第20話
団体の施設を出ると辺りはもうすっかりと暗くなっていた。窓辺から漏れ出る街明かりが主役の交代といわんばかりに赤く赤く照らす。施設は中心街からほど近い所にあって、入団の日あれほど連れまわされたのは何だったのかと思わずにはいられない。
前を歩く少年は目的地に向かってぐんぐんと足を進める。僕はただ黙々とその後を追った。彼が足を止めたのはある酒場だ。彼は扉を開けて中に入ると、また迷うことなく奥へと進む。
「奥、もういる?」
店員の方に一言確認した。僕はその店員の顔に見覚えがあった。どうやら彼女も組織のメンバーのようだ。彼女は無言でうなずいた。
「奥の部屋はね。個室になっていて密会に便利なんだよ」
と彼は説明した。二階に上る。それから彼はその密会者の待つであろう扉の前で止まった。
「失礼します」
扉を叩き、それからゆっくりと開ける。部屋の中に入って、僕らは一瞬思考がフリーズする。僕らは僕と、その部屋の中で待っていた人物だ。困惑する僕はグラジラオス・スターチスの方に視線を向ける。中で待った男もまた彼を見た。少年は満足げに微笑むだけで何も言わない。
「初めまして、グラジオス・スターチス殿」
男は沈黙の後僕の方に歩みより握手を求めてくる。
「えっ?」
僕は一瞬戸惑ったが、彼の意図を悟り不自然にならないように努める。
「申し訳ございません。私はパッド・アレンです。同志スターチスはあちら」
僕らのやり取りをじっと見つめるスターチスの瞳に今のやり取りがどう映っているかはわからない。しかし、ボロらしいボロは出していないはずだ。
「私が、グラジオス・スターチスです」
彼は男に微笑んだ。
「これは失礼しましたスターチス殿、よもやこんなにお若いとは。私が、アリステレス・スタゲイラです」
堂々と偽名を名乗る男は、レノス副長。まさかこんなところで出くわすとは。
「魔術に興味がおありだとか?」
「ええ、それで色々なつてを使って調べていると、スターチス殿のことを紹介されまして。貴殿はその世界では第一人者と聞いています。しかし、お若いと聞いてはいましたがそこまでお若いとは思いもしなかった。そちらのアレンさんと間違ってしまった事改めてお詫びしたい」
ながながと話す副長の言葉は僕に向けられたものだろう。おかげで情報が整理できた。魔術に関して副長は独自に調べると言っていた。たどっていったルートで行きついたのがスターチスの名前なのだろう。だとすると、彼が僕をここに同席させた意図が気がかりだ。
「まあ立ち話もなんです。座ってください。ここの料理はなんでも上手い。僕は飲めませんがお酒も最高だと聞いています。同志パッドも座って」
促され僕らはそれぞれ席に着いた。
「ところでそちらの方は?」
レノス副長はしらばっくれて尋ねる。
「パッド・アレン同志。私と共に魔術に関して研究しています。もっともまだ新人ですがね」
僕はパッド・アレンとして紹介された。
「同志グラジオス、今日はなぜ僕をこの場に連れてきてくれたのですか?あなたの言うように私はまだ魔術に関して若輩者です」
「簡単だよ同志。同じ質問を別の場所で二回もされた。だからまとめて答えてしまおうと思ってね」
「同じ質問?」
最初は面食らっていた副長だが、もうお落ち着きを取り戻しているところは流石だ。ばれているにせよいないにせよ、ばれていない体で話を進めるのは当然だろう。
「『この街を沈めるほどの洪水を魔術で起こすことは可能か』それがあなたが私にコンタクトを取った理由ですねスタゲイラさん。そしてあなたからもだ。同志パッド」
僕は口の中が乾くのを感じる。大丈夫、ただの偶然で済ませられると心の中でつぶやいた。
「それは面白い偶然ですな。私は例えばそんな大それたことも魔術でできるのかという疑問をお伝えしただけですが」
副長は心から愉快そうなそぶりで笑う。その役者ぶりに感心しながらも、僕は余計なことを口にせずにただ曖昧な表情で同意するに収める。
