第24話

愛だ恋だという言葉をお遊びに使うことはある。でも、その意味を真に理解しようと思ったことはない。あと、何百年か、あるいは何十年かかるのかはしらない。しかし確実に世界は滅びるのだ。滅びてしまう世界に何かを残す意味などあるのだろうか。子孫を残せばそこ子らは必ずこの世の終わりを見る。自分の子孫にそんな業を背負わせる覚悟なんてもてやしなかった。


財産に固執する感覚もわからない。家柄とか、相続とか何になるのだろうか。老人たちは一生懸命今持っているものを一滴でも取りこぼさないように躍起になって守り、増やそうとする。天国には持っていけないのに。外から来たものは目をギラつかせてそれが欲しいという。地獄にも持っていけないのに。


皆どこかでは、何だかんだ結局人類は滅亡を免れて、それら残したものは無駄にならないと信じてるのだろうか。あるいは万が一奇跡が起こって生き残ったとき、自分の子孫が少しでも有利になるようにという生物的本能だろうか。


俺には理解できない。俺は全てを持って生まれたずるい奴だからから、無き者の飢えを知らないからなのかもしれない。俺は老いの怖さと戦ったことがないから、失うことの怖さを持てないのかもしれない。俺には理解できない、俺には理解できないのだとそう思っていた。


最近、欲が生まれた。最初は、望んだわけでもなく親父に勝手にあてがわれたもの。ただ最低限の礼儀と義務で重ねた対話の日々はいつしか自分の中で大切な時間になっていた。彼女との時間がもっと欲しくなった。彼女を失いたくないと思った。そんな執着が自分にあることに驚いた。愛や恋だの、上等な感情ではないのかもしれない。ただの執着、それだけなのかもしれない。でも俺は確かに、自分の中に今までにない感情が芽生えたことに気が付いた。


だから、その日別れ際に、消えそうになる彼女を繋ぎとめようと必死で、俺はとっさに不細工な約束を取り付けたのだ。今手の内にあるはずのこの瞬間じかんを、失いたくなくて。これからも欲しくて、欲しくて。強引に作ったその日の続きを俺はまだ知らないまま生きている。


***


見た目相応で年齢不相応、自信満々で無邪気とも思える不敵な笑みを彼女はいつも浮かべているはずだった。雲蘭リナリアのその笑みの中に、いつしか忍び込んだ憂いに気が付いたのはいつだったか。


それは俺の知らないところで日に日に大きくなっていき、気が付けば彼女の瞳が向かい合う俺の方からその闇の方に引きずられていることを確信したとき。俺は子供っぽい嫉妬の感情を覚えた。


「最近、何かありましたか?」

それは向かい合って食事している俺を見て欲しいというぐらいの軽い、咳払いのようなものだったつもりだ。彼女はビクッと体を震わせてから、それからいつもの堂々とした不敵な笑みを造った。大人びるように。


「君に気づかれるなんて不覚だよ」

上から年長者としてのマウントを取って誤魔化してしまおうとするその行為が俺から半歩分距離を置く行為に思えて、寂しくて気に入らない。


「気づかれたくないなら、ちゃんと笑ってください」

その軽口に観念したように彼女はため息を小さく吐いてから次にいうべき言葉を決める。


「会うのはこれで最後にしよう」

俺を突き放すためのセリフは、合理的な彼女らしく、結論から述べれれた。突然のことに驚きと驚かない気持ちは半分ずつ。


「俺はなんだかこの関係上手くいってると思ってたんです。上手くいくと思ってたんです。だから、理由を教えてください」

半分の方を整理して静かに求める。合理的な彼女はきっと嘘偽りなく答えてくれるから。


「少し前にね。部下が、帰らぬ身となった」

無駄が嫌いな彼女にしては幾分か遠い所から話を始める。

「入隊して間もないころ、一番つらいときから、何度も一緒に死線を潜り抜けてきた。最上に優秀で出来て、最高に信頼できる。そんな戦友の一人だったよ。もうすぐ任期を終えて除隊出来て、除隊したら必死の思いで国からコロニーに引き上げた彼女と、遅めの結婚式をあげると聞いていた」


「それが?」

静かに、静かに彼女の話に耳を傾ける。


「妹の話覚えているかい?」

また話が飛んだ。行き当たりばったりに喋りながら、自分の真意をあぶりだすように小さくて整った唇を丁寧に動いた。


「双子の、あなたと何もかも瓜二つだったっていう?」


「そう、何もかも一緒ではなかった優しい妹のことさ」

整理されてない不格好な語りは彼女らしくない分、彼女の本音に初めて触れているような気がした。


「コロニーに移住するための試験で、私と妹の何が違ったのか話したとことを覚えてるかい?」


「たしか全く同じだった。だから運を引きつけた気質、優しさだけが違いだってあなたは語ってくれました」


「運か…、そんなこと言ったね。それはズルい言い分だ。私はね。嘘をついてきた」

そう前置いて告白する。

「ホントはね。私が選んだんだ。私と妹どちらがこの街にふさわしいのか」


***


目の前に二つの扉がある。一つの扉を潜れるのは一人だけ、そういう注意書きがしてあった。試験も終盤、ここまで二人力を合わせてきた私とマツバだったが、一緒にいられるのもここまでの様だ。


「どっちの扉にする」

何気ない問い。


「……」

「リナリア?」


「じゃあ、私は左だ。赤い方の扉」

平静を装って何気なく選んだ。


「わかったじゃあ、私は右だね」

彼女は反対側の白い扉に手を伸ばす。

「次会うときは合格会場だね」


「ああ、そうだな」

私もドアノブに手をかけて、それを回した。彼女が白い扉の中に消えていくのが見える。私はそれを目の端で追いながら、自分が選んだ赤色の扉を潜ると、背中でゆっくりと扉を閉じた。ロックがかかるような音がする。一人潜れば、閉じる仕組みということだろう。


