第22話

「まるで別のものようだね」

と僕は目にした光景を前に不意に口に出した。


眼前に広がるのはネズミたちの楽園。

目の前ではあのユートピアプロジェクトのメンバーたちが祝詞を唱えている。誰の瞳にも現実に対する疑問はなく、知識への探求の代わりに盲目な信仰が写る。その瞳を僕はユニバースの崩壊直前の街で度々見かけた。考えることより信じることがいかに楽かを僕も知っている。しかし、それがあの真理の追究していた集団の慣れの果てだとは思いたくなかった。


「もう完全に、ただの信仰ですね」

ヒナギクはひっそりとした声でかつて研究対象であったはずのネズミたちが崇拝されているその現状を嘆いた。


「彼らはこのゲージの中のネズミたちに起こることがこの街の未来だと信じて、ネズミたちの滅びという結末を変えれば街の未来も変わるはずだと信じているようです。永遠に栄えるように餌を与え世話をする」

説明してくれたのは、現地の協力者としてで教団に潜入してくれている女性だ。孤児院のマザーの下で育ち、本業は今も教会でシスターをしているらしい。


「時代とともに本質は忘れられ、形だけが残る。信仰というのは本当に厄介だな」

口からこぼれたのはただの愚痴だ。


「もう戻ろうか、こんな場所をこれ以上調べても意味はないだろう」

あれから、ユートピアプロジェクトはどのユニバースにおいても我々の前に姿を現した。彼らは必ず真理を追究する秘密結社として産まれ、時代と共にただネズミを狂信する宗教団体へと変貌を遂げる。その結果、度々マザーや市長、教会や街の上層部への暗殺や、テロ行為を画策し、僕らに阻止される。イタチごっこだと思った。


「ここまで、調べてテロ集団以上の何物としての情報もないんだ。隊長もいつまでこんな教団にこだわるのか…」

愚痴が漏れる。僕らの目的はあくまで、果実の回収。この明日には消えている世界の治安維持なんかではない。


「副長がいなくなって、上手まわらなくなってるんですよ。シフトも当初予定していたものから大きく変わって、今では行き当たりばったりですし」

ヒナギクの言葉は僕に重く大きな影を落とす。


レノス副長の件は不可解な点ばかりだ、誰に何の目的でロストさせられたのかすら謎。隊の中では、隊の中に悪魔崇拝者が紛れ込んでいてそいつが副長をやったに違いないという噂が流れだした。


僕は副長が未帰還者になった理由の一端に、あの日グラジオス・スタゲイラとの間で結んだ協定がある気がしてならない。隊長はグラジオスと副長の間で交わされた契約をどこまで把握しているのだろうか?ほとんど共有はされていないだろう。契約の強固さを僕は身をもって知っているからだ。


一度、やはり隊長には伝えておこうと思った事もある。しかし話そうとすると、あの日のことが記憶から一時的にすっぽりと抜け落ちるのだ。あの日結んだ魔術的契約の効果だった。釈然としない疑問もある。契約相手たるグラジオスも、レノス副長もいなくなってなお契約がなぜ生きているのかだ。僕の知識の範囲ではそんなことは起こりえないはずだが、グラジオスと僕の魔術的素養には雲泥の差があったことは事実だ。何らかの策にハメられた可能性はある。もっともはハメた本人ももはやこのユニバースにはいないのだが。副長の件と無関係かもしれないが一人秘密を抱えたまま悶々と過ごすのは少し堪える。


そんなことを考えながらも、僕は帰り着いた教会の一室の扉を開けた。

中で待機していたのは同様に報告に戻った隊員1人と、リンドウ、そしてやつれたアッカ―副長だった。


「な、なにか空気悪いですね」

室内で待ち構えていたじっとりとした空気感に思わずヒナギクがつぶやく。


「いつまでこんな茶番を続ける気だ」

苛立ちを隠せないでいたのはリンドウだった。

「俺たちの目的は、果実じゃないのか?あの教団これ以上掘っても何も出てくる気配はねえぞ」

言葉は乱暴だが、それは隊員たちの抱える不満そのものだ。


「決めるのはお前ではない。雲蘭隊長だ。彼女の指示に従っていれば問題ない」

苛立ちをぶつけられた側、今や唯一となってしまった副長アッカ―が冷たくあしらう。いつも浮かべていたやわらかい表情は今はもう健在ではない。


「またそれか。隊長、隊長、隊長、テメーの意見はないのかよ。あの人を信頼するのは勝手だが、意見しないのは崇拝と一緒だろ。レノス副長も大方、思考停止して自分で考えないからあんなことになったんだろうよ」

「リンドウ!」

これ以上はまずいと思い止めに入る。しかし言葉はすでにアッカ―副長の感情を逆撫でするには十分だった。しかもその感情は僕の方に飛び火する。


「葵帰ってたのか?ちょうどいい、聞きたいことがあるんだ。お前、何か隠してるだろ?」

「なにを…」

僕は言葉に詰まる。


「わかってるんだ。レノスとふたり何かを探っていたこと。あいつのことだ、何か考えがあると思ってほって置いた。それはいいんだ。だた、レノスがあんなことになって今になって気になりだしたんだ。レノスは慎重なやつだ。簡単に油断はしないし、考えなしにリスクを負ったり、バカみたいなヘマをする奴じゃない。そんな奴がロストされた。あとちょっとだったんだ。あとちょっとで、俺もあいつも晴れて任期をおえて除隊。後は楽しいリタイアライフが待ってた。なのに何であいつはこの期に及んで未帰還者になっちまうようなヘマをやらかした?なあ、葵、お前、なぜ何も報告しない?あいつは何か厄介なことに首を突っ込んだ。だから、ロストした。そうだろ?お前は何か知ってるはずだ。関わってたはずだ?なぜ何も言ってこない?」


