第8話 王様探し 5~逢魔が時
此処連日、辺境にある鬱蒼とした森の広がる樹海にて、微かに目撃されていたあの『目』の本体をどうやら追い込んだようだと知らせが少佐に齎された。
知らせによると、目標の八方から囲む様に追い込んでは見たが、少々手を焼いていると言う。
少佐は仕方なく、自分の得物を握って執務室から飛び出し、追い込んだと思われる場所へ馬を駆って向かった。
その場所は東西を分ける深い峡谷を右手に、岩が直角に連立し聳え立つ場所だった。
その岩場の一角にある二方向を囲まれ、かなりせり出している岩を天井にしたそんな部屋のような場所。東側を峡谷に開け放ったその場所のちょうど真ん中の辺りに人の身丈よりも大きな丸い岩が一つある位で、草も生えずかなり開けた場所。
そんな場所へ追いやられた目標が、とうとうその姿を辺境を護る兵士達の目前に晒したのだった。
報告によると、『その人』はかなり小振りの…紛れもない「人」で男性であるらしい。ただし、『その人』は俊敏性に長け、岩室の中央に鎮座している大岩の向こう側から隊の者が回り込むと、『その人』は瞬時に逆方向へ逃げ、そちら側にも人が居ると確認すると、手を掛ける場所もなさそうな大岩の岩肌を両手両足を器用に使って猿のように一気に駆け上がったのだと言った。
大岩は大きく、どの様に形成されたのか分からない程に丸い形をしており、『その人』が逃げたところは大岩の頂上。
大岩は兵士達に包囲され『その人』にとっては八方が塞がり、大岩の上ともなれば身を隠せる場所は無い。
そんな大岩の頂上にその人物はしゃがみ込んでいる。
『その人』の両手には…手首と甲を隠すような何とも奇妙な形の仕込みの刀を着けていた。人物の顔を見る限り、東方寄りの顔立ちをしているなと現場に到着した少佐は感じ、その上で、彼は大人なのか子供なのかも分からぬ位の小振りな体格をしていた。
「少佐、どうします?あいつ、猿みたいにすばしっこい奴で…相手の出方が全く分からず、完全に膠着状態になっちまいました。」
そう言って、少佐の補佐である剃り上げ丸めた頭の筋肉達磨が指示を仰ぐ。
「お前達、これだけ雁首揃えておいて手も足も出ないだと?あの小猿の何に怯えている?」
少佐は筋肉達磨の方は見ず、岩の上の子猿へ睨みを利かせたまま言う。
その声には少佐の怒気が籠り、補佐の達磨の体が竦んだ。
「し…しかし、かなり手練れのようです。…あっという間に三人程が負傷しました。あの手首に付けた仕込み刀は面倒です。一番手っ取り早い手が使えません。」
少佐の怒気を感じ取った達磨は急に姿勢を直し、畏まりそう告げた。
その刀をじっくり見ると、手の甲を覆う程に広く、大きな刀身を直に自分の手首へ革の紐のような物で縛り付けてあるように見えるが…人を斬っても手首から外れない所を見ると、ただ縛り付けてあるのではなく、『その人』専用に細工が施されているようである。
確かにあれを剥ぎ取ろうとするよりも腕ごと切り捨ててしまった方が簡単そうだ。
「腕を落とせば話なんぞ聞けなくなります。ですが、無傷で捕らえるのは、あの刀がある限り難しいかと。」
達磨が今度はわざわざ敬礼までして見せた。
その様子を見て少佐は補佐の兵士に向け呆れた声を発した。
