第17話
目隠しをされたまま、箱のようなものに詰められて僕らは運ばれる。あの家にやけに信者の人達が多かったのは僕らを入れた箱を抱えて移動するためだろう。途中荷馬車に揺られるような感覚があり、人力で運ばれる感覚があり、また荷馬車に揺られる。今後の為に、彼らのアジトまでの道順を覚えようと最初は努力したが、ほどなくして諦めた。リンドウかヒナギクに期待しよう。しかし、おそらくフェイクも混ぜながらの移動は結局一時間近く続き、僕はそれも望み薄だなと思いなおす。聞こえてくる騒めきはようやく目的地への到着を知らせてくれた。
「長旅ご苦労だったね」
箱から出され、視界を覆っていた目隠しが取られる。光が急に辺りを包んでそのまぶしさになれるのに少しだけ時間がかかる。
ここは建物の中だ。かなり広く感じる。全体の基調は白で、行きかう白装束の信徒たちとマッチしている。僕のようにその光景に魅入られているのは五人だ。僕とリンドウ、ヒナギク、そしてあの家でお茶を飲んでいた二人。それが今日の入団希望者全員の様だった。
「こちらの部屋だ」
そういって通された部屋に一歩踏み込んだ瞬間に、僕はその光景に飲まれる。異様だった。仮面をかぶった白装束の集団が、僕らを囲むようにずらりと整列している。思わず唾をごくりと飲み込んだ。
「君たちにはいまから入会の儀式をしてもらうよ」
振り返ればここまで案内してくれたあの男もまた仮面を身に着けていた。彼らにとっての正装なのだろう。僕たち五人は、ためらいながらもおずおずと部屋の真ん中へと移動する。
「何が始まるんですか?」
僕ら以外の二人のうち、男性の方が尋ねる。
「簡単に言えば歓迎の歌を聴いてもらおうと思ってね」
冗談めかした返答だ。
「歓迎の歌?」
バカにしたような声はもちろんリンドウだ。
「馬鹿みたいに思えるだろうが付き合ってもらうよ。君たちが心から望んでここに来たのだとしても、その深層心理に埋め込まれたものを確かめておく必要がある」
今度の返答は冗談ではないのだろうということが声音から伝わった。
「さあ、始めよう」
男が手を上げると、仮面をかぶった信者たちが一斉に歌いだす。讃美歌?そんな風に感じた。綺麗なすんだ歌声は、空間の異様な空気感と混じって不気味にこだまする。
ただ僕たちがすべきことはそれを黙って聞いていることのはずだった。
その違和感に初めに気が付いたのはオリーブだ。彼女に袖を引っ張られて、そちらに目を向ける。僕たちと一緒に入会の儀式を受けていた男性、先ほど何が始まるのかと尋ねた男性。その表情が虚ろに変わる。虚ろとしか表現できない、彼はそこにいてそこに立っているはずなのに目から意思を感じなかったからだ。
驚いたことに彼は、信者たちが歌う賛美歌に合わせて自身も歌いだす。彼の意思が介在しているとは思えない。まるで何かのスイッチを入れられたかのように、彼はただ虚ろな目で合唱に参加し続けた。
合唱を指揮していた信者の男が手を振り上げる。終わりの時が近づいているのだ。
「終わりを告よう。ノア」
男は叫んだ。
「「「「「「ノア」」」」」」」「…ノア」
信者たちの美声と、僕たちの隣で虚ろに歌う男の声が重なって辺りは静寂に包まれる。魔法でも発動してしまいそうな雰囲気だったが何も起きることはなかった。
「おい、あんた大丈夫かよ」
リンドウがゆするが男は電池の切れた人形の様に意思なくそこに立ち尽くした。
「残念です」
信者の男が心から労わる表情で口にする。
「あなたは実際に、教会と体制に対する確固たる疑問をもち、立ち上がるためにここに来たのかもしれない。しかし、あなたに入会する資格はありません」
おそらく信者の男が告げた言葉は、彼には届いてはいないだろう。放心する人形のようになってしまった彼は、信者たちに囲まれて部屋から連れ出されてしまった。
「あの人は、どうなるんですか?」
ヒナギクが恐る恐る尋ねる。
「どうにもなりませんよ。入会できないだけです。この後彼は自宅のベッドで目を覚まし、我々とは縁のない日常に戻っていくことでしょう」
もっと物々しい答えを覚悟していただけに僕らは少し息をなでおろす。
「さあ、残りの四人の皆さん。合格です。次は我々の指導者と面会していただく。順番に一人づつ名前を呼ばれた方から順次、あちらの部屋へ」
信者たちの海が割れてそこに一本の道ができる。指し示された先には奥へと続く扉があった。
***
僕がその部屋に入ったのはヒナギクに続いての二番目だった。彼女の姿はもうそこにはなく、当然合格したのか不合格だったのかもわからない。
