第17話

明かりがまず僕の視界を遮った。次第に慣れてくる目に移ったのは、大量の本、本、本の山。それは積み上げられて、崩れて、一脚の簡素な木製の椅子を囲むように散らばっている。僕の身長の倍を超える本の山を持っても、ポツンとそれらがあるように感じるほど空間は広大だった。


「明る…すぎる?」

疑問を持って天井を見上げる。光源は明らかに人工物だった。見慣れた白色光が昼間のように部屋を照らす。自分たち以外の人の気配はない。それはもう一つの異様のためだ。あちこちに飛び散る血痕、血痕、血痕。そこかしこでこと切れているのは、おそらくこの国の神官だろう。古き神々を信奉する彼らは、何か鋭利なもので切り刻まれすでに肉の塊と化している。


「なんだよ、これ…」

「ねえ、あれ…」

同時に上がった声で相棒が僕とは違うものを見ていることに気づく。視線の先、ディオネアが一脚だけある木製の椅子の上を指した。


そこには何かがおかれている。片手より少し大きいボール大のもの、とぼとぼと歩き輪郭がはっきりしてくるとまるで果実のように見えた。もう一歩近づけばそれは鉱物のような質感であることがわかる。鈍く、そしてカラフルに見えるトーンは果実というには無機質で、しかし僕らはなぜかそれらが果実であると確信した。


「果実だ…、あった、本当にあったんだよ。パキラ」

そういって彼が笑顔で振り返る。だが瞬間、よぎるものがあって、僕は無意識に腰からナイフを抜く。浮かんだ想像は確信ではない。しかし今すべき最善が何となくわかった。チャンスは今しかない。


「えっ…?」

一瞬、彼はきっとそう感じただろう。笑顔で振り返るディオネアの表情が戸惑いに変わるより早く、僕はその喉にナイフを突き立てる。殺意を持って握りこんだ凶器が引き裂いた喉笛は彼を絶命させるには十分だろう。しかし、万が一を考え僕は倒れ掛かる彼に背後から組み付く。支えるためではない、心臓、肺、腎臓、肝臓、臓器という臓器に丁寧にナイフの刃を滑り込ませてかき回し、彼の死を確定的なものに変えた。


ズルリ、っと肉体は崩れて血だまりの中でディオネアの目から光が消える。きっと彼は状況を飲み込むことすらできなかっただろう。だからやり遂げることができた。僕はしっかりと彼の最後を見届けてから、ゆっくりと死体から視線を外す。これで終わった。


同時に僕の関心はその肉塊から完全に外れる。焦がれ、幻想だと自分をだまして、それでも欲してやまなかったもの、ついに果実が目の前にある。高揚感は心臓を固く締め付ける。導かれるようにあどけない足取りで死体に背を向け、黙って一脚の椅子の上に鎮座する果実に近づくと、短剣をしまい、服で血を拭う。いよいよ眼球は、何とも言えない奇妙な物体だけを写した。


「これが…、果実」

手を触れ持ち上げる。ゴツゴツとした手触りと、冷たい質感、何よりその重量が、物質としてそれが確かに存在することを示している。


「本当にあるなんて、これがあればあるいは…」

心は密やかに興奮して、思わず言葉が漏れる。僕は果実を手に入れた充足感で満たされたいた。


しかしその、喜びを、かつんと小さな音がやぶる。


「果実なんて、所詮教会的な方便だと思っていたかい?」

誰もいなくなったはずの背後で背後から不意に賭けられた声に、体が一瞬硬して、飛び上がるように半身を返して振り返る。そして、その光景に息をのんだ。


「ひどいじゃないか、パキラ」

裂いたはずの喉から声を上げるそれは、体のあちこちに致死級の傷を負っているはずだ。しかし今まさに目の前で逆再生されるかの如く肉体が修復していく様を見せつけられ、僕は自分の判断の正しさを確信した。