「だから、お前は筋肉達磨と言われるんだ。其処に頭が付いておるのだから、どうすればこの状況を脱せるのか少しは考えて見せてみろ」と、毒付いた。
そして、気分を変えるかのように周りに向け声を掛ける。
「弓は?何処に居る」
そう問うと、自分の背後から「此処に。」と返事がある
返事を聞き、一度頷くと腹膜に力を入れ大声を出した。
「緑の矢を番えて構え!狙いを奴の天辺に。」
号令を発すると、少佐の直ぐ後ろで弦を引く音が微かに聞こえる。
同時期、岩の上の子猿は此方の言葉に反応し、目の玉だけを一瞬上を見上げる様に向け、直ぐに此方へ戻した。
成程…この子猿はどうやら…此方の言葉を解するようだ。
だが今更、子猿には手も足も出す事は出来無い。何故なら奴には逃げる場所がないからだ。自身は岩の上、周りには兵士が取り巻き…上部も岩の天井で行く手を阻まれ飛び上がる事も不可能。大きな岩の上で身構える事位しか出来ぬから。
そして少佐の号令は発せられる。
「放て!」
その声と同時に少佐の頭上を矢が風を切り、甲高いヒュウンと言う音を残して飛んで行った。
子猿は緑の矢から何とか逃れようと横に動こうとしたが、それは周りの隊員が阻止する為の援護矢を三方から射た。元々、足場の少ない岩の上、子猿は四方から飛んで来る矢の為に横へ避ける事は出来ず、ほんの少し後退る事しか出来なかった。
少佐の求めた緑の矢は、その子猿の方向へ飛び、
一瞬だけ、少年のような、青年のような子猿の顔の唇の片端がくいっと持ち上がり笑った様に少佐には見えた。
だが、辺境を護る兵士達もそれなりの手練れの集団。
元より矢をその身体に直接当てるつもりなど最初から無いのだ。
もしも奴が、本当に東方の民ならば、じっくりこの後話を聞かねばならん。
そしてただの民なのか、そうではない何か目的があっての侵入者なのかどうかそれを確かめねばならない。
少なくとも此方の言葉を瞬時に解するあたりから察するに、既にただの民とは思えない。その上あの身軽な身体に仕込み刀、ただの民なんかには見える訳が無い
鏃(やじり)は岩とぶつかり火花が散り、それと同時に矢の落下地点から一気に煙が立ち上った。
子猿は突如湧いたその煙を吸わない様に自分の左の二の腕を口へ押し当てる。
どうやらこんな場面に湧いた煙が危険なものであると言う認識が彼には染み付いている様だ。矢に括られていたのは単純な煙玉。
ただ…
ただ、ほんの少し酷く涙が両眼から流れる刺激物が入っていて、激しく咳き込む位の可愛い物。
煙に燻された子猿が涙を流し咳き込みながらも体勢を崩さないように岩の上に何とか立っている。
これで間違いない。
こいつはただの民ではない。普通の生活しか知らないような民にあのようなアンバランスな場所でその上、この煙の中牽制しながら立ち続ける事は困難だ。
「まだ、立ってやがる。」
筋肉達磨がそう言って状況を説明するが、今せねばならんのは説明する事なんかではない。それよりも彼方が動き出す前にさっさと動くのが正解だろう?
筋肉達磨の前をさっさと立ち去り、腰のレイピアを抜きつつ岩の上へ飛び上がる。
すると背後から焦った筋肉達磨の声がした。
「姫、いや…少佐!」
昔からの癖で相変わらず自分の事を『姫』と呼ぶ筋肉達磨。
兵営へ戻ったら今度こそ戒告処分にしてやろうか?
