第19話

気が付けば寝ていたようだ。図書室の中からはすっかりと人の姿が消えている。ふと見上げてしまった積み上げた魔術に関する資料を傍らに僕は大きくため息を吐く。


「全然わかんないし、進まない…」


ヒナギクの方はどうしているだろうかと、図書室の真ん中に設置されたネズミの楽園に目を向けるとそこに彼女の姿はすでになく、かわりに一人の少年の姿を見つけた。


僕と彼だけの空間。誰もいないと思ったのだろうか、ユートピアプロジェクトの団長は年相応な少年のあどけなさをガラス面に移した。もう少しだけ彼を少年のままでいさせてあげたい気持ちもあったが、僕は今自分の魔術に関する調査が行き詰っているのを思い出す。聞いてみるのにこれほど適した人物はいないだろう。ゆっくりと椅子を引いて立ち上がろうとする。


「魔術の研究はどうですか?」

話しかける前に大人びた声が飛んできた。顔はゲージを見つめたまま、表情から少年の面影は消える。僕は声に導かれるように彼の側に歩み寄り、ゲージを共に眺める。


「最初の数週間は。それからは大いに行き詰っています」

中では被支配者に留まる大勢のネズミが一個隊のように群れてうごめいている。っとちょうどその中の一匹が王の縄張りに侵入し次の権力者へと名乗りを上げる。当然闘争へと発展した。


「誰が王になろうとも結局は滅びてしまう。誰が権力者の地位についこうとも延々と恒久の安寧を享受できるこの都市のようではないですか?」


「恒久の平和は嫌いですか?」

「僕も平和は好きですよ。ただ、この平和があるべき形だとどうしても思えない。恒久は停滞でもある。これを享受した先にからならず滅びが待ち受けている。そんな偽りに満ちた平和に見えるんです」


「このゲージの中のネズミたちのように…ですか?」

グラジラオス・スターチスの予見は怖いほどこの都市の未来を言い当てていて、この歳にして一つの集団の長足るその片鱗を感じ身震いがした。まるで未来を見てきた僕らと同じぐらい物が見えている。


「そうですね。次からは初期値を変えて実験してみようと思うんです。あるいはそこにこの漠然とした不安を拭うヒントがあるかもしれない」

この天才的カリスマの終末思想が転じて百年の後、ユートピアプロジェクトはあの災害を引き起こすのだろうか。


「何を変えれば彼らのユートピアが永遠足り得ると?」

「さあ?案外全てを与えてしまうからダメなのかもしれない。足りないということは僕たちが考えるよりも、いいことなのかもしれませんね」

挑戦者のネズミが王位の簒奪に成功したところで、幼い賢者はようやくと僕の方にその綺麗な顔を向けた。


「ところであなたはどんな魔術を研究してるのですか?」

彼の探るような視線に動揺する。これほどの頭の持ち主ならば僕の素性にも感づいているのではないか。とにかく慎重に言葉を選ぶ。


「いえ、今はただ漠然と魔術という言うものを学んでいます」

「それにしては随分と悩んでましたね。まだ数週間、行き詰るには早いと思いますけど」

彼は僕の座っていた机の方へととぼとぼと歩くとそこに積み上げられている本の束から一冊を手に取る。


「なるほど、かなり踏み込んだところまで勉強しているようですね。まだあなたには早すぎると思うのだけど、同志?」

「それより初級のものにはすべて目を通してしまいました」


「理解したと?」

「はい。概ねといったレベルですが」


「なるほど、同志パッド。あなたは頭がいいようだ。しかしこれ以上のレベルで考えるとなるとあなたは魔術で何をするつもりですか?」

僕の偽名を呼ぶその口ぶりは、純粋な疑問に留まっていると信じたい。ボロを出した覚えはない。


「まだ具体的には何も、ただもっと大規模な魔術は使えないのかと考えていたんです」

「大規模というと例えばこの施設を吹き飛ばせるぐらいですか?」


「いえ、もっとです」

「もっとというとどのぐらい?」

「…例えば、この都市を飲み込むほど巨大な水を生み出すことができはしないか…、とかね」

冗談めかした口調で、少し踏み込んでみる。しかし彼はその冗談を笑ってはくれなかった。


「……なるほど」

何かに思い至り思案するようなしぐさが作り出す彼の沈黙は、僕に重たくのしかかる。踏み込みすぎたか?冷汗が浮かんだ。


「同志、パッド」

ようやくと口が開かれる。

「これから私はある人物と面会する予定でした。あなたにもついてきてもらいたい」


どっちだ?と考える。いや、どちらにせよ悩む必要はない。相手はユートピアプロジェクトの団長グラジラオス・スターチスだ。情報を引き出すのにこれ以上の相手はいないと考えたからこそ声をかけた。そんな彼の誘い、踏み込むほかない。


「あなたの頼みとあらば是非。同志、グラジラオス」

僕は予定にないリスクにベットすることを決めた。

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