第3話 その、世界。 三つ







 辺境はここ数日珍しく大雨で、視界が白く霞む程の雨が降る事もあった。


 西と東の境にある広く深い森にも雨は等しく降り、谷の縁に立って向こう側を眺めると彼方側の大地も雨で霞んで見えた。

ほぼ水平に落ち込んでいる谷の底は余りに深くて途中から靄が立ち、其処から先は全く見えなくなっている。



 或る日。

 その場所で変化は起きる



 此処は、西と東の境に位置する国の辺境の地。村や街は無く背の高い樹木の連なる深い森が此方側の谷の端を覆っている。それでも其処は国の領土の一角。

西と東の境を警備する兵士も居れば、当然見回りがある


 見回りは二人若しくは三人で、班を組んで自分の任された範囲をお互い付かず離れず警備をする。

その大雨の日もいつもと同じ様に警備する兵士が三人。

至って日常の警備風景。


手には燭台カンテラ、腰には剣を携えたり、鞭や短刀・弓矢を身に着けて居たり。

各々、自分の得物を手に警備をしていた。

 ただでさえ暗く深い森が多くて緊張する事が多い地である上に、今日は雨…

雨の日の警備は誰だって嫌なもの

視界はいつも以上に悪いし、この雨の為に雨除けのフード付きの外套を被るから耳も聞こえ難くなる。

 この上、雷なんて鳴りだしたりなんてしたら…何処に落ちるのかと心配になり最早、逃げ帰りたくなる。

自分の身体を守る筈の鎧や剣が雷を引き寄せたり、警備しているこの場所の背の高い樹木に雷が落ちると、地面を伝って雷撃に巻き込まれかねないからだ。


警備中の兵士の一人が溜息を吐いた。

 深い森の中、急な勾配の場所に樹木が朽ちて倒れ、ぽっかりと開けた場所で彼が空を見ると、其処から見えた遠くの空に稲光とまでは言わないが、明滅する雲を見つけてしまった。その上、空を埋め尽くす真っ黒く厚みのある雲は、この先も雨を落とし続けるつもりのようで…、それを思うと溜め息が出てしまった様だ。


「おい。早々に戻ろう。これであの雷雲が此方に流れて来たら…森の警備の前に自分達が危ない。」

三人の内の一人が言うと、周りの二人も無言で頷き同意した。


 この時既に雨は、時を追う毎に強さを増しており、ぐっしょりと濡れた髪や外套は重さを増していた。

体が濡れ、体温も徐々に下がり始め、彼等の動き自体も悪くなる。

全員、それらを懸念しての判断であったようだった


自分達の持ち場は谷を含む場所。

こんな絶壁を大群で人が駆け上がって来るなんて事も無いだろうし…

しかも、今日のこの雨。

手が濡れた状態で、底から絶壁を登ってくるはどう考えても難しいだろうと三人は思っていたからだった。


「ここらで戻るぞ」

 そう言って三人が振り返り元来た道を戻ろうとした時、背後の草が大きく音を立てた。

大きな物音は、雨音が弾ける音とは全く別な音。

動物が動いて草が擦れ合うような音を立てたのだ。

音の違いに三人は同時に立ち止まり、瞬時に各々の得物に手を掛けた

ある者は剣、ある者は鞭に。

そうしてから雨の雫をまき散らす程、勢いよく振り向く


 一人が自分の燭台カンテラを突き出し、音の聞こえた方を凝視する

森で育った大きな葉が、燭台カンテラの光を浴びてテラテラと雨に濡れて光を放つ。


そりゃあ、この深い森にも大型の動物が生きている。

此処は自然の森。


 だから、あの大きな音が必ずしも人の立てた音であると決まった訳では無い上に、彼等の今迄の警備でも、何度となく同じ状況下で極度の緊張の後に確認をした後体から力がどっと流れ出る様な緩和がやって来た事もある。

 だが、今…大きな音が聞こえた辺りに大型の動物の姿は見えない

見えるのは大きな葉であったり、背の高い樹木の雄々しい幹であったり…それだけだった。

少なくとも自分で動き出そうとする動物や獣の影は見当たらなかった。

三人はゆっくりと姿勢を低くする。

身構え、何が出て来るのかと緊張しているのだ。


一人が前方を照らせば、もう一人は左側を。

残った一人は右側を…


 何時まで経っても音を立てた対象が見当たらず、知らずに三人は近寄り互いの背を合わせてなるべく死角を作らない様に周りを見回し続けた。

この大雨の為に雨音以外の音が聞こえ辛い森は何時も以上に不気味に見え…

しかも面倒臭い事に、一番恐れていた雷の音が遠くで鳴り出し始めてしまった。

音は聞こえるが稲光までは目視出来ないので、雷の本体はそう近づいている訳では無い様だ。


「さっきの物音あれは、…なんだ?」

一人が呟くように二人に聞いた。

「何時もの…獣じゃないのか?もしかしたら山猫か狼か…鹿や熊?」

もう一人が思いつく限りの獣の名称を並べると、今迄言葉を発していなかった男が言う。

「それなら姿が見えて然るべきじゃ?木の幹と大きな草しか見えん。」

そう言った時だった。


 最初に発言した兵士が、大きな葉と葉の間に光る小さな物を見つけたのだ。


 背中合わせになっている兵士に肘で突いて無言で合図をすると、もう一人もその動作に背中で気付いて最初に発言した兵士が凝視している方向へ目を向けた。

二人の行動を確認する間もなく兵士は見つけた何かへ燭台カンテラを素早く向けた。


 燭台カンテラの光で、葉の間に見えた小さく光った二つの物を照らすと、それは茂った草や葉の奥で笑った…ように歪んで見えた。


三人は生唾をごくりと飲み込む。


 笑ったように見えた『それ』が、今度は眺めるようにまん丸に開いて此方を見ており…三人が近づこうと動き出そうとした時、姿を消した。

それは本当に瞬間の出来事で、一人の兵士が瞬く間に草と葉の影にあった二つの光が消えたのだ。

もっと奥に潜んだのではないかと三人で慎重に近づき、二つの光があったその場所の葉を避けて燭台カンテラの光で照らす。

その場には光を放ったであろう瞳らしき物の主は居なかったが、茂っていた下草が何かに踏まれて平たく伸びている様子だけは確認が出来た。


「あれは…獣か?」

「いや、でも…アレ、笑っただろ?目が。獣は笑わない。」

二人がそんな会話をすると、もう一人は言う。

「正確に確認が出来なかった以上、そのまま報告するしかないだろう?」

一人がそう言うと、仕方が無いか…と、混乱したまま益々酷く降り出した雨の中、警戒を続けながら兵士三人は元来た道を戻って行った。


 その姿を大きな樹木の枝の上から眺める瞳が存在した。


 残念ながら黒く茂るこの森に降る大雨の為、兵士三人にはその瞳の気配に気付く事が出来なかったのだ。


樹上の瞳は、三人の姿が見えなくなると音もなく森の奥へ再び潜って行った。


 その場に居た全ての人が立ち去った後、その場には遠くで鳴り始めた雷が少しずつ近づいて来て、稲光の後数秒で轟音が鳴り響くようになる。


雨足は尚一層強く、傍にある樹木さえ霞むような降りへと変わる。

そして、小さな変化は此処迄で…此処からこの国では大きな変化が起き始める。


 勿論、その事に気付いている人はこの国には居ない。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る