『みーとしーのひみつのノート』
一帆
第1話
「美里~、ちょっとこっちへ来てくれへん?」
おばあちゃんの声が和室から聞こえてきた。私は困ったなと思いながら、顔を覗かせると、おばあちゃんがベッドに寝ていた。いつもピンピンしているおばあちゃんにしては珍しいこともあるものだ。
「どうしたの?」
「庭のびわを取ろうと思うたら、転んでなぁ……。美里にお願いがあるねん。今日、『ぷぅの部屋』に行ってほしいんや」
おばあちゃんの言う『ぷぅの部屋』というのは、ここから少し離れたおばあちゃんの家で開いている家庭文庫。おばあちゃんが、近所の子どもにもっと本を読んで欲しいと考えて開いた私設図書館。
―― おばあちゃんのお願いでもなぁ。
『ぷぅの部屋』にはもう何年も行っていない。本からも遠ざかった生活をしていて、おばあちゃんに会うのもちょっと後ろめたいくらいだ。私がぐずぐず悩んでいるのがわかったのか、おばあちゃんが手を顔の前で合わせる。
「お前の好きなぼたもちをあげるから、頼む。このとおりや。……いててて……」
体を起こそうとして、おばあちゃんが痛がる。
―― 痛がっているおばあちゃんを『ぷぅの部屋』へ行かすわけにもいかないし……でもあまり気乗りしないなぁ。
私が困った顔をして答えないでいると、おばあちゃんが譲歩案を出してきた。
「森田さんに来てもらうよう電話しとくから、それまで、な?」
「森田さんて栞のママのこと?」
「そうや。たまに来て手伝ってくれるんや」
「……わかったよ。看板をだして座ってればいい?」
「それでええ。おはぎはテーブルの上の袋の中にあるで」
おはぎは別にどうでもいいんだけどな、と思いつつも、ちゃっかり一つ口に入れて家をでた。
◇
「あーあ。暇だなあ……」
三時半に看板を出したけれど、誰も来ない。最近、家庭文庫に来る子どもは減っているらしいってどこかの講演会で聞いた。そりゃそうだわ。ここにある何千と言う絵本も、児童書も、近くの図書館にあるし、欲しい本はすぐに買える時代だ。それに、ここには、マンガはおいていないしゲームも出来ない。流行らないよなぁって思いながら、私は絵本を一つ手に取る。マリア・テルリコフスカ作の『しずくのぼうけん』。大好きだった絵本。「はぜる」という言葉を知ったのもこの本だ。
あれこれ考えていると、「こんにちわー」と声が聞こえて誰かが入ってきた。家庭文庫を開いている時はドアの鍵はかけていない。入ってきたのは、アッシュグレーに染めた短い髪、赤い口紅をした私くらいの女性。
私がだれだろうと戸惑っていると、「おひさ! 美里」と聞き覚えのある声。
「栞?」
「そーよぉ。ママの代わりに『ぷぅの部屋』の手伝いに来たわよ」
「……申し訳ないです」
私は頭をさげた。久しぶりに会った幼馴染との距離感がつかめなくて、他人行儀になる。それに、そのアッシュグレーの髪型、濃い化粧、短いスカート。どこをつっこめばいいかわからない。そんな私の気持ちがわかったのか、栞がにかっと笑う。その笑顔は小学生の時と変わらなかった。
「他人行儀にしちゃって、全然似合わないわよ」
栞は年齢も恰好も変わってしまったけれど、昔と変わらない距離で私の隣に座った。タイムマシーンに乗ったように、自分の気持ちが小学生に戻っていくのがわかる。さっきまでの他人行儀な距離感がずいっと縮まる。
「ねえ、美里。『みーとしーのひみつのノート』って覚えている?」
『みーとしーのひみつのノート』。最初は栞と私の『交換日記』だったんだけど、いつのまにか私は物語ばかり書くようになった。中でも、よく書いていたのは『しずくのぼうけん』の続きだ。しずくが世界中を旅する、そんな物語だったと思う。
「あれってさ、小学校の卒業式の後、この文庫の本棚にいれて帰ったじゃん」
「……そうだったっけ?」
「美里が、『ぷぅの部屋』に二人の思い出が詰まった私の物語を寄贈するんだって言ったじゃん。覚えてないの?」
そう言えば、そんなことを言ったかもしれない。今思うと恥ずかしすぎるようなことを平気で言っていたんだと、へんな冷や汗がでてくる。
「だから、絶対、この部屋のどこかにあると思うんだ」
「……、でも、……どうして栞は読みたいの? あれは、黒歴史で恥ずかしいだけだわ」
「黒歴史? 美里、そんなこと言ったら、だめだよ。私も美里のおばあちゃんもこの文庫に来ていた子ども達も、美里の作る『ぞく しずくのぼうけん』の大ファンだっただから。 ……もしかして、美里、もう書いていないの?」
私は小さく頷いた。実を言うと、中学へ入って、物語を書くことをやめてしまったのだ。一番の理由はよくわからない。めんどくさくなったのか、時間が無くなったのか、そんなところかな?
