第18話

優雅だと思った。動きはゆっくりと緩慢で、その構えにはどこにも力が込められていないようにすら感じさせる。けれど現実の切っ先は僕の感度を狂わせながら的確に急所をかすめた。考えてよけたのではなく、体が勝手に反応した。正しく言えば考えてよける余裕がなかった。


返す刀で次ぎ次と向かってくる美しい軌跡を、はじいて、かすめて、転がって、無様に逃げる。反撃の隙もない。次元が違うのだ。まさか自分の命を刈り取ろうとする剣を美しいと思う日が来るとは思わなかった。


「世代のわりに意外とやるね。パキラ。それともそれは君のアバターの性能のおかげかな。あたりを引いたね」

彼の示す通り後者が正解だ。現代にを生まれて剣を振るう経験があろうはずもない。極限での立ち振る舞いは、短剣を自在に操ることのできる肉体の記憶に任せるほかなかった。


「…はあ、はあ、」

一連の連撃を何とかしのいだところでディオネアの方から距離をとる。呼吸一つ乱してない涼しい表情が憎い。


「いいね。とっても楽しい。今や剣のそういう時代じゃないからね。使い道のない技術ってのは寂しいものだよ」


彼は笑いながら再び踏み込んでくる。不完全な体制で一撃目をかわし、二撃目は何とか受け流す、三撃目の動作に足を取られ、ついに僕はその瞬間を覚悟する。


「あっ」

左手が飛ぶのが見えた。痛いのかすらわからない。鋭い斬撃はそれすら感じさせてはくれない。血しぶきと共にバランスを崩して倒れこんでようやく痛みが追いつく。


「ぐううううっ」

声にならない声を上げる僕ののど元に切っ先があてられる。


「おっと、しまった。ちょっと楽しみすぎちゃった」

ディオネアはそれから続ける。

「はい、これでOK」


傷口が異常な熱を持つのを感じる。それから何が起こっているかを悟る。飛んだはずの僕の腕があるべき場所にぶら下がっていた。彼は自らの肉体に施したように、僕の肉体もまた再生した。人のなせる業ではない。


「何のつもりだ」

僕は彼からの施しにせめて憤る。怒りで誤魔化さなければ立ち向かえない。その人知を超えた現象を引き起こす化け物に立ち向かうのに必要なのは、理性を壊すこと。思考を辞め、怒りで恐怖を上書きする。


「何でもないさ、まだもう少し楽しみたいと思ってね。さあ、続きをしよう」

彼はそういって左手が握っていた短剣を投げてよこす。僕はそれを拾うふりをして彼のもとに駆け寄り、残った方のもう一方で彼を突き刺そうと突進する。


次は足首が飛んだ気がした。だが気が付くと肉体は再び再生し僕は再び剣を握らされる。それから何度だろうか、僕は彼の剣をかわし、受け止め、反撃の期を伺い。そのどこかで失敗して、肉体を再生される。そのたびに僕は剣を握り返し、彼と向き合う。


彼はまるで心を摘み取るように、立ち上がる僕を容赦なく切り捨てる。それでも僕の心は淡々と彼の命を狙った。届いたところで何の意味があるのだろうか。僕をいつまでも敗北させてくれないその理不尽な力は、きっと決死の思い出届けた刃さえすぐになかったことにしてしまうのだろう。それでも僕は抗うことをやめられなかった。一度は手が届いたのだ。世界を救う万能の果実に。


「感心するよ。パキラ、そんなに向かってこれるなんてね」

十数回。もう数えられなくなるほどもてあそばれたところで、ディオネアが心から感心したといった表情した。そしてその時、地鳴りが響いた。


「始まったか…」

一瞬、たった一瞬、彼の気がその現象に取られるのがわかった。僕にはもうこの瞬間しかない。一瞬の隙を利用して踏み込む。しかし小さな一瞬、彼は再び剣を翻し攻撃をいなす。まるで相手にしないかのようにあしらわれ、それで今までは終わっていた。だが、今回は違う。何度も見せつけられて切っ先、癖それらを僕の無意識は学習していた。


ディオネアの取るであろう複数の選択肢から一つをで選び取る。彼が動き出す前にあえて、緩急をつけて時間的空白をつくりだす。皮一枚で彼の剣をかわす。そのままもう一度踏み込み直し喉に向けて短剣を突き出す。一発限り、決め打ちのギャンブル。ここまで持ち込めただけでもそれは成功したと言えよう。一矢報いた。そう思った。


だが結局ここまでして戦果は皮一枚、彼のほほを流れる一筋の血液だけ。ディオネアは寸前のステップで踏み込むのをやめ、懸命にも後退する。


「くそっ」

無限に再生するのであろうその化け物じみた力を持っていてなお、たった一つの命すら摘み取らせてはもらえない。


「おみごと…」

頬の血を拭うと、言い訳することなくスキを突いた僕の行動を賞賛する。それから

ディオネアは名残惜しそうな顔を向ける。彼の関心が、この無意味なチャンバラごっこから遠ざかっていくのを感じた。


「残念。もう遊びは終わりみたいだ」

最初はその言葉を最後通告だと思った。だが、彼の表情に全くの敵意はない。じっとりの流れる時間の中で観察し、僕はようやくその意味の一端を理解する。治っていない。治っていなかった。


ナイフの切っ先が刻んだ薄皮一枚の戦果、先ほどのようにすぐに再生するだろうと思われた彼のほほの傷に、いつまでたっても再生する予兆が現れないのだ。


短剣を握る手に力が入る。なぜかわからないが彼は血を流し続ける。彼の言葉や態度から僕は確信していた。彼は再生しないのではないできないのだ。今ならやれる。その事実が僕を勇気づけた。


大丈夫だ、彼はその場でぼおっと立ち尽くしているだけに見える。戦意を感じない。傷も再生しない。隙だらけの身体、何があったのかはわからないが彼は戦いを放棄することを決めたに違いない。ならばっ、と容赦なく短剣を突き立てる。しかし地面に転がっていたのはまたしても僕の方だった。


眼前にいたはずのディオネアが認知できない一瞬のうちに僕の背後に立っている。それから僕がゆっくりと地面に膝から崩れ落ちる、彼は剣をしまう。僕の崩れるさまを背中で流し見るとカツカツと足音を立ててそのまま通りすぎ、転がっていた果実を拾い上げる。それから沈黙と共にこの場に存在する唯一の椅子に座った。


「話をしよう。パキラ」

しばらくの無音ののちゆっくりと口を開いた。


「なにを今更…」

彼の足元で僕は立ち上がろうと力を入れる。が、上手く立てない。あの一瞬、知らぬ間に右足の健が切られていた。結局最後まで遊ばれていたのだ。いつだって彼は現状をどうとでもできた。次元が違う。それは当初感じた一つ二つではなく何層もの大きな隔たりだ。仕方なく這いずり回って、僕は視界を声の方に向ける。


そこには冷たい顔の男が座っていた。ただの飾り気のない木製の椅子。だがそこに彼が腰かけるとそれはあたかも玉座のように見えた。

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