第12話
宿の扉を潜ると、中からは香ばしい香りが漂ってきた。
「じいさん、今日もいい匂いだ」
リンドウが大きな声を上げる。
「食事の準備はできてる。すぐにでもテーブルにつくといい」
言葉に甘えて僕らはそそくさと椅子を引いた。
「ディオネアは?」
ここに滞在するもう一人の旅人の姿はみえない。朝早くに出ていったようだということは知っている。
「まだ、帰ってないな。他の拠点の様子をあちこち見たいようだったから、近隣の村にある秘密教会の様子をついでに見てきてくれと頼んだんだ。今日中に帰るつもりなら夜中になるだろう」
ディオネはここについてからの時間を、街の内外に点在する秘密教会を訪れることに使い。周辺地域に集まりつつある他の隊員たちと積極的にコミュニケーションをとっている。
「がんばるね~」
茶化すような調子のリンドウ言葉をどうかと思ったが否定はしない。僕も最初の数日は彼について周ってみたが、最近はもっぱら飽きて街の探索の方に興味を移している。
「まあ、計画に遅れることはないだろ。あいつはあいつで背負ってるものがありそうだ。俺様ほど背負ってるものは多くないだろうがな」
先日、二人の会話を盗み聞きしていた男はそんな感想を漏らす。
「ところで、ヤナギさん。計画の方は順調なんですか?」
老人に尋ねる。
「問題ない。Xデーまであと三日だ」
簡潔な答えが返える。
「そんなに待つ必要あるのかねぇ。もう周辺には100人近い隊員が集まってるんだろ。根がいくら強くたって、流石に余裕だろ」
僕らのような隊員たちは続々とこの街とその周辺の協力者のもとに集結しつつある。すでに決戦を挑むには十分な戦力と考えていい。
「お前たちの問題ではない。我々この世界に住む人間と、この国の事情だ。せっかくだちょっとだけわしらの事情も知っておけ」
そういって老人はおもむろに立ち上がると一冊の本を大事そうに抱えて戻ってくる。
「この国では本を所有することは異端なのさ。王族は知識を独占することでその地位を独占的なものにしてきた。だが、知識というのは誰かが独占していいものかね?広く大衆の為にあるべきものだろう」
そうして本の表紙をそっと撫でる。
「だからこんな風に我々は隠して引き継いできた。本を国から守ろうと少数が集まって始まったのが教会であり、今や同志は世界各地にいる」
「そいつは難儀だな」
しかし、彼の言葉に老人はそっと首を振る。
「そうでもないのさ。長い弾圧の歴史はついに終わる。もはや本を異端とする旧き神々を心からあがめる人間がこの国にどのぐらいいよう。見ただろうこの国の発展と活気を」
城下町に流れる雰囲気は確かに独裁化に置かれる臣民のそれではなかったのを思い出す。
「今の国王様も、そして議会も、道理と合理的の思考を持ち合わせたお方がそろっている。今国は変わろうとしている。古き教え切りすて、知識共に歩む新しい世の中へと」
本を異端とすることで民を支配してきた王侯貴族は、一方で教会とひそかにつながりながら本と教会の信徒たちの持つ知識を使い街を発展させてきたそうだ。特に先々代の国王は子供たちへの教育を事実上黙認することで知識階級を増やし、世代を追うごとに国力は増大しつつあるらしい。この街に漂う活気と自信は、もはや古い常識を受け入れない。
「教会と我ら信徒が守ってきた本と知識がようやく日の光を浴びるのだ。先々代のころから徐々に形骸化しつつあった我々と国の関係だが、次の議会で我々への異端認定が取り消されることは確実だ。同時に今まで国教として国の重要なポストに居座り続けた旧神の派閥は、その地位を失い一掃される」
感無量というところだろう。
「それがXデーなんですね。だから、それまで待てと」
確かに国から異端認定が取り消されれば、堂々と自由に動くことができる。あるいは協力さえ得られるかもしれない。
「でもよ。変革に反対する奴もいるんだろ。古い教えにしがみつく、その邪教徒と神官たちが、最近教会が襲われてるって話は聞いたぞ」
リンドウはあえて、この国を長く支えてきた教えを、邪教と呼んだ。
「問題はない。国の良識派と我ら教会で連携して、彼らの行動は事前に抑えてある。奴らも焦ってるのさ、ここ最近の強硬は彼らの焦りの表れだよ」