「まずその仮定についてお話する前に現状を認識しましょう。同志パッド、あなたの知識の範囲でそのような大それた魔術を行うことは可能ですか?」
「いえ、不可能だと思います」
即答する。
「なぜ不可能と思うのか。できれば素人であるスタゲイラさんにもわかる言葉で説明していただけますか」
「そうですね。まず、魔術には二つの要素が必要不可欠です」
と話を切り出す。
「一つ目はエーテル。これは魔術の素のようなもので人や物質、空間に有限に存在しているものです。エーテルの保有量は空間や物質より生命の中が圧倒的に多い。生命の中でもさらに動物に多く、また動物の中でも体の大きいものに多く、そしてより発達した知能を持つものに多い。つまり人間です。またエーテルには磁石のように総量の多い場所に集まってくる性質があり、ゆえに人や生き物のいる空間では、空間、物質に宿るエーテルの大半は生命の中に自然と集まり蓄えられていくこととなります。つまり砂漠のような場所では空間や物質に多くのエーテル量が残っている一方で、森のような場所では植物に多くが集積され、都市のような人があふれている場所ではそのほとんどが人体に集まり集積されてしまう」
「よく勉強できてます」
老獪な少年は僕の理解を褒める。
「二つ目の要素は?」
「二つ目は体系です。これは詠唱や、魔法陣、あるいは杖などの道具を指します。これらはすべてエーテルをどのような形に変換するかを担う変換器のことで、必ずしも五感で知覚できるものである必要はないです。概念でも構いません。ですが再現性を持たせるためにはなんらかの音や形に落とし込むことが一番です」
「どういう意味かな?」
副長が尋ねてきた。
「例えば、僕は今すでに水を生み出す魔法を感覚的に理解しているためになんらかの操作をせずとも水を生み出すことができます」
そういって、無言、無動作でコップの中に水を注いで見せる。
「ですがこの感覚を人に伝えることはできませんよね。ですから、例えばこれを魔法陣という形に落とし込みます」
僕は魔力を込めて紙の上に適当な図形を描いた。
「これを僕の絵描いた順番でなぞっていただけますか?」
僕の言葉に従って副長は図形を指でなぞる。すると彼の前に小さな水の塊が現れ、しばらくすると重力に従って落下した。
「これは!」
普段から冷静な彼も驚いた表情を見せる。
「今、スタゲイラさんの中で何かが動く感覚がありましたよね。それがエーテルです。先ほどの魔法陣は僕が自身の中にある感覚を転写したものです。あなたがそれをなぞることで逆にその感覚を再生させました。形態は歌でも文字でも図形でもダンスでも何でもよいのですが、魔術で生み出したものを意図的にトレースさせることでその感覚を他人に共有できます。これが体系。ちなみに簡単なものであれば何十回、何百回、何千回と繰り返せば、感覚的にエーテルの返還方法を体で覚えることができ、先ほどの僕のように予備動作なしで魔術を発動させることも可能です」
「補足する必要はなさそうだ。では、なぜ先ほどの仮定のような大魔術は行えないのかを説明してくれますか?」
少年は教授が生徒に尋ねるように僕に問う。
「まず一つ目の条件。魔術発動に必要なエーテル量が絶対的に足りないという問題があります。もし、仮定のような大魔術を起こそうと思えば、一般的な人の保持する平均的なエーテル量に換算し約一万人分の出力を求められます」
「だが、逆に言えば一万人集まればできるということか?」
副長が口をはさむ。
「そうですね。そしてそこで二つ目の条件に引っ掛かります。一つの魔術を複数人で行う場合、すべての人間が体系をそろえる必要があります。先ほど僕がしたように何らかの魔術をすべての人間がトレースする必要がある。先ほどより複雑な行程を息を合わせて。副長は僕魔術を簡単に模写できましたがそれは魔術がシンプルであったからです。複雑になればなるほど、行程は増し、エラーも増える。相応なトレーニングを積まなければ体系を用意されていてもすぐには魔術を複製できません。さらに、大人数で行うとなると個々人のずれも生じてしまう。せいぜい一つの魔法を複数人で行う現実的な範囲は10人までと思われます」
