勝利者の晩餐

第1話  

その歌声を私は、叩きつけられた冷たい床の上で聞いていた。屋上を吹く風が運んでくるのは子供たちの歌う声。皆どこかうつろな目で、手をつなぎ円を描きながらグルグルと回っている。皆昨日まで普通に笑っていた。エイラ、ネグ、ユリナ、リク、タケル、リサ、ジョセフ名前も顔も全部心の芯まで覚えてる。産んだ大人は違っても、一緒に育った兄弟たち。絶対に忘れないと心に誓う。


「何か言い残すことはある?」

穏やかな声で、いつもと変わらない顔で覗き込む、私を叩きのめし打ち付けた彼女を睨みつける。


「みんなあなたを信頼してた!みんなみんな。エイラも、ネグも、ユリナ、リクも、タケルも、リサも、ジョセフも。それだけじゃない、この院の皆も、この街の皆も、みんなみんなみんなみんな――」

悲痛な思いで叫ぶ。

「私だって…」

涙は目じりからこぼれて、落ちていく、打ちのめされ仰向けに倒れる私の顔を伝って重力に従って落ちていく。もう立ち上がる力はどこにも残っていなかった。


「そうね。でも、こうするしかないのよ。私も悲しいわ」

まるでいつもと変わらずに、そして心からこれから自らが起こす惨劇を嘆くような事を言う彼女の気持ちはどれほどもわからない。ただ不気味で、得体のしれないものを前に私は恐怖する。


「ならなんで」

正直今でもまだ半信半疑だ。彼女の存在は私にとってそのぐらい大きな存在だった。誰よりも誰よりも誰よりも大切な人。


「本当に困った子。あなたは私が見てきた子供たちの中でも、とびぬけて誰よりも賢いわ。その賢さが愛おしいけれど、でも正直もう少しだけ愚鈍に育ててあげるべきだったと思わないでもない。そうであれば、こんな思いをさせずに静かに、幸せなまま、この日を迎えさせてあげられたのに。なんで気づいてしまったの?」

その態度は立派に育ったわが子を誇るようでもあり、いたずらをした子を叱るようでもある。


「先生、あなたはたくさんのことを教えてくれた。私だけじゃないここの皆も、卒業してった子たちもみんなみんな、あなたに教わった。でもね。ここにある本を調べると不思議なことに気が付く、情報にね不自然な穴があるの。そう、根本が基礎理論が存在しないことに。あなたが与えてくれたのはうわべだけ、どうすればそうなるかだけで、なんでそうなるかってことじゃない」

私のその言葉に彼女は心からうれしそうな表情を浮かべる。


「そんな些細なことから綻びるなんてね。本当に賢い子。自慢の我が子よ。あなただけなじゃない。エイラも、ネグも、ユリナも、リクも、タケルも、リサも、ジョセフも他の子たちもみんな愛してるわ」

そういって虚ろに歌い続ける少年少女たちに目を向ける。慈愛を受けることがこんなに不快に思えることがあるなんて思いもしなかった。


「時間ね」

それから彼女はおもむろに告げる。

「終わりを告げる呪文を唱えましょう。”ノア”」

子供たちの歌の最後に付け足すように放ったその言葉が合図だったかのように。虚ろな合唱が止まる。

『『『『『『ノア」』』』』』私の愛する兄弟たちもまた、彼女と同じ言葉で合唱を締めくくり、小さな静寂が訪れる。そしてその場にいた全員はおもむろに感情のない顔で空を見上げることとなった。


「さあ、何か言い残すことはある?」

一仕事を終えた瞳は憐れみを込めて私を見下ろす。彼女の行った儀式は完了し、街に滅びがやってくるのだ。私も、実兄弟たちも、街の人も、みんなみんな飲み込まれて死ぬ。だけど最後にこれだけは聞いておかねばなならない。


「ねえ、聞こえる?」

挑発し、悪態をつく。

「?」

私の言葉に彼女は首を傾げた。

「この声」

「何を言っているの?」


愛しい兄弟たちが歌っていた滅びの歌は既に止まっていた。もちろん私が問うたのはその歌のことではない。


「聞こえないのね。この怨嗟の歌が」

私は最後に残った一抹の不安が晴れるのを感じる。

「わからないのね。あなたには」

歓喜に震える。


「先生、この世界には魔法があるの。知ってる?私たちの世界にしかない私たちだけの法則。そちらの世界では起こりえない物理現象。向こうからやってきたあなたはその表層しかしらないのでしょう?」

首をかしげる彼女に私は誇るように告げる。


「言い残すこと、あるわ」

皆の分、エイラの、ネグの、ユリナの、リクの、タケルの、リサの、ジョセフのこの街の皆の気持ちを載せて私は言葉の呪いをかける。

「私たちは忘れない。この恨みを、百年だって千年だってね」


「…?いいわ、それが愛すべきわが子の最後の言葉というのなら、ちゃんとおぼえておきましょう」

彼女は疑問の表所を浮かべながらもその言葉を静かに受けいれた。最後の恨み言だとでも思ったのだろうか。


やがて、怒号がやってきた。街で一番高い、この建物の屋上。街の最高高度から空を見上げてもなお大きい水の波が地平線からやってくる。それから、巨大な津波は、私の全てを飲み込む。私の生まれ育った学院も、思い出がつまった広場も、愛する家族も、尊敬して信じて愛して裏切られたこの女さえも。


波は私の全てを飲み込む。でもね、奪えないものもあるわ。全てを押し流す水の質量に飲み込まれた私の最後はそう、復讐の甘美にほくそ笑んでいたのだと、今は記憶しておこう。いつか遠い未来の果てにこの恨みをはらしてくれる誰かがこの感情を覚えていてくれるように。

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