第15話

地下に広がる空間は確かに複雑で怪奇だった。人一人が何とか通れる坑木で支えられただけの場所もあれば、地下水が流れる人口の大きな通路もある。かと思えば反対に、ゴツゴツしたまるで整備されていない天然の洞窟としか思えない道すらあるのだ。天然の地下空間に、人工的に手が加えられていったと考えるのが自然なように思える。


「本当に、この先で会ってるのかな?」

指針がなければ、命の許す限り好きなだけ迷えそうな道中は、奥に進めば進むほど人間味が薄れていき、大いなる自然の構造物の中で揺れる松明の火はつねに心もとない。はじめは陽気に口を開き続けていたリンドウすら、気が付けば長い事沈黙を続けていた。


「ねえ、パキラ君は何でMALUSの隊員になろうと思ったの?」

不意にディオネアが尋ねる。沈黙を埋めるのにちょうどいい話題だと思ったのだろう。


「お、いいね。そういう話。俺も気になる」

リンドウも沈黙に耐えかねたのか調子のいい一言で乗っかる。


「なんでといっても…」

僕は頭をポリポリと掻いく。別に隠しているわけじゃないが、気づけば他人に話したことはなかった。自分のことを語るのは気恥ずかしく思ったが、話したくないというわけでもない。何より過去に二人に同じ質問をした手前、答えないのは悪い気がする。


「そうだな。何から話すべきかな」

僕はそうやって一言目を切り出す。

「彼女と出会ったのは―」


***


彼女を始めた見たのは、コロニーに来るための試験会場だった。たくさんいる緊張した面持ちの受験生の一人、ただそれだけ。ちょっとだけ目を引いたのは彼女が少しばかり可愛かったからで、だからといって一期一会になるだろうこの会場にいる誰かとわざわざ仲良くなろうとする人間はいない。僕はそうでなくても他人にと積極的に関わっていくのが苦手なタイプだ。だからその時はそれ以上何も思いはしなかった。


次に会った時のことはもう少し覚えてる。初めて言葉を交わした。合格会場でのことだ。暗い通りを抜けてようやく灯りの下にでた僕を待っていたのは、入り口付近のソファーに腰掛けてくつろぐ彼女だった。


「おめでとう、合格みたいだよ。ここにいる人皆」


地下鉄のホーム、打ちっぱなしのコンクリートが作る細長い空間。そこに合格者をもてなすかのように置かれた軽食や飲み物、ソファーや椅子に腰かけ雑談をする面々の緊張感のなさは彼女の言葉を肯定している。会場に走りこんだ僕は肩で息をしていて、まだ小さな混乱の中で立ち尽くす。


「受け付けはあっち」

そんな僕を少しだけ怠そうに笑って、組み立て式の長机を二つ並べてあるだけの簡素な場所を指さす。会場の中は和気あいあいとした空気は今までの試験会場とは比べようもない。合格というのは本当に本当のようだ。実感はわかない。喜びはまだ状況に追いつけない。だけどこの試験が始まったときからずっとあった、周囲の他人に対して競い合うライバルとしての緊張感より、厳しい試験を共に潜り抜けた連帯感が向くのを感じた。きっと彼女が見ず知らずの僕に丁寧にこれからすべきことを教えてくれたのも、似たような緩い連帯感に当たられていたからなのだろう。「どうも」っと礼をする。その時交わした言葉はそれだけだった。


やがてホームには迎えの巨大な列車がやってきて僕らは指示に従いパラパラと乗り込むことになった。偶然斜め前に座っていた彼女が、隣にいる他の合格者の少女と何かしら話をして笑っていたのを覚えている。新天地への期待を胸に明るい声で会話をする彼女たちの笑顔を見て、ようやく合格したのだという実感が僕を迎えた。


列車は各久のコロニーを順番に回っていき、合格者たちをそれぞれが定住するコロニーへ届けていく。彼女と親し気に話していた少女も、最後に可愛く手を振って途中でいなくなった。


一人、また一人と人間が降車していく中、いよいよ僕の番がきた。列車は速度を落とし新たなコロニーに停まった。「コロニー9」看板の文字はそう告げていた。担当の職員がこのコロニーに降りる人間の名前を呼びあげていく。そこに僕の名前もあった。その時の僕は新天地へ踏み出すドキドキが大きくて、どうやって列車から降りたか覚えていない。ただ、駅のホームに立って背中で列車が過ぎるのを感じながら目を上げたとき、自然に数歩先を歩く彼女の姿が目に入ったのは覚えている。


