新しい読者と作品、そして自分と同じく執筆する仲間に出会うために。
井の中の物語、大海に漕ぎ出す 葵月詞菜 @kotosa3
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