部屋は図書館のように本棚がたくさんある。実際にそうなのだろう。中心には大きなスペースがあり、そこには床に掘られた正方形の大きな穴のようなものが開いている。そこを中心にして部屋には入ったときから独特のにおいが立ち込めていた。獣の臭と呼ぶのがふさわしい。聴覚はキーキーという鳴き声を捕まえて、視覚では正方形で区切られたスペースの中で何かがうごめくのをとらえる。ネズミを信仰のシンボルとしていると副長から聞いたことを思い出した。
四角く区切られた巨大なガラスのスペースで飼われる大量のネズミ。ただのシンボルではなく、現実にあがめているのかもしれない。
「それはね。僕たちなんだ」
巨大なゲージを囲う手すりにもたれかかって、ネズミたちを観察している少年がいたことにその時初めて気が付いた。
「どういう意味だい?」
僕は真意を尋ねる。
「そのまんまの意味ですよ。これは僕が作らせた社会の縮図です。このゲージの中でネズミたちは飢えることはない。水も食料も無限に供給され、限られたスペースの中ではありますが増え続けることができる。ネズミの楽園。まるで教会とマザーが作り出すこの街のようではないですか?」
「君は…」
「初めまして、僕は代表のグラジラオス・スターチス。君はパッド・アレンだね」
パッド・アレンは僕の偽名だ。
「まさか代表がこんなに若いなんて…」
彼の年齢は十代前半、13、4といったところに見える。僕の反応を彼は穏やかな目で受け流した。
「ネズミという生き物は我々に比べれば遥かに単純な生き物です。ですが僕たちと同じ食べて寝て増えるという原理原則で動く生き物でもある。だから彼らに飢えることのない完全な社会を与えたらどうなるを観察しているんです。この都市のように。実験ですよ」
彼はゆっくりと僕と視線を合わせてきた。その表情はあどけない見た目に反してとても大人びて見える。
「ネズミを崇拝していると思いましたか?」
「正直」
返答に少年はクスリと笑った。
「世間一般でそういう風に思われていることを知っています。でも僕たちは現実の写し鏡としてネズミたちを観察しているに過ぎない。崇拝とは正反対の行為ともとれるでしょうね」
「なんでそんなことをしようと思いついたんです?」
見た目には年下の美少年だが、彼の放つ老練としたオーラに自然と丁寧な口調になった。
「昔読んだ本にこの実験のことが書いてあってね、それで実際に確かめてみようと思ったんですよ。表では出回ってない本です。実は教会によって禁書とされているものをブラックマーケットで集めていて。ここの本はほとんどが表には流通していない希少なものですよ」
それはこの部屋に無数に並べられた本の数々を言うのだろう。
「世間では宗教団体だと誤解されているようですが、僕たちの真の目的は正しい知識の継承です。教会によってかけられた間違ったバイアスを振り払い、真理の探究を行うそれが先々代がこの団体が設立した理由です」
「その本は僕たちも読めるんですか」
「ええ、ここにある本は全て、会員の方は利用することができますよ。きっとあなた達が求める情報も手に入ると思います」
「求める情報?」
「おっと、あなたは違いましたか。魔法のことですよ」
「魔法?」
僕はその単語に少なからず驚く。
「魔法といっても実際には、教会に秘匿された知識を駆使した物理現象の応用に過ぎないのですが。最近はそういう実利ある技術を求めて入会する方も多いのです。あなた達も少なからず興味がおありかと思いまして」
「今、興味がわきましたよ」
正直に述べる。
「それは良かった。魔術の道は、真理の道です。例え異端だと、悪魔の術だと罵られても、それを学ばずに世界の姿は見えてこない」
あどけない美少年にしか見えない彼が話す言葉はまるで生徒を導く教授のようだ。
「ほかに聞きたいことはありますか?」
質問を募る先生のように少年は尋ねる。
「あのネズミの楽園はどうなるんですか?」
「それは是非、あなたの目で確かめてください。真理への入り口は、自身の目で見て考えることから始まります」
「じゃあ」
僕は彼の口ぶりから次にくる言葉を察した。
「ええ、合格です。よろしくお願いしますパッド。今日からあなたはこのユートピアプロジェクトでともに真理を探す同志です」
結論から言うと、あの放心した男性を除く残りの四人は全員、団体のメンバーとして迎え入れられることとなった。
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