この言葉には老人の強い確信を感じる。
「となると後の問題は」
「そう、この街の地下に眠る。彼らが崇める旧き神」
言葉を引き継ぐヤナギ老人は、それを旧き神と呼ぶ。
「明らかに理を外れた力をもつ、なにか」
「僕たちの出番ですね」
この国の旧い宗教の旧き神こそが、僕たちが対峙すべき相手、根であることは明らかだ。大国建国の太古から、木の根のように巡らされたこの街の地下道の先に築かれた神殿にそれは祭られているらしい。
「地下道は複雑なんだろ?迷子にならないよな?」
「地下の正しい構造は歴代の、神官たちしか知らない。彼らが口を割ることはないだろう。…が、お前たちにはそれがある」
老人がさすのはパキラたちの持つ懐中時計だ。指針は必ず果実のある方に導いてくれる。つまり、根がいるだろう場所に。
「Xデーの前日にでも、例の地下の部屋で念のためにセーブとやらをもう一度しておくといい」
パキラ自身、そのつもりではあったがセーブの意味をどこまで理解しているのだろうか。どうやら記憶の保持ではなく、磁石の指針の固定か何かの為だと考えてるふしがある。もちろんその意味がないわけではない、指針は今や地下を指し続けている。
「ヤナギさんは結局、僕らのことどこまで知っているんですか?」
素直な疑問が浮かんだ。老人はその質問をかみしめた後答える。
「なにも知らんさ」
「なにも⁈何もってのはあれか、俺がどこからやってきたのかとか、何がしたいのかとか」
素っ頓狂な声を上げたのはリンドウの方だ。隊員たちは
「お主は良くしゃべるから他のやつよりは多少知ってるがな」
そんな冗談が返る。
「おいおい、そんなんで俺たちのこと良く信頼できるな」
予期せぬ回答に口数の多い男すら閉口する。
「我々と違う世界からやってきたということは知っているよ。そこはここよりずっと自由なところなのだろう。お前さんたちの世界からやってきた者が、この国に知識の大切さを教え、先人たちと共に最初の秘密教会を築いたと伝え聞いている。さらに言えば、邪教の神の力に抗い、戦えるだけの力を持つのは君たちだけだ」
老人は本の大事そうに強く抱きかかえる。
「お前さんたちが自身のことをどう考えてるのかは知らんよ。お前さんたちにはお前さんたちの事情があるのも感じておる。だが、我々からみればお前さんたちはまるで、我らが女神さまが使わしてくれた使徒にしか見えん。どこからともなくあらわれ邪神と戦う使徒。これだけ都合のいい存在など神の加護以外にあり得ようか。偉そうなことを言ったがなに、正直に言えば、腹を探りあうことでお互いの信頼と協力の関係が崩れてしまうのを恐れているのさ。我々にはお前たちが必要だ」
正直な言葉だ。
「そんなことで、僕らのことを信頼できるんですか?」
思わず思たことが口から出る。
「できるさ」
短い回答はそれ以上の追及を飲み込む力強さをもっていた。
「なあ、じいさん。もう一つ聞いてもいいか?」
沈黙を引き裂いたのは、リンドウだ。
「じいさんが今大事そうに抱えてる本には何が書いてあるんだ?」
「とても大事なことさ」
「大事?」
彼の眼光に僕は唾をのんで聞き返す。
「その通り。こいつがないと、上手い料理はつくれない」
自らの手で作った料理にかぶりつき老人はニヤリと笑う。
「そいつは一大事だ」
予想外の答えに思わずリンドウが豪快に吹き出した。
「確かに」
つられるように僕も笑うと、本に書かれた魔法のレシピを口に運ぶ。口の中に広がる風味が僕らにそれの代えがたい価値を教えてくれる。その先の言葉は必要ない。不思議な一体感の中で美味しい料理を腹いっぱい堪能した。
食事の後僕とリンドウは、上階に用意されたそれぞれの部屋に引き上げた。部屋のベッドに寝転がると、二人部屋の空の方のベッド目に入る。彼は今日中に帰ってくるだろうか。同室の友人をしばらく起きて待っていたが、Xデーまで後三日と迫ったこの日、ついに僕が寝つくまでには帰らなかった。
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