第20話

夢を見ていた。何かに手を伸ばす。僕はそれを心から欲していて、僕の右手がついに求める何かに確かに触れるのを感じた。なのに目覚めと共に夢でつかんでいたはずのものが、こぶしの中で形を失って霧散していく。そして理由わけもわからず失望の感触だけが手のひらには残った。


「もう、二度目かよ」

夢の中で何かに向って伸ばしていた右手は、僕の部屋の天井へと向けられていて、こぶしは何もない空間をむなしくつかんでいる。少し遅れて目覚ましが鳴った。突き上げていたこぶしを振り下ろし、僕は乱暴にその音を止める。


「なんなんだろうな」

思い出せない何かが僕の中にあったという事実が気持ち悪くて、少しだけそのまま天井を見つめて放心する。


今日は授業がある。もう起きなければ。僕には現実世界での生活があるのだから。

仕方なく起き上がり趣味ではない派手な柄のカーテンを開けると、現実の空気を呼び込まれる。窓から漏れ出る光は今日も平穏で平和だ。


***


教室にはいつもの弛緩した空気が流れていた。教授の言葉は普段の倍は抑揚がないのではなかろうか。前方の生徒何人かの頭が船を漕いでいるのが見える。教室の前の方にはミモザの姿もあった。案外真面目な彼はそんな中でもしっかりと教授の話に耳を傾けている。じっと見てると、背中に圧力を感じたのかこちらに気づいて振り返り軽く手を振ってくる。僕も軽く手を振って返す。


バタバタと順番に生徒が睡魔に負けていく中、僕なんとかあくびをこらえようと踏ん張っていた。平和だ。何となくこの平穏を味わっておく方が得な気がする。学べるという喜びを誰かに教えられたことがある気がした。それは僕の記憶に残らない記憶のなかだろうか。


昨日、MALUSの施設で二回目のロストを告げられた。僕は、ディオネアという隊員と旅をして、大きな城門のある街に着いて、協力者の営む宿で眠って、それから…、それから現実世界で目を覚ました。その先に何があったか思い出そうとしても、何も残っていない。そういえば、あいつは無事にログアウトできたのだろうかと、そんなことを思う。隊員として活動を続ければまた再開することもあるかもしれない。


そんなことを考える思考の端で耳に入ってくる教授の声は続ける。

「教会によって聖書の外伝的扱いを受けている西方叙事詩集にはとある名もなき英雄についての記述があります。西方のとある地方に、十二の民族からなる―」


***


西方のとある地方に十二の民族からなる連邦国家があった。十二の民族は互に対等で、それぞれのから選ばれた十二の代表による議会と、各部族で代ごとにに持ちまわる一人の王の元、たとえ王でも犯すことのできない十の鉄の法によって治められていた。


国家は王と議会の元、三十年ほどの安寧を得たが、やがて次第に十二の民族の中に不満を持つものが現れた。ある民族は他の民族と水源をめぐって対立し、別の民族は税の分配の不平等さを訴え、また他の民族は国庫を私的に流用する民族がいると主張した。


彼らの言い分はそれぞれに最もだった。なぜならこのころになると一部の権力者たちは部族を超えて結託し、それ以外の民たちから富を搾取することに躍起になっていたからだ。それがある部族には、隣の部族のせいに見え、隣の部族にはまた隣の部族のせいに見え、そうやって巡り巡って部族間の対立は深まっていったのだ。そしてそれは権力者たちが、民の目が自分たちへ向かないように策を巡らせた結果だった。


議会に参加する十二の部族の権力者たちはこうして腐敗の一途をたどり、一方では結託し民から搾取しながらも、他方では互いに足を引っ張り権力争いに邁進した。そんなおりある日些細な諍いの果てに二つの部族の長が怒って議会を飛び出した。


ところでこの頃の国家の王は、といい。まだ若い彼の仕事は年寄りたちが決めた議会の決定を追承認することだけだった。国民には、彼が権力者たちの言いなりの力なき王に見え、誰もがその存在に関心を払わなかった。には親友がいた。名をといい、飛び出した部族の長の息子であった。


彼らは幼少よりともに育ち、共に学び、共に剣を競い、そしてともに理想を語り合った。いつかこの国の腐敗を正し、民草を大切にする理想の国家を二人で気づこうと誓い合ったのだった。


そんなおりだった、二つの部族の長が議会を見限りそれぞれの領地に帰っていったのは。族長の息子であるもまた父に領地に戻っていった。それから二つの部族は、彼らこそが誠の議会だと主張し新しい王を擁立した。新たなる王にはが選ばれた。


怒ったのは残った十の族長だ。彼らは自らの腐敗を棚にあげ、二つの部族が鉄の法を破ったと罵った。鉄の法には「誠の王以外を戴くものは誠の民にあらず」とあった。


権力者たちに民たちは日ごろのうっぷんの全ては彼らのせいであったとうそぶかれ、口々に彼らを怒り罵った。二つの部族の長もまた、生活が豊かにならないのは議会の横暴のせいだと扇動し二つに分かれた部族の対立はもはや避けられないところまで来ていた。


