第9話
視界がブラックアウトする。同時に、記憶情報が注入されるのを感じた。これは雲蘭隊長の視界に違いない。彼女の目を通して、僕にはかつて理想郷にまで見えたその都市が水に飲まれていく姿を見た。
巨大な津波。昼を夜に変えるほど高く高く積み上げられた水。それが天から落ちてきて、街は順々に飲み込まれていく。教会に広場、貧民と金持ち、怒号と悲鳴、混乱に狂気、有形のも無形もすべてが質量という暴力にさらわれて消えていく。視界は程なくして途切れる。
『ユニバース6は崩壊しました』
最後にそんな文字が映し出された。
眠っていたカプセルが開くと共に僕はゆっくりと起き上がる。
「これ、なんですか?」
開口一番に白衣を着た女性に話しかける。
「いいでしょ?雲蘭ちゃんの要望で表示するように調整したの。君たちが過ごしているあちらが果たして何度目の文明なのかわかりやすいようにね」
僕を担当する技術者である彼女はいつものようにポップキャンディーをくわえたまま、笑顔一つ見せずにパソコンに向き合てっている。
「雲蘭…ちゃん?」
その言い方にちょっとだけ引っかかった。
「まだ彼女が新人の頃担当してたの」
相変わらず一瞥もせずに答える。
「でも、ちゃんって…」
「似合わない?今はずいぶんと印象が変わっちゃったわね。昔はもっとかわいらしいお嬢さんって感じだったわ。想像つかない?」
「まったく」
「あら、可哀そう。きっとあのどぎつい美人のアバターのせいね。外面は今でも、あのかわいらしい感じのままのはずよ。歳だってあなたが思っているほどは離れてないしね。きっと君の想像よりは若いはず」
「というか、そんな個人の特定につながるような事話していいんですか?」
彼女が担当してたということはこのコロニーに住んでいるということでもある。
「私そういうしゃくし定規なタイプじゃないから」
適当な答えだ。
「まあ広いコロニー、そう簡単に特定できるとも思わないですけどね」
同じ街に住んでいる以上、僕ともどこかの通りですれ違っているのかもしれない。
かつてポスターで眺めた女性の姿は遠く、大人びて見えた。今でもあちらでは凛々しく、かっこいい印象を受ける長身の美人だが、現実ではどんな容姿をしているだろうか。少し興味がわいたが、きっと僕と隊長が現実で顔を合わせても、互いに気が付くことなく日常が進むのだろうなとなんとなしに思った。
***
外からやってくる人間にはコロニーで育った人間とは違う独特の雰囲気がある。俺、アカシア・ミモザは正直外から来た彼らのその張り詰めた雰囲気が苦手だ。彼らもきっと、労せず平和なコロニーに住むという特権を持って生まれて、のほほんといきている俺たちが嫌いなんじゃないだろうかとか勝手に思っている。
学院でも外の人間とうちの人間を見分けるのはそんなに大変な作業じゃない。簡単に言えば真面目な外部生と、不真面目な内部生。いつも真剣に講義に耳を傾けながら将来への向上心を隠そうともしないその姿は尊敬に値するのだろうが、俺には俺たち平和ボケしたコロニーの人間への当てつけのように思えてしまう。どうせ滅びてしまう未来に向けて努力することにいかほどの意味があるんだろうか。我ながら勝手な話だとは思うが、彼らの側にいることはなんとなしに息苦しかった。
こんな風に思っているのは俺だけではないのだとも思う。学院でも、外からやってきた奴は外のやつと、コロニーで生まれた奴はコロニーで生まれたもの同士、そうやって自然とグループが別れていく。結局俺たちは同じコロニーに住むだけの隣人でしかないのだ。
ただそいつ、葵パキラは移民のくせに他のやつはと違っていた。そいつはいつも一人で誰ともつるむことなく過ごしながらも、俺たち平穏な世界しか知らない人間のようにいつも淡々と淀んだ日常を享受していた。いつだってマイペース。俺は外からやってきたやつが講義の間、眠そうにあくびをする姿を始めて見た。そんなしょうもない事が親近感を抱かせた。外にもそんな奴が暮らしているんだと安心した。
最初は俺から話しかけて、それから少しずつ話すようになっていった。今では親友だ。親友だと思っている。だけど最近少しだけ、その関係に自信がない。あいつも結局、他の連中と同じように何かに駆り立てられるかのようにMALUSに入隊した。
あいつには平穏に暮らす特権がないのだといった。俺には特権があるのだろう。そこにいつも見えない大きな壁を感じる。俺はパキラのんびりとした雰囲気が好きだ。こんな世界でも、社会でも、外からやってきた人間ひとり緩やかに休ませてあげるだけの余裕があったもいいじゃないかと思う。でも彼らは望まない。きっとそれは世界と社会から課せられる彼らへの無言プレッシャー、生き急げと俺たちの社会は彼らに言うのだ。
俺とパキラは対等ではない。外で生まれた人間に一生をかけて刻まれる十字架を、背負わずに歩くことができる俺が対等でいていいはずがない。その罪悪感が俺から彼の友であるという自信を奪っていた。
「なにか余計なことを考えてるな」
そんな思考を遮るように、目の前の可憐な少女は言葉を発した。
「なんていうか小さ…、思っていたよりもお若い方だなと思って」
どう見ても12、3にしか見えない少女を前にして言葉を選びなおす。身長も随分と低い140センチあるのだろうか?
