再臨の錬金術師

「それでは、イツキ・カラサワ……いや、ヘルメス・トリスメギストスが与したのは間違いないのだね」


 古色蒼然たる歴史的建造物が並ぶ一角からほど近い高層ビル――景観に配慮しつつもいささかの違和感を醸し出す現代的建造物の高層階で、男は尋ねた。

 窓の外、眼下には整然と区画を描いてセピア色の建物が並ぶ。

 そこから見上げる人々の目に浮かぶ羨望の色を想像しながら景色を見下ろすことを、男は好んでいた。


「はい。シュン・タカマに降臨した神が、そう告げたと。防犯カメラの映像は、かなり乱れてしまい、確認は困難でしたが、声は拾うことが出来ました」

 唐沢斎が思い人の少女を手籠めにしようとする、あきれ果てた濡れ場ははっきり映っていたが、捕らえたはずの笹木健太――ムルガンの依代が脱出してそれを阻止した辺りから映像が乱れ、ストーム状態になってしまった。かろうじて声は拾えていたが、高天俊――シヴァの依代が現れると、その声すらノイズが入り聞き取れなくなった。

 しかし音声を解析し、かろうじて拾えた内容は、晃=ケネス・香月の報告通り、唐沢斎がクベーラ――ヘルメス・トリスメギストスの依代であることを示していた。

 存在すら意識されていなかったはずの現代最高水準の電子機器にも影響を及ぼす『神の力』にも驚いたが、ここにきて想定外の……想定以上の存在を手中に収めたことに、報告する男性――ジョニー=サイモン・ブライトン教授の声も興奮を隠せずにいた。


 ケニーの作戦ミッションを妨げる要因とならないよう足止めしていた娘のシアが渡日したと判明し。

 直後にケニーと連絡を取ろうとしたが、一切不通となっていたことに愕然とした。それが、唐沢斎率いる唐沢宗家の謀略だと知らず、失策の責をどのように回避するか焦燥にかられながら必死に方法を模索していた。

 しかし時置かず、ケニーが唐沢斎を伴い帰国し、彼が高位の神の依代らしいと報告を受けた時は、そうあってほしいと切に願った。


「そうか。ヘルメス・トリスメギストス……我々にとっては、むしろ喜ばしい存在だ。インドラやムルガンを取りこぼした穴を埋めるには、まだ不足だが」

「ですが、『記憶』を持つ、イレギュラーの依代です。彼の神の『知力』は、我々にとって何よりも得難いもの。現実的側面でも、唐沢宗家まで手に入れたとなれば……」

「いや、唐沢宗家は、未だに『神聖学会』側にいる。少なくとも、日本にいる依代たちを護衛する方針には変わりないようだ。あくまでも『護衛』に専念するようだが」


 それもケニーから報告は受けていた。その事実をすでに手中にしてる男の慧眼に、ブライトン教授の背中に冷たい一筋がたどった。


「しかし、手駒は足りている。『黄昏の薔薇』に『時計塔の地階』が引導を渡すには、十分だ。唐沢宗家が『神聖学会』と良好な関係を維持しているのならば、あちらを取り込むにも役に立つかもしれんな」

「取り込む……ですか?」

 組織内最大勢力の『世界神聖学会』に取り入るならばともかく『取り込む』ことは、今はまだ『黄昏の薔薇』の一派閥に過ぎない『時計塔の地階』にとっては壁が厚いのでは。

 そんなブライトン教授の思惑を読み取ったかのように、男は冷ややかに微笑みを浮かべた。


「まだ、隠し玉がある。二つも。そうだろう? ミスター・ブライトン」


 全てを射抜くようなその鋭いまなざしを受け、ブライトン教授は首肯の代わりに、深く頭を垂れ、ひざまずいた。






「とうとう『時計塔の地階』が動き出したようだね。まさか、彼が、ね」


 追い立てられるように帰国を促されたものの、久しぶりに足を踏み入れた『世界神聖学会』の寺院で、和矢は数日間足止めを食らっていた。

 見慣れた、だが良い思い出の少ない自室で、軟禁状態の和矢は苛立っていた。

 インドに到着し、そのまま自室に閉じ込められ、アストラ師とも会えずに鬱々と時をつぶしていた昼下がり。

 心身を貫く波動を感じた。覚えのあるその感覚は、美矢の無言の叫びだった。

 

 俊、いや、現状であれば健太の身に何か起きたのかもしれない。


 俊や健太の力の発動を直接感じ取れない和矢だったが、美矢を通してそれを知ることが可能だった。残念ながら常にではないにしろ。そして、そんな波動を感じる時は、奇跡に近い神威が発動された時だ。昨冬の、加奈の救命の時のように。