飛び上がりながらもそんな事を考えた
少佐と呼ばれた長髪の女性は、肩甲骨迄伸びた柔らかそうな長い髪をふわりと靡かせながら音もなく大きな岩の上に降り立つ。
ボロボロと大粒の涙を流しつつも、少佐に子猿と呼ばれた小柄な青年は、自分の目前の敵を確認をしようと顔を何とか上げた。すると其処にレイピアの剣先が飛んで来るのが何とか見えた。両手首に括りつけてある仕込み刀の片方で最初の一撃を何とか受け流すも、目と喉への刺激が余りに激しく、この後が上手く確認出来ずにどうしても死角が出来てしまっていた。少佐の方はと言うと、森の中を拭く風の風上に立って居る為、煙に燻される事も無く無表情でその場に立っていた。
焦る事も無く立つその姿…
間違いなく自身が劣勢に追いやられていると彼は瞬時に判断した。
判断はしたものの、このままの状態では自身の任された仕事も出来ずに殺されてしまうかもと、逃げる為に何とか仕込み刀を振ろうとするが、咳き込んで此方も上手く行かない。
仕方なく岩の上で四つん這いに近い恰好で女性を見上げる。
自分の後ろには道は無い。
そればかりか女性の部下達が岩の周りを完全に包囲し、岩の上から降りる事すら出来ない。
「お前、もう抵抗するのは止めろ。」
女性は冷たく静かな声でそう言うと、レイピアの剣先を小柄な青年の目の前へ向けた。
「それとも、お前は相手の力量も測れないような馬鹿者か?」
言って、見下ろしながら睨むだけで人を凍えさせる事が出来そうな視線を青年にぶつける。
青年は暫く大粒の涙と咳をしながら女性を睨んで…その内に、小さく溜め息を吐いた。そうして、彼は初めて声を発した
「分かった、降参だよ。降参」
青年は此方側の言葉を澱む事無く話した。
「…聞き分けの良い子猿だ。褒めてやる」
言って、女性は口先だけで笑い返すが、目には相変わらず凍える様な感情が見える。
「お姉さん、綺麗なのにさ…強すぎじゃない?」
青年は言いながらゆっくり両手を上げ、降参を体現して見せた。
すると、青年の質問に答える前に少佐は鼻で笑い、それから言葉として語る。
「剣の腕前に女も男も無い筈だ。男と女の違いは腕力位の物だろう?」
そんな風に笑い掛け、青年は引き攣りながら微かに笑い返した。
「お姉さんが言うと、どうしてこんなに怖いんだろうねぇ?背中に悪寒が走ったよ?」
なんて言葉を吐きながら。
青年は涙でボロボロの眼で、女性の様子を見ながら片方の仕込み刀をゆっくり外し、岩の上に置いた。
涙が流れ続ける両目を漸く外した手の甲で拭う事が出来、頻りに目の辺りを擦った。すると、丸く剃り上げ頭髪を失くした頭部を持つ、先程筋肉達磨と呼ばれた筋肉隆々の男性が岩の上へ漸く登って来て言う。
「ひ…いや、少佐。お一人で急にお動きになるのは…」
其処まで言うと、女性の細い両眉が『くッ』と眉間に寄り、苛立ちを隠さず怒りの表情を作る。
「いい加減、その喋り方を止めろ。癇に障る。それと、今度『姫』と言いそうになったらその耳、片方落としてやるぞ?」
女性は、そんな物騒な言葉を何の躊躇もなく口にし、坊主の男性は肩を竦め答える。
「了解です、少佐。では少佐、改めましてその男どうします?」
坊主頭の男性はまた、元の補佐口調に直して話し出した。
少佐と呼ばれた女性は、目の前で胡坐を掻きながら必死に目を拭い咳をしている青年を見下ろしつつ言い放つ。
「勿論、東方の客人だ丁重にお迎えしろ。部屋は地下の部屋を宛てがえて差し上げろ」
その声を聞き、岩を取り囲んだ隊員達が一斉に答える。
「了解しました!」
それだけを言うと、少佐は岩の上から地面に軽く飛んで降り立ち、自身の得物である細身のレイピアをゆっくりと鞘に納めた。
そうして、大きな岩の上の青年に振り返り…もう一言だけ言葉を発した
「青年…私は、私に『綺麗』やら『可愛い』やらと
そう言うだけ言って、少佐は長めの赤い髪を揺らしながら踵を返し兵営へ向けて歩き出す。
それを確認してから、岩の周りを包囲していた隊員が一人、また一人と岩の上に登れるだけの人数が登り、青年を取り囲んだ。
少佐に子猿と呼ばれた青年は漸く涙が止まり出したのか、真っ赤に染まった目で周りを確認した後、もう片方の得物も手首から外し岩の上にそっと置いてから両手を天に向けた。
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