第10話

二段ベッドが二つ、地下にある狭くて暗くてじめじめする部屋はそれだけでいっぱいで、居心地がいいとは言い難い。


「悪いが今日はここで寝てくれ、この建物で唯一とやらができる部屋だ」と老人に通された部屋だった。明日には上階にちゃんとした部屋を用意してくれると言っていたから今日だけの辛抱だ。


ベッドの二段目からは天井が近い、ぼろい天井のシミ一つ一つ容易に数えることができる。「朝には、たまってるかな?」と懐中時計のセーブ時間を示すインダイヤルにちらりと目をやる。明日の朝には終わってるはずだと言っていたから、ここでは6時間ぐらいかかるのだろうと思われた。時計の蓋を閉じて枕元に雑に置く。軽く目をつぶった。


「パキラはさ。大事の為に、目の前の大切な人の犠牲が必要だとしたら、それを捨てられる?」

下段からとっくに寝ていると思っていたディオネアの声が飛んできて、パキラは目を再び開き天井のシミを見つめる。


「昼間の続きか?」

言葉は少し、棘を含む。正直先ほど話を打ち切られてことを少し根にもているのだ。


「…ちょっと怒ってる?」

声は弱気に響く。


「怒ってないよ」

その声音に毒気を抜かれて、パキラはため息とともに語気を緩めた。


「でもさ、親友って感じがしないんだ。君は僕のことを幾分か知ってるんだろうけど、僕は君のこと何にも覚えていない。距離感がわからないんだよ」

控えめな抗議を付け足す。


「うん、そうだね。……少し僕のことを話しておいた方がフェアだね。僕はパキラのことたくさん知ってるからさ」

「たくさん知ってるんだ…」

その発言は発言でちょっと聞き捨てならない。


「僕は友達を殺したことがあるんだ。親友さ、大切なたった一人の親友」

少しといった告白はいきなり重たく響いた。


「それが、僕だって落ち?」

重い空気を避けたくてついつい冗談で返してしまう。


「違うよ。パキラと会うもっとずっと前の話さ」

クスクスとその冗談に笑う。


「どんな奴だったんだ?」

そんなことしか聞けなかった。


「勇敢で、誠実で、正義感に溢れた奴だったよ」

僕の質問を待ち受けていたかのように、軽快な口調でしゃべりだす。


「でも、こんな世の中でしょ?僕はね。自分たちのコミュニティーを守る必要があった。彼はそのために存在してはいけなかった。嫌な二択だよね。親友か、その他の大勢の人か。僕は間違ったと思ってないよ。でも、正しい選択が僕の感情を慰めてくれるわけじゃない」


最後の審判の後、たくさんのことが世界であった。そのどれもこれもが悲惨で、悲痛なありふれた日常だったから、誰もことさらに語ろうとはしない。ディオネアの罪も、きっとそんなありふれた物語の一部なのだろう。


「今の世界には数えるには不幸が多すぎる」

勝手に出てきた言葉は慰めだろうか。それ以上追求して彼の心に踏み入るのが怖かったのだろうか。抽象的な返答が宙を漂う。

「そうだね。ありふれた不幸自慢だ」


小さい沈黙。無言から、彼の心は推し量れない。


「だからディオネアはMALSUの隊員になったのか?」

不意に浮かんだ疑問が、自然と口からこぼれる。


「確かめ続けていたいんだ。僕が理不尽な二択に正解し続ける人間だってこと。世界が滅びてしまえば、彼の犠牲は意味がなかったことになるだろ」

あまりに素直に返事が返ってきたことが、パキラには意外だった。


「なんで、僕に話してくれる気になったんだ?」


「なんでかな…」

言葉は小さく区切られる。

「誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。僕のしてきたことと、これからすることを。覚悟ってのは言葉が連れてくるものだろ?誰かに聞いてもらうならパキラがいい」


ポツポツと語る言葉は独り言のような大きさだったけど、そこに不意に自分の名前が出てきてなぜか気恥ずかしくなる。


「もうすぐあの時と同じ決断をしなきゃならない。そんな気がするんだ。現実はなぜかな?同じ質問を何度も投げかけてくる。答えは知ってる。いつも同じなんだ。だけど、決断を下す心だけが少し鈍くてしょうがない」

この言葉は今度こそ、彼自身の独り言だったように思う。


「―ふむふむ大切な何かと、それ以外の大多数。究極の二択だな」

突然予想しない方向から声がした。僕もディオネアも驚いて体を起こす。


「答えは頭が知ってるのに、心は頭を知らないのな。わかる。わかるな~」

隣の二弾ベッド、その一階部分。閉められたカーテンの奥からだ。誰かが寝ていたらしい。僕らの話声で起きてしまったのか、はたまた聞き耳を立てる悪癖があるのかはわからない。


「悪いが話は聞かせてもらったぞ。俺もまさにそれで悩んでたんだ。気になるあの子は間違いなく俺のことを好きなのに、俺はなぜかいつも振られるのを恐れて告白できないでいる。まさに今の俺!」

しんみりとしていた空気をぶち壊すように、カーテンが勢いよく開き、想像通りの陽気な雰囲気の男が顔を出す。


「おっと、悪悪い、恋バナの途中だったな。遮っちまった」

唖然とする二人を、差し置いて的外れなことを言う。

「俺か?俺はリンドウってんだ。エゼルウルフ・リンドウ。ゼルと呼んでくれ。お前たちと同じMALUSの隊員。祖国を救う救世の英雄さ」


男の得意げな顔に、二人は顔を見合わせてげんなりとする。その間も男の口は止まらない。


「あの…」

試しに言葉をはさんでみるが、

「うむ、素敵な話を聞かせてもらった。盗み聞きしてしまった手前、俺も君たちに好みに起こった恋の物語を語って聞かせるのがフェアというものだ。だがあせることはない。語るにはやぶさかではないが順番がある。まずは俺とシスターの出会いである序章から―」


この男の性格に不穏なものを感じた二人は、目で合図しお互いにこの突然の乱入者をどう扱うかに合意した。危ない人間だ。かかわるなかれ。


一気にシーツを被り直し横になる。そう、このちょっとうざい上空気の読めない乱入者に口を閉ざし。目を閉じて、朝が来るまで眠るのがベストだと本能が教えている。


男はそんな二人の態度を全く意に帰さず、そのまま自分のベッドに横たわり何かをしゃべり続けていたが、それがいつまで続いたのか、意識が途中で途切れたのでわからない。

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