「なんだ貴殿にはこういう趣味はないか。残念だ…」
「すみませんここまで年が離れている方だと思ってなかったので、今回は…」
少女といえど父が選んだ見合い相手だ、失礼のないように断る。
「言っておくが、私は君よりはるかに年上だ。心配することはない。つまり、合法だ」
「いや、そんなはずは…」
そういって見合い相手のデータを引っ張り出す。
「確か、MALUSにお勤めの雲蘭リナリアさん。歳は…、二十三…歳?」
「私だ」
何かの間違いかと思ったが彼女は堂々と胸を張る。
「そうですか…」
信じられない気持ちだが事実らしい。俺はあきらめて腰を下ろす。もともと乗り気ではなかった見合いだ。いい口実ができたと思ったのに。俺は自由恋愛派なのだっと父には言えなかった。ロマンチストは流行らない。
「問題ないならよかった」
雲蘭さんも腰を下ろす。
「ところで君は今何を考えていたんだ?」
開口一番に彼女はそう尋ねてくる。
「友達のことを。雲蘭さんがMALUSの隊員だと聞いていたのでおもいだしてしまって」
「友人のことか。それにしては浮かない顔だったな。私はもしや、貴殿にすでに恋人がいて私との縁談をどう断ろうかと思案していたのではないかと心配したよ。その友人とはあまり上手くいってないのか?」
「何ですかそんな恋愛相談みたいなノリ。普通に上手くいってますよ。普通に友達です。ただ、」
「ただ?」
上手く転がされたのだろうか、今考えていたことを素直にぶちまけてしまった。
「なるほどなるほど、アカシア・ミモザくん」
彼女は確かに年上らしく、お悩み相談をしてくれるつもりのようだ。
「ずばり『気にするな』っだ。色々悩んでくれてるが杞憂だよ。私たち外の人間はそんなに小賢しくない。そんな些細なことで悩めるほど心に余裕がないんでね」
彼女の表所は出会ってから初めて小さな憂いを帯びた。その表情を見て始めて相手が年上の女性なのだと実感する。
「雑な解決策ですね」
俺のその言葉をどうとったのだろうか、今度は年相応の妖艶な微笑みがこぼれる。
「よし決めた。アカシアミモザ。結婚しよう」
「ぶっ!ゴホゴホっ」
余りの脈絡のなさにむせる。
「何ですかいきなり、俺たち今日が初対面ですよ」
「別に構わんさ。私は今日の縁談を持ち掛けられた時から、相手がよっぽど生理的に受け付けない奴でもない限り結婚すると決めて来たんだよ」
「何言ってるんですか、結婚って大事ですよ。もっとこう愛とか恋とか…」
自分で説明しながらも恥ずかしくなってくる。
「わかっているさ。いや、わからないのさ。愛だの恋だの恋愛だのに現を抜かす余裕なんてなかったからな。それがどんな感情なのか私にはわからない。君の言葉をかりるなら、そんなふわふわした感情は豊かな心を育てられた君たち内地の人間の特権だよ。だから私には考えるだけ無駄だ」
相手は冗談のつもりなのだろうが俺の心にはチクリとする。
「なんであなたはそんなに俺と結婚したいんですか」
真剣に尋ねる。
「簡単だよ。アカシア家という最高のブランドと、コネクションが欲しいんだ」
冷たい声、そしてそれを打ち消す可憐な笑顔。本当に見た目と違って少女ではないんだなと思う。
「正直ですね」
「器用じゃないんだ、私は。全てをさらけ出してそれで君に気に入られなかったらそれまでさ」
「俺は、嫌ですよ。そういうの。結婚はホントに好きになった人としたい。自然に恋をして引かれあって、結ばれたいんです」
自分でもこっぱずかしい言葉が出た。でも、本音だ。
「なるほど、君はロマンチストってわけだ。私が焦りすぎたようだな」
彼女は大人の表情で、まだ青臭い俺を見る。
「ちょうどいい、今夜別件でレストランを予約していたんだ。私のおごりだ。少しずつ仲良くなろうじゃないか。ミモザくん」
今日の話は断るつもりで来た。父の設定した政略結婚に乗っかるのなんてごめんだったからだ。だが勝手にどんどんと話を進める彼女の提案をなぜか俺は断ろうとは思わなかった。きっとこの時のすでに、俺は雲蘭リナリアという女性に何かを感じ始めていたのではないだろうか。
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