「一万人のエーテルを集めて、彼らすべてに修練をほどこし寸分の狂いもなく魔術を実行させる。つまり、あなたがおっしゃるていることは理論上不可能ではないはずだが実現しようとするとまず成功の目はないということに聞こえますが」
「いかにもそうです。もちろん私の浅学によるとですが」
そう答えてから、とても年下とは思えない優美なふるまいの少年の方に正解を求めた。
「もう一つ課題がありますね。誰も見たことがなく体系のない大魔法。まず最初に誰かがその魔法を扱えなければ体系は生み出せず存在しない。しかし体系が存在しなければその魔術を扱える人間は生まれない。つまり前代未聞の魔術を生み出すためには、前代未聞の魔術を経験したことがある人間が必要であるという矛盾です」
「…気づきませんでした」
つけ足された補足は僕ら先を知るものにとってみれば盲点だった。見てきた僕たちににしてみれば大魔術は既にあるのだ。しかし、このユニバースにとっては確かにそれははるか未来の話。魔術はまだ、存在していない。
「まあとりあえず一つ目の課題から考えてみましょう。まずエーテル量の話、これから減らしてみましょう。何か意見はありますか?案外こういうのは門外漢が答えを連れてきてくれるものだ」
副長に向けて問題は投げかけられた。
「素人考えで考えるなら、先ほどおっしゃった個人に宿るエーテル量を多く見積もれませんかね。アレンさんの計算に使った値はあくまで平均値、個体差があると考えて。仮に三倍のエーテル量を持つ人間を集めればどうでしょう?数字は三分の一、3000人強ですみます」
「確かに平均の三倍のエーテルを持つ人間は存在していますね。しかし、そう数は多くない。人時代にそれほどの人数集めることは不可能だと思うのですが」
僕はその意見を否定する。
「では、エーテルを保存することはできないのか?空間や物質にも宿るのなら、保存しておくことは可能なはずだ」
副長は新しい切り口で攻めてくる。
「二つの課題があります。先ほど話したように生命が近くにあればエーテルは物質から生命に勝手に移ってしまう。物質を人の側に置くだけでエーテルは散ります。これでは保存はできない。もう一つは量です、物質に宿るエーテルは極めて微量、物質でエーテルを集めることは一万人の人間を集めることよりも何百倍も難しいです」
「いや、」
否定する僕の言葉を同志グラジオスは遮る。
「僕はその実現性はあるのではないかと考えている」
「そんな方法が存在するんですか?」
僕は驚いた。
「残念ながらそうではないよ同志パッド。だが僕が今研究していることの一つはそれだ。エーテルは何らかの方法で保存できるのではないか」
「実現の可能性があると?」
僕の質問に対し彼はいたずらっぽく笑う。
「他人に自分の研究成果を吹聴したりしないよ。でもね。可能かもしれないとだけ言っておこうかな」
「では仮に可能ということで話を進めて、二つ目の課題に対するあなたの見解はどうですか?体系を多くの術者で共有することの難しさ」
副長が話を前に進める。
「エーテルを保存できるならこの課題は簡単だ。大量のエーテルを保存しておいて10人以下の術者で取り出せばいい」
口をはさんだ。
「そうシンプルではないですがね。保存したものを取り出すのにはまた別の課題があります。しかし、概ねそういう諸々はクリアできることににしておきましょうか」
僕の答えをグラジオスはあいまいに肯定する。
「最後の課題はどうですか?まず魔術を生み出す体系が必要であること」
次は僕が質問した。その答えを僕らは知っているが一応、聞いた方が自然だからだ。
「その答えは」
彼はもったい付けて言葉を区切る。
「あるいはあなたたちはすでにご存じではないのですか、教会のお客人さん」
僕と副長の表情はその言葉に一瞬で凍り付いたのだった。
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