「悪いな、マツバ…」

私のつぶやきは、扉とつながっていた通路の中に染み込んで誰にも届かぬまま消えた。


***


「私はね。偶然知っていたんだ。試験管たちが口にしているのを耳にしてね。二つの扉の試験はね。赤い方が正解だと。いや、偶然ではなかったのかもしれない。意図して知らされていた。今はそんな風に思う。あれは試験で私は選ばされたんだよ。マツバか私、どちらを合格にするかを決めたのは運命なんかじゃない。私なんだよ」


「でも、あなたはその後、妹さんの為に必死に頑張ったじゃないですか」

慰めにならないことを知っていて、それでも何か言ってあげたかった。そんな俺を見透かすように彼女は優しく微笑んで、それから静かに首を振る。


「私はあの日の選択を間違いだとは思わない。いや、何度考えても思えない。私はずっと欲しいものの為に、大事なものすら切り捨てる。その合理性を強さだと思っていた。いや、今でも思ってるのだろう。だから、マツバの時もレノスの時も私は正しい判断をしたのだとしか、思えない。何度思い返しても」

だけどねっと言葉を区切る。

「最近一つだけ思い違いをしていたと気が付いたんだ。私は正しいがゆえに強いのではない。正しいがゆえに弱いんだ。強さはね。君やマツバみたいな不合理をいとわない優しい人間にだけ宿るものだよ」


「あなたは、あなたたちは強いと思います。コロニーの外からやってくる奴皆、俺なんかじゃとてもかなわないぐらい」

俺の正直な言葉も彼女には届かない。


「馬鹿なことをいう。私たちは前提として上澄みだよ。外いる人間で最も恵まれた部類。その私たちがで必死に努力して、実はコロニーの人間と成績上位者の比率はさほど変わらないのを知っているかい?努力と才能で私は成り上がった。だが努力と才能で手に入れられるものしか私は持ち合わせていない。全部君たちが産まれながらに持っているものだ」


「そんなこと…」


「私はあの広いだけの狭い世界でただ、意味もなく生き続けるのが嫌だった。私は父のように、無意味な生の結果として死を与えられるのが嫌だった。そう、告白すればね。父が灰になったとき、私の中にあったのは大きな悲しみよりも幾分か大きい侮蔑だ。ああなりたくはないと思った」

一度開いた口は今までため込んできたものを吐き出すように饒舌で、延々とさえずり続ける小鳥の様だ。彼女自身がもう、自分の意思とは関係なく話してしまっているようにに感じた。彼女らしくなく支離滅裂で結論を知らない。


「私が神に祈らなくなったのは、彼女を尊敬するだけの気力がもう私には残っていなかったからに過ぎない。信じてさえいれば楽だったのに、信じる抜くための意地は、もう壊れてしまっていたんだよ。私にはね。どうしても神様というものが信じられない」


「今から少しづつ強くなればいいじゃないですか?」

その問いにも寂しく首を振る。


「君のどうでもいい悩みに悩む姿を滑稽だと思っていたよ。でも今だからこそわかるんだ。どうにもならないように見えるこの世の理や法則に疑問を投げかけることができることこそ本当の豊かさだとね。私は滑稽だ。支配者たちの作ったルールの中で努力し、彼らに与えられたロジックで自分を補強し強くしてきたのだから。私は妹を奪ったこの世の摂理と戦うべきだったんだ。私は結局合理性という蓋で自らを気持ちを守っていただけなのかもしれない」


「変わればいいじゃないですか?」

また、彼女は悲しく首を振る。そして思い出したように結論を述べる。


「ミモザ私は君のことが好きだよ。だから君からは奪えない」

突然の告白。嬉しい言葉のはずなのに、寂しい決別に聞こえた。ずっと悲しげだった彼女の瞳はは脱線した話と共にいつの間にかいつもの意志を取り戻し、続ける。


「私はまたいつか切り捨てる。私の合理性は、私を豊かにすることだからね。そしてもう戻れない、それを認めることは私がこれまで切り捨ててきたもの、積み上げてきたすべてを否定することになるからね。私はね、それらを簡単に捨てられるほど強い人間じゃない。だから瀬戸際でまた同じ選択をしてしまうと思うんだ。いや、確信がある。だから私にふさわしいのは君じゃない。私の結婚相手にふさわしいのは切り捨てても心が痛まないそんな凡庸で色のない相手だよ。私は豊かになりたい。ただただ、例えその先に何もなくともひたすらに豊かさを求めている。心から」


そこで話を切り上げようとする彼女を俺は強く引き止めたいと思った。

「俺はそれじゃあ、納得しませんよ」

逃げ出そうとする彼女の手を強く、乱暴につかんだ。


「俺からあなたが奪えないなら。俺があなたから奪います」


「随分と不思議なものだ。追いかけているときは、手に入らないのに。望まぬと言えばぐいぐいと寄ってくる」

彼女は俺の手をそっと優しく握って、ゆっくりと引きはがす。


「来週また、いつもの場所。来てください。ちゃんと準備して、ロマンチックにいきますから期待しててください。返事はその時聞きます。だから来週、必ず」

俺らしくない強引な約束。この大切な時間を守るための約束。


彼女はそんな似合わない行動をする俺をおかしく思ったのか、ふふっと小さく笑って、一度も振り返ることなく消えていく。俺はそんな光景を客観的に、これが映画か何かならなんてロマンチックなシーンだろうと自嘲した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る