「はははっ…、許してくれよ。親友だよね?」

何とか口にした軽口に、動揺が混じるのを隠せない。


「そうさ意外だったよ親友。僕は君をもっと愚鈍なやつだと思ってたんだ。パキラ、いつから気づいてたんだい?」

そう口にしながら確かに一度壊したはずの肉体が巻き戻っていくその光景を、僕には見つめ続けるしかできない。


「ずっと小さな違和感はあったんだ。だって、君は僕の目の前で一度立って懐中時計を開いていないだろ?僕たちMALUSの隊員だけが開けられる、その蓋を。よく考えれば取り出すことはあっても、一度だって開いて見せた記憶がない」


この街に来る道中、彼はずっと僕に指針を任せていた。ヤナギさんの宿についた日、地下道に降りてから、何度だってその必要性を求められるときがあった。なのに彼はなぜか頑なにその蓋を開けて中を確認しようとはしなかった。


「いいね。続けてよ」

愉快そうな声で促す。


「今夜、教会と隊員たちは的確に襲撃された。慎重に行動していたはずなのに、情報は筒抜け。君は連絡係をかって出て、あちこちの教会に顔を出していたよね。ヤナギさんともずいぶん熱心に情報共有をしていたじゃないか。そんな君だけが、突然の夜襲をかいくぐって街の外から帰ってきた。僕たちを除いて今の所誰一人隊員達はここにたどり着けていない。そんな完璧な襲撃であったにもかかわらず」


「そこは有事の勢いで何とかなると思ったんだけどな」

その言葉は自白といっていい。


「最後に、さっきだ。ここはとっても異様だよ。まるで僕らの世界から持ってきたような明かりも、大量の本の山も。そして何より死体の山、まず目が行くだろう?でも、君はその大量の違和感の塊の中から、真っ先に数メートル先の小さな果実を指さして、僕の意識を誘導した。不自然だと思ったんだ」


「でも、確信できるほどじゃないはずだ。君の行動には迷いを感じなかったよ」

ディオネアの言葉に少しだけシニカルに笑って見せる。


「確信なんて必要ないだろう?、そうだったのなら最も安全に果実を手に入れる方法は君が油断しているすきに倒してしまうことだ。違ったとして、何の不都合がある?セーブしてないMALUS隊員の記憶は記録に残らない。ディオネアという隊員は不慮の死でログアウトし、僕が果実を持って帰る。それだけだ」


「はははっ、僕好みの合理主義だ。仮の肉体だって死ねば戻ってこれないこともあるんだろ?君の彼女みたいにさ」

僕を非難するどころか心から笑っている。表情はすでに今までの柔和なそれとは完全に違っていた。僕にはその余裕が気に食わない。


「ああ、そうだ。もう一つ。最初合ったあの日から、僕と君が親友だなんてとても思えなかったんだよね。俺は君みたいな人間、好きじゃないから」

せめてその余裕を歪ませたくて、付け加えるように最後の理由を口に出すが、より一層惨めに感じた。


「残念。僕は本気で友達になれたと思ってたのに寂しいよ」

彼は心底悲しいといった風に大袈裟に嘆いて見せる。

「でもさ、あの時が、初めましてじゃないのはホントだよ」

首をすくめる。


「信じるとでも?」

ジリッとなぜかその言葉に気圧される。


「それはホントに本当さ。僕たちは一度会っている。一度目はそう、僕の方が君の首をはねたんだけどね」

彼の凄惨な笑みに、ないはずの記憶がぞわっと頭をかけて、肉体が無意識に両の腰から二本の短剣を抜いて構える。ゴトリと抱えていた果実が重力に従い地面にぶつかって転がり、ありもしない記憶に肉体が怯えた。


「いいね。いいね。僕はやっぱり最後には、こういうことがしたいんだ」

歓迎するようにディオネアが腰からゆっくりと剣を抜く。そして、かみしめるようにさらにゆっくりとその剣をこちらに向け、構えたのだった。

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