 それを確かめるすべもなく、アストラ師の訪室を……最上大師との面会の知らせを待ち続け。


 今日、ようやくその時が訪れた。


 けれど、和矢の帰国を心待ちにしていたという、最上大師……父の第一声は、再会の喜びを懐かしむようなものではなく。

 まるで、世間話のように、組織内の動向に対する呟きだった。


「……?」

「ああ、ゴメン。和矢も来てたんだったね。……大きくなったね」


 まるで、今初めてその存在を認識したかのように言って、彼は微笑んだ。

 

 ……トランス状態だったのか?


 先程の呟きも、どこか心ここにあらずというように、歌うような言葉だった。

 記憶にある、柔らかなハイバリトンはそのままに。

 記憶にある、穏やかだが理性的な父とは、どこか違う、うつろな瞳。

 けれど和矢を見止めて、その瞳に生気が宿る。


「ごめんね。ヴィシュヌの神威を受け取ってから、いつも何となく夢うつつで。ぼんやりしていることも多いんだ。なので、君を……君と美矢を、ちゃんと看てあげることもできなくて。だから、死んだことにしていて。ごめんね」

「いえ……生きていて、くれた、それ、だけで……」


 記憶の中の父が、唐突に目の前に現れた。

 思いがけず若々しい父の姿と、愛情を湛えた瞳。

 弓子によく似た面差しの、美しいその顔。

 その懐かしさと慕わしさに、和矢は思わず涙を浮かべた。鼻の奥がスンとして、言葉が上手く出せない。


 突如、昔の思い出がよみがえる。

研究所ラボ』で自分をかばって、右腕を斬りつけられた父、多量の流血。残ってしまった傷あと。


 あれは、何歳の頃だろう? まだ、美矢が生まれて、間もない頃……そして、母が……。


「……ママアンマ―が死んだのは、『黄昏の薔薇』のせい……?」

「覚えていたのかい? そんなつらいこと、覚えていてほしくなかったな。でも、……そうだよ。僕のせいだ。僕が、君達を、カイラを守れなかったから」


 カイラ。

 懐かしいその響きに、和矢の記憶はどんどん鮮明になった。

 文字で知ってはいた、母の名。父が、その名を愛おし気に呼ぶ声が、記憶を呼び覚ます。


「そんなこと……父さんピター・ジーは、僕を守って……ケガもして……」


 ポロポロとこぼれる涙が、和矢の褐色の頬を伝う。


 その涙をぬぐうように、父の指が、和矢の頬を撫でる。

「君は、本当に、カイラにそっくりだ。きっと、美矢もよく似ているんだろうね。会いたいな……」


 何と返答してよいか分からず、和矢は頬をなぜる真矢の右手を、そっと手に取った。両手で、その手を握りしめる。


「傷……」


 自分をかばった時に、負ったはずの切り傷。

 ひどく出血をして、何針も縫って、その後も傷が残っていた、はず。


 それが、無くなっていた。

「傷、治ったの?」

 まるで幼少時代に戻ったかのように、幼い言葉で素朴な疑問を呈する和矢に、「傷?」と真矢は不思議な顔をした。


「ああ。治ったみたいだ。長く、治療を受けていたから、その間に」


 思い出したかのようにそう答えて、真矢は右腕を眺める。

 

「そうなんだ。よかった……」


 そう答えて、それから幼い子供のような言葉を使っていたことに気が付いて、和矢は羞恥で顔を赤らめ、視線を反らす。


「ちゃんと、顔を見せて。和矢」


 そう言いながら、真矢は和矢を抱きしめた。

 すでに自分と体格も変わらない息子を、幼子のように。

 恥ずかしさを押し隠して、和矢はひと時、懐かしい父の腕に身を任せる。


 心の奥に芽生えた、かすかな違和感も、押し隠して。







 ……『時計塔の地階』メンバーにより、『黄昏の薔薇』からの離脱が声明として『世界神聖学会』首脳陣に伝えられた。

 錬金術師の祖、ヘルメス・トリスメギストスを擁しての、独立、と。


 最上大師の『託宣』から遅れること二十時間後のだった。





 第二部 日沈む国から来たる彗星は光輪を蝕む  ~了~

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トリムルティ~まほろばの秋津島に まろうどの神々はよみがえる~第二部 日沈む国から来たる彗星は光輪を蝕む 清見こうじ @nikoutako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