コロニーで彼女と再会したのは、本当に偶然だった。

街を見下ろせる高台を、買い物の紙袋を両手に抱えて歩く姿を見かけたときだ。思わず声をかけたのは、まだ誰知り合いのいないコロニーで見知った顔を見かけた嬉しさがあったからだろう。それは彼女もきっと同じだったようだ。


「あ、あのときの!」

そんな言葉と共に笑顔が飛んできて僕も思わずはにかんでしまう。まだ知り合いの一人もいないコロニーでの生活を控えて不安でいっぱいだった僕たちは、とんでもなく薄くても見知った誰かとつながりがあるだけで少しだけ安心感が湧くということを知った。


この時の彼女には、あの時合格会場でうけたちょっと疲れたような近寄りがたい雰囲気はもうなくて、代わりにどこか明るくて穏やかな空気をまとっている。それは安住の地に住むことを許された安堵感がそうさせるのだろうか?案外こっちが素なのだろうか?そんなことを考えていると、柔らかく笑う笑顔につられるように、僕も柄にもなくおしゃべりになる。


「君はこれからどうするの?」

彼女は何気なく尋ねてくる。


「実は学院に通うつもりなんだ。約束でね。今日は入学に関する手続きとか色々聞きに行った帰り。そっちは?」


「私は、入隊するつもり」

静かで力強い瞳だ。


「わざわざ?試験をパスしてせっかく永住権を手に入れたのにか」

それは意外な答えに思えた。


「そうね」

「誰かこっちに呼びたいのか?」

「ううん、私孤児院で育ったんだ」

「じゃあさ、もういいじゃん。あれだけ大変な試験をパスしたんだから後はゆっくり生きればさ」

「君はそうするんだね」

「そのつもり。苦労して生きてきた僕たちにはその権利があるだろ?」

「権利はあってもさ、許可してもらえないの。私だって本当は入隊なんてしたくない」

「言ってること全然わからない」

僕はもうそう答えるしかなかった。


「君、外に大切な人はいる?」

彼女は立ち止まってそんな僕の前に立ちふさがり、目と目を合わせて聞いてくる。


「僕は…一人さ」

「うんそっか。私はね。まだいるの、ここまで私を送り出してくれた孤児院の皆」

彼女は僕に同情なんてしないでいてくれる。


「親族以外は条件をそろえても呼び寄せることはできない決まりだ」

「当然知ってる。でも、ここコロニーにたどり着いたからには私には義務があると思うの」

「平和なコロニーに生きる人間は、人類の為にできることをすべきって言いたいのか?」


「そんな殊勝な気持ちじゃないよ。私が命を懸けたってこの世界が一ミリでも変わるなんて思ってない。全部意味のないことだって知ってるよ。義務というより呪いかな。やりたくない、でもやらないということができない」


「君自身が、何もしない自分を許せないってことか?」

「半分だけ正解。私が私を容認しない。でもこの義務感は私が持って生まれたものじゃないでしょ?生きてる中で、社会の中で埋め込まれたもの。社会的信用と倫理感を担保に、私はこの社会ってやつに強要されてるのよ。世界の為に何かしなさいって」