彼の悲壮な声は半分、独り言で、最後はきっちりと僕に向かってくる。言葉に窮した。文字通り、魔術的制約により僕は何もしゃべれない。


「何黙ってる。葵、まさかと思ったがお前、本当に何か隠してるのか?」


「せ、先輩、何か言わないと」

と無茶な要求をされるが僕には何も答えられない。


「パキラを疑ってんのか!?こいつはそんな奴じゃねえ。というか仲間を疑うなんてどうかしちまってるぞ」

空気をぶち壊しながら、救いの手を指し伸ばしてくれたのはリンドウだった。そんな彼の方に今度は再びアッカ―副長の怒りの矛先が向かう。


「疑うなだって?リンドウ、知っているか?この隊の中にはな、裏切り者がいるんだ」

副長の静かで感情のない声が逆に、部屋中に良く響く。

「いや、裏切り者ではないのかもな。端から悪魔を崇拝し、邪神に使える悪魔崇拝者がMALUSの中に紛れ込んでいる。考えるまでもない、レノスをやった人間がいるとすればそいつだ」


「そんな…、ただの噂、ですよね…」

思わず叫んだのはヒナギクだ。

「噂、違うね」

副長は言い切る。


「とにかく、パキラは絶対に違う」

リンドウが言い切ってくれたことに少し感動を覚えた。


「そうか葵じゃないのか。ならお前か、リンドウ?」

静かな声は、普段温和なアッカ―副長をして恐ろしい響きとなった。


「……」「……」「……」「……」「……」

各々の胸の内で嫌な時間が流れる。


「…俺が悪魔崇拝者だって?さすがにそれは笑えねえな」

リンドウも答えるように静かな怒気をはらませる。

「そこまで言うなら、根拠ぐらい示してもらおうか?」


「簡単だよ。信じられないんだ。たった三人ぽっちであのを仕留めたという話。都合のいいことにそのうちの一人葵はロストし記憶を持ち帰れず、いたというもう一人の隊員は誰かも特定できない。お前たちをブラックリストにあげたのはレノスだ。あいつは特にお前を疑ってたよエゼルウルフ・リンドウ」


正直僕も副長が口にした言葉は気になってはいた。本当に僕は根を倒したのか?リンドウと一緒に?


言葉を向けられた当本人は一瞬ひるみ、怒りいがいの何かが彼の中に浮かぶのがわかる。代わりに芽生えた感情を押し殺し、リンドウは居住まいをただして口を開いた。


「俺が嘘をついてるっていうのか?事実、根は一人いなくなっただろう?それに俺はきちんと教会に記憶データを提出しているぜ」

「閲覧制限がかかっていて見れない。俺だけじゃない、雲蘭隊長クラスでも」


「そいつは俺のせいじゃないな。聞けばMALUSは複数の組織が寄り集まってできた分、派閥争いが絶えないそうじゃないって話だ。大方、次の教皇選がらみの手柄争いじゃないのか?どちらにせよあんたたちが見れないってことは上が見る必要がないと判断したってことだ。そして上はそれで納得している。それが俺が内通者でない証拠だ」

堂々とした、しかしどこか確信を避けるような物言いだ。


「だとしてリンドウ、お前が、一隊員に過ぎないお前がなぜそんなことができる?」

「そこまでだ!」

険悪な空気を打ち破り部屋に入ってきたのは雲蘭副長だった。


「…話してしまったようだな、アッカ―」

「ですが!」

激情に煽られて機密情報を口にしてしまった事を咎めれられてもなお、副長の興奮は収まらない。


「ここですべてをぶちまけてレノスが調べ上げてきたこれまでをすべて無駄にする気か?」

「それは…」

隊長は的確に、アッカ―副長の頭を冷やす。その辺は長く一緒にやってきたからこそできる芸当だろう。


「それじゃあ、この中に内通者がいるって話は⁈」

隊長の言葉からヒナギクは察する。

「…事実だ。上は以前からMALUS内部に内通者がいることを疑っていてね。悪いがこの隊に集められた隊員はみな、精鋭なんかじゃない、ただの容疑者だ。この部隊は過去の経歴から疑わしい人間を中心にして編成されている」


「そんな…」


「いや、考えてみれば…」

これまでの扱いに思い当たる節があった。

「そうだ。部隊の全体で情報を共有しないのも内通者対策さ。実際には、ダミーの情報を各チームに別々に流して内通者の特定を試みたりもしていたのだが…、まあもっとも、敵もそんな餌にのこのこ食いつくほど馬鹿ではないようだが」

やむなしといった様子で肯定する。


「とにかく今ここにいる者にはかん口令を敷く。ログアウト後、すぐに針を用いるようにそれぞれの担当技官にも通達しておく。当然今回の任務まで機密保護は個々人の理性に頼ることになるが、口を滑れらせることは疑いを強める結果になるだろうな」

隊長は僕たちに多くの言葉を無理やり飲み込ませ。命令という形でこの場を収める。


「アッカ―お前は一度ログアウトして頭を冷やせ、向こうで三日休暇をやる」

こちらにも有無を言わせぬ物言いだ。


かくして騒動は一時的に棚上げされ。そしてこのユニバース、ユニバース20での任務も最終日を迎えることとなった。

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