「美里が書くのをやめてしまっただなんて、もったいないよ。あんなにもみんなをわくわくさせる物語を書けるんだから! 私さ、大学でデザインの勉強をしていて、今度の課題が絵本なんだ。それで、できるなら、美里の『ぞく しずくのぼうけん』にイラストを描きたいと思っているんだ」
あの時は、栞がいたから、次から次へとアイデアが浮かんできた。物語を書くことが楽しくて仕方なかった。書けば、それを読んだ栞が嬉しそうに笑うのが嬉しかった。
―― 栞がいなくなったから物語を書くのをやめてしまったんだ。
栞と言う存在は、私にとってとても大切な存在だったんだと気が付いた。
「……、それじゃあ、見つけなきゃだね」
「だね!」
二人で頷き合ったそのとき、「こんにちわー」と可愛らしい声が二つ聞こえてきた。入ってきたのは、小学生くらいの女の子と幼稚園生くらいの女の子。
「あー、きょうはきぬばあじゃないんだぁ」
「うん。おばあちゃんね、怪我しちゃって、代わりに私達がいるの」
「ふーん。わたし、亜依、こっちは芽依」
「姉妹なの?」
「うん」
そう言うと、二人は絵本を選び始めた。しばらくすると、ぱらぱらと子ども達が集まってきた。みんな、勝手知ったる感じで『ぷぅの部屋』の中でくつろいでいる。マンガもゲームもなくても、子ども達には本がある。本には無限の可能性がある。それはいつの時代も変わらない。そう思える光景だった。
「ねえ、今日はおはなし読んでくれないの?」
さっき、芽依と紹介された子どもが私達のところに来て聞く。私が困った顔でいると、隣にいた栞がにっこりと笑う。そして、受付の机の上にあった『しずくのぼうけん』を手にした。
「この本でいいかな?」
「うん。そしたら、『ぞく しずくのぼうけん』も読んでね!!」
「『ぞく しずくのぼうけん』?」
「うん。きぬばあは、その本の時には、いつも『ぞく しずくのぼうけん』も読んでくれるんだ」
「そっかぁ。芽依ちゃんは『ぞく しずくのぼうけん』がどこにあるか知ってる?」
栞が芽依ちゃんに聞く。芽依ちゃんは私が座っている受付の机をさして、「そこの中」と教えてくれた。受付の机の引き出しの中を見ると、そこには見覚えのある字が書かれているノートがあった。
「ねえ、おねえちゃん、はやく読んで!!」と芽依ちゃんが声をかける。栞が、「はいはい」と答えて、おはなしの椅子の方へ歩きはじめた。
それを見ていると、栞にもおばあちゃんにも、今知り合った芽依ちゃんにもありがとうっていう感謝の気持ちでいっぱいになった。
おしまい
補足
① 家庭文庫とは、個人が自宅と蔵書を開放して、近所の子どもたちに本を貸し出したり、お話をして聞かせたりする場のこと。有名なところでは、石井桃子さんの「かつら文庫」がある。気になる方はググってください。
② 「しずくのぼうけん」
マリア・テルリコフスカ さく ポプタン・ブデンコ え 福音館書店
『みーとしーのひみつのノート』 一帆 @kazuho21
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