「全然わかんないよ」

僕は首をひねる。


「君はもう、この世界に望むものがないんだね」

その言葉も意味不明で、僕は代わりに尋ねる。

「僕にもいつかわかる日が来るかな?」


「君がどんな人生をおくってきたかは知らないけれど、平和なこの街に要ればきっといつか君も私みたいになるよ」


「それは嫌だな」

そう答えたところで僕たちの足は止まった。道すがらずっとここまで一緒だった僕たちはそこにきてあることに気が付く。


「君はどの棟?」

集合住宅が目の前に並んでいる。


「18番の三列、二階だ」

それを聞いて彼女は心から愉快そうに笑った。


「これからよろしくね、お隣さん」

わけのわからない僕にそう説明する。


「まあ大体、同期なんだ同じようなところに割り当てられるよな」

運命とかそんなドラマティックな話ではなく、考えてみればありそうなことだった。


結局僕らは互いの部屋の扉の前まで一緒に歩く羽目になった。

「じゃあね」


「うん、じゃあ」

鍵を開けて背を向ける。


「そういえばさ、さっきの話」

そんな僕の背中に反対で鍵を開けていた彼女は話しかける。

「もしわかる日が来ても、君は社会なんかに負けないで入隊しないでくれるといいな。私は呪いに負けちゃったから」


振り返った先で答えを待たず、扉はバタンと閉じたのだった。


挨拶をかわすところから始まって、最初は隣人として、それから友人として。僕と彼女は顔を合わせればよく話をした。僕たちはそう、程よい隣人だった。互いに外からやってきて、新しい生活に苦心する姿が、互いの鏡のように映ったのだろうと思う。僕たちの距離は近づくこともなく、遠ざかることもなくいつも一定で、その関係が妙に心地よかった。そして一年ほどたったある日、彼女は突然いなくなったのだ。


***


「最近見ないな…とか思ってたらある日突然業者がやってきて彼女の部屋を空っぽにしていったんだ。MALUSの隊員として派遣されたこの世界で未帰還者になったというのはあとで知った話だよ。結局僕と彼女の関係はそんな話すら伝えられないくらい、なんでもでもなかったという話だよ」

そうやって話を締めくくる。


「へっ?それだけ?」

リンドウだ。


「それだけだよ」

形のない関係だった。形の残らない関係だった。それを人は隣人や友人といってくくるのだろう。友人とは思いもよらない日を境にそれっきりということもあるのだろう。だけど僕にはそれだけではスッキリと納得がいかない。


「それのどこが入隊する話につながるんだ?」

「ホントにバカだな、リンドウは」

ディオネアはあきれた顔する。


「僕と彼女の間にあった何気ない日常を証明するものは何もない。けれど、確かにあったんだ」

僕はの返事は答えではないが、そう答えるしかない。


「そうだね。誰も証明はしてくれないけれど」


「だいたいわかった。でもよ。だとして入隊して何になるだ。言っちゃ悪いが、未帰還者になった人間が戻っくることはない。永遠に眠り続けるだけだ。お前がこの世界に来たところで何にもならないだろう?」

リンドウの言うそれもまた現実だ。そしてそれを僕はちゃんと理解している。頭では。


「そんなことわからないよ。僕たちが知らないだけで、何か方法はあるかもしれないし、ほらっ、例えばパキラがを手に入れたりすれば」


MALUS隊員がこの世界に送り込まれる理由。の探索。それがなにかは明かされていない。もしそれが世界の終末を止めうる程の何かなら、未帰還者一人、目覚めさせることぐらいできるかもしれない。ディオネアの慰めの言葉通り、そう思うこともある。


ってのはただの比喩だろ。教会が言ってるのは現実そっくりのこのシュミレーションゲームみたいな世界を見て周って、世界崩壊を食い止めるヒントを探して来いってことだ。こっちからあっちに持ち帰れるのは結局知識だけなんだからさ、なんたってここは仮想現実だぜ?」

反対に現実を伝えるリンドウの言葉も違う形のやさしさなのかもしれない。叶いもしない願望を求め続けることはただの逃避なのだから。


「で、でもさ、本当に物質としてあるかもしれないでしょ、。なんたって世界を救済する何かだよ。実際この世界、僕たちの世界とはかなり違うし」

慌てて気を使いフォローしてくれるその姿に僕は小さく笑った。


「いや、いいんだ」

そうやって遮る。外の世界で生まれ育った僕は、希望と言う言葉の残酷さだけを知っている。もしかすればこの世界になら彼女を目覚めさせるすべがあるかもとか、それが教会の求めるかもしれないとか、そんな都合のいい幻想にすがって生きてなんになるのかとちゃんと理性は教えてくれているのだ。


だから、だから本心はずっと自分でもわからないようにずっとずっと見えないところに隠しておく。自分にだけは気づかれないように、気が付きそうになる自分を、両目で見過ごしながら、きちんと言葉にして追い出す。


「ただ僕は呪われたんだよ。あの時の彼女の気持ちがわかってしまった」

隊員にならないでくれといった彼女の言葉の意味が、今の僕には理解できる。


「呪いね。俺はそんな怖い言葉より、義務や責務の方がいいね。やらされてるんじゃない世界を救ってやるんだよ俺がな」

そういってリンドウが雑談を終わらせる。

「ま、なんにせよ、ついたみたいだぞ、きっとこの先だ」


目の前で悪路は終わり、その先に舗装された道が続いていた。

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