筆折り回想
三谷一葉
そのうち何か書きたくなる
今までに、三回ほど筆を折ったことがある。
私の書く小説は、手垢塗れのテンプレストーリーである。
目新しさなどまるでなく、登場人物に魅力がなく、文章が文章として成り立っておらず、最初の三行を読んだだけで哀れな読者が「時間を返せ!」と罵声を浴びせてくるような、つまらない話だ。
そんなものしか書けないのだから、私は本来、頭の中で生まれた妄想をチラシの裏に書き散らすだけで満足すべきなのだろう。
投稿小説サイトに投稿するなど論外だ。
私の文章は読みづらく、文法がめちゃくちゃで、何を言いたいのか全く読み取れないものである。
そんな文字の羅列を「小説」と言い張るのだから、厚顔無恥と言われるのも当然だ。
だが、それでも私は、よくあるつまらない小説を、読む価値のない文字の羅列を投稿し続けている。
初めて筆を折ったのは、まだ小学生だった頃のこと。
本を読むことが好きだった。そのうちに、自分でも書いてみたいと思うようになった。
初めて書いた小説は、アニメやゲームの登場人物の名前を付け替えただけで、おまけに矛盾だらけで物語として成り立っていないような、滅茶苦茶なものだったと思う。
それでも私は、それを『自分が書いた』ということに誇りを持っていた。
自分が好きなもの、面白いと思うもの、格好良いと思うものを詰め込んだ小説は、素晴らしいものなのだと思っていた。
だから、得意になって母に見せに行ったのだ。
お母さん、私、本を書いてみたよ、と。
母は一応それに目を通した後、鼻で笑って、
「あんた、絵を描くの下手だもんねえ」
と言った。
母は読書家ではあったが、漫画やアニメを一段下に見ているような人であった。
あんたが書いたものは小説とは呼べない、漫画と同じだ。絵が下手だから、文字ならあんたでも書けるから小説にしたんだろう────と。
私は小説が書きたかった。絵が下手だから、漫画が描けないから小説にしたわけではない。
私は小説が書きたかった。
母に「絵が下手だから小説を書いている」と言われてから、数年間。私は頭の中の空想を形にしようと思うことすらなくなった。
二回目は、中学生の時。
投稿小説サイトの存在を知った時のことだ。
サイトには、「誰でも小説家になれる」「同じ趣味の仲間と切磋琢磨できる」と謳われていた。
最初は見るだけで、投稿するつもりなどなかった。
だが、そのうちに、自分も投稿してみたいと思うようになった。
思い切って投稿して、どんな感想が来るかとわくわくしていた私を待っていたのが、以下の文である。
『マイナス五百点。読む価値無し』
『まず、思い切って投稿しようと思った行動力は評価します。次に投稿する時は、市販の本を1000冊ぐらい読んでからにしましょう』
『今から厳しいことを書きますが、これはあなたのためでもあるので耳を塞がずに最後まで読んでください。普通の読者であれば、何も言わずに立ち去ります。わざわざ時間を割き、ここまでの分析をするのがどれだけの労力なのか、きちんと理解してください』
その日、私は投稿小説サイトのために作成したアカウントを削除した。
三回目は、成人した後のこと。
切磋琢磨を目的としない、のんびりとした雰囲気の投稿小説サイトを見つけて、気が向いた時にポツポツと投稿をしていた時のこと。
自分が書いたものを形にして、もしかしたら誰かが読んでくれるかも知れないという今の状況に、私は満足していたはずだった。
けれど、PVは全く増えず、感想もつかない。
そんな時に、「感想書きます!」という企画を発見した。
「多くの人に小説を書く楽しみを知って欲しいので、批評はしません。良いところを褒めます! 褒め9指摘1ぐらいで!」
実際に主催者の感想をいくつか読んでみたが、確かに長所を中心とした感想で、指摘の仕方も丁寧だった。
この人が私の小説を読んだら、どんな感想を抱くのだろう。
そんな興味が湧いた。だから、思い切って参加することにした。
感想を頂けたのは嬉しかった。私の長所はそこなのかと、指摘された部分を改善すればもっと良くなるのかも知れないと、私にしては珍しく前向きだった。
企画が終了して、主催者が総評を発表した。
それが、切っ掛けになった。
『自分で言うのも何なんですけど、私、褒めるの得意なんですよ。今回の企画でも、多分他の人だとどうやっても褒められないようなものがあったんじゃないかなと思うんですけど』
『短所をね、全部言い換えるんです。ほら、声が大きい人を明るくて元気な人って言ったり、陰気な人を物静かな人って言ったり』
··········頂いた感想を、読み返してみる。
────まさに王道!というお話でした。文章が非常に読みやすく、夢中になって読んじゃいました。ファンタジーって良いですよね! 熱血で真っ直ぐな主人公が格好良いです!
これは本当に、そう思っていたのだろうか。
それとも無理やり、褒め言葉になるように言い換えていたのだろうか。
『言い換えるのって大変だから、本当はバシバシ指摘した方が簡単なんですよ。その方が成長するし。でもほら、私はまず文字を書く楽しみを知って欲しいと思ったので』
『ぶっちゃけ、指摘された程度でもうやめるー!って拗ねるような激弱メンタルなら、人前に出すんじゃねえよって思いますけどね。それで辞めるなら所詮その程度なんで。一生チラシの裏で書いとけって(笑)』
企画の参加者は、主催者のことを褒めたたえ、感謝している。
私もきっとそうすべきなのだろう。
けれど、私には無理だった。
筆を折った後、どうやって立ち直ったのかは覚えていない。
読書をして、アニメを見て、ゲームを見て、音楽を聞いて、ある日、ふと何かを書きたくなる。
私のような激弱メンタルの人間は、本来、投稿小説サイトに投稿すべきではないのだろう。
チラシの裏で満足して、誰にも見せずに、書いた事実だけで満足すべきなのだろう。
だが、今でも私はぽつぽつと投稿している。
これからも、何でもないことでまた筆を折るかも知れない。
だけど、何度筆を折ったとしても、そのうちまたぽつぽつと何かを書いて、投稿しているのだと思う。
筆折り回想 三谷一葉 @iciyo
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