そんな事で国内がもめていたころ、連邦国家に激震が走る。ここより南方に位置する南の大国が軍を招集し、彼らの国に侵略しようと計画しているとの知らせがあったのだ。もはや内輪でもめている時ではなかった。


そんなおりを呼びだし、二人は満月の夜に密会をした。親友たちは再会を喜び、それからが切り出した。


「連邦には今争っている余裕はない。今こそ二人で腐った議会を切り捨て、真の強い国家を築こうではないか」


は答える。

「法は王より重い。議会は王と等しい。いかに我らとて法を破ることはできない」


「もはや議会に何の価値があろうか、何より法をないがしろにしているのは議会の方だ。我らだけ清廉でなんになる」


は答える。

「たとえ国家の為であろうと、法を破る王に民はついてこない。上に立つものがもっとも法の下に従順でなければ法は機能しないからだ」


は尋ねる。

「ならばどうする?今国が乱れたままでいてはたくさんの罪なき民と共に我々は南の国に滅ぼされる」


は答える。

「ならば法の下、議会を粛清すればいい。私に考えがある。明日、議会で待っていてくれ父たちを連れて向かおう」


にそう告げその日の密会は終わった。


翌朝、は約束通り父である族長たちを連れてやってきた。そして議会に入るや否やは自らの父である彼らの首をはねた。彼は高らかに言う。


「法には『いかなる子も父を尊敬し敬うべし』とある。しかし私は国のため、法を犯すことを選んだ」


はその言葉を聞いたとき、自らがすべきことを悟った。しかしそれは同時に彼が決してしたくない事でもあった。戸惑うは瞳で訴える。それでは涙をこらえて決断した。


「『法は王より重し、いかなるものであろうとも法を破るべからず』従って父を敬わない王は誠の王べからず」

そういうや否やは親友の首をはねた。


残された十の部族の長は戸惑った。しかしすぐに笑顔になる。これで後顧の憂いはたたれたのだ。後は南の大国を一丸となって打ち破ればいい。さて、戦火を誰に押し付けようか、はたまた戦争のためといって軍資金を集めいかほど懐に納めようか。各々がそんな算段を付け始める。


その時は言った。

「法には『隣人たる十二の友を切るべからずとある』法は王より重い。法を守った王は誠の王ではない。したがって私もまた誠の王足りえない」

そういって自らの首に切っ先を当てた。


王の行動に戸惑う長老たちはつげる。

「しかし、我々にはもうあなたしか王がいないのです。王がいなければ国はまとまらない国がまとまらなければ南の大国には勝てないでしょう」

あるものが言い。他のものも同意した。


「わかった。ならば、私の首は今一度預けよう。しかるべき戦争ののち、裁きにかけることとしよう」


そうして国はいったんは一つにまとまり、三年における長い戦いをへて連合王国はなんとか南の大国を退けた。戦勝に湧く長老たち、彼らはこれでまた権力争いに終始できるとほっと肩をなでおろした。


しかし勝利を祝うはずの晩餐の場で、議会の長老たちは言った。

「戦争は終わった。だが最後にやらねばならぬことがある。我らが王は戦前罪を犯した、我ら議会の望みもあり王への処分は据え置かれている。しかし、法は王より重い。王の罪を清算しよう。さて、法には『隣人たる十二の友を切るべからず』とある」


戦争を戦い民を導いたはもはや彼らの言いなりになる弱い王出なかった。そして勇敢で人気もある彼は戦争が終わった今邪魔でしかなかったのだ。戦前に王が犯した罪は彼らにとってありがたい口実だった。


意外にも、は抵抗しなかった。彼は友に誓っていたからだ。上に立つべきものこそ法に従順であるべきと。親友の血を浴びた彼はもはやであった。


「いかにも私は親友であるの首をはねた。法には『隣人たる十二の友を切るべからずとある』法は王より重い。法を守った王は誠の王ではない。したがって私は誠の王足りえない」


王が罪を受け入れたことで議会の者たちはほっと心をなでおろす、しかしはこうも続ける。


「だがここに今一つ罪人がいる。法には『誠の王以外を戴くものは誠の民にあらず』とある。従って、私を王と煽いだ族長たちの罪もまた重い」


彼はそういうと議会の人間を一人残らず切ってしまった。そして最後に自らの首に、切っ先をあてると自害した。


人々は悲しんだ。王は誰よりも法の下に従順であるままで、国を守り、そして腐敗の連鎖さえ終わらせたのだ。彼は紛れもない英雄だった。残された民は清廉な王の亡骸を囲み三日三晩誰もが、涙を流し続けた。その時―

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