小説家は英雄の傍らに

きざしよしと

小説家は英雄の傍らに

「やー! 新作もかなり好評みたいっすね!!」

 アンドレア王国の城下町にある喫茶店『カルナヴァル』にて、上機嫌にチェリーパイを頬張る仕事仲間を見て、ジャイルズ・オルコットは困ったような笑みを浮かべた。

 ジャイルズは数年前から小説家として活動をしていた。目の前の男は彼の本を出版するのを担当しており、名前をバーニーという。

 ジャイルズは小さな顔に大きな丸眼鏡をかけた、いかにも大人しそうな青年で、職業を答えると「ああ、たしかにそんな感じがする」と頷かれることが多い。そんな人たちも、ジャイルズが『カルバート家の男たちシリーズ』の作者だと知ると、驚いた顔になるのだが。

 読者からは『カルバート家の男たちシリーズ』という通称で呼ばれているジャイルズの作品は、その名の通りカルバート家の一族である主人公が、モルガナという魔典の行方を追う冒険譚だ。1作で主人公が交代するのだが、まるで見てきたかのように臨場感のある描写や、実際にいるかのような登場人物の濃さが人気の理由らしい。カルバート家の一族が実際に存在するというのも、人目を引く要因だった。

「今作の主人公も恰好良かったっす。1作目の高慢だけど努力家で慈悲深いライオネル、2作目は理知的でどこか影のある美青年エルドレッドと来て、3作目は野性味溢れる戦闘狂ザカライア、読者の反応も上々ですよ~!」

「そりゃよかった」

「そういえば、語り手のルイジャくんは固定なんすね。好きなんですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「も~、いっつも反応薄いっすよね。嬉しくないんすか?」

「いや、嬉しいけど現実味がないというか。書きたいものを書ければ、ボクは満足なのだし」

 バーニーは「欲がないなぁ」と呆れたようにしながら、紅茶を一口飲んだ。そして目を見開いて「パイも美味いっすけど、紅茶も最高っすね!」と嬉しそうに笑う。実に素直な男だ。

「執筆に行き詰まるといつもここに来るんだ。お洒落で清潔だし、店主さんは美人だし、このご時世に食事は魔術を一切使わないこだわりの手作り! お気に入りの場所なんだよ」

「はえ~、何か本の売上話してる時より熱がこもってますね」

「……そんな事はないよ」

 ごまかすようにカップを持ち上げようとした時、ガシャン!と大きな物音が店内に響き、どたどたと荒い足音が続いた。

「全員動くな!」

 武器を構えた3人の男が店に押し入って来たようだった。見た目でチンピラだとわかる風体の大柄な男たちは、カウンターで調理をしていた店主に向かって「金を出せ!」とがなる。

「なっななななんすか!?」

 驚いてひっくり返ったバーニーは咄嗟にテーブルの下に隠れ、両手を挙げた。どのテーブルの客も似たような反応で、男たちは他愛無いモンだ、と鼻を鳴らす。

「……あン?」

 男の1人が妙な客がいる事に気が付いた。他の客が怯えてテーブルに伏せているにも関わらず、細枝のような脚を組んで、優雅にティーカップを傾けている青年だ。

「ジャ、ジャイルズさん! 何やってんすか!?」

 ジャイルズは男たちの乱入など歯牙にもかけないという様子だった。その小動物染みた小さな体躯に似つかわしくない不敵な表情で、男たちを一瞥してはクッと喉を鳴らす。

「おいチビ、舐めてんじゃねーぞ」

 苛立ちをこめかみに滲ませた男が大股で近寄って来てもそれは変わらなかった。むしろ悠然とした雰囲気でもって待ち構えたジャイルズは、胸倉を掴まれた瞬間、紅茶に添えられていた檸檬の汁を男の顔目掛けて吹き付けたのだ。

「ぎゃっ!?」

 驚いて手を離す男に懐から取り出した杖を向ける。グリーンネックレスの意匠が施された銀製の杖。

「此処は夢深きシルバローズの御前である。ヒナゲシが咲き誇り、羊ですら夢を見る。さあ、”眠って”。起きた頃には全てが終わっているから」

 言葉と共に杖から吐き出された薄い紫の煙はたちまちに男を包み込んだ。テーブル下のバーニーが目を白黒させている内に、大柄な男はばったりと仰向けに倒れ込んだ。目は固く閉じられて、呼吸は深い。眠っているようだ。

「何しやがんだてめぇ!」

 男の仲間が事態に気づいて武器を構えた。

 光る石をはめ込んだ金属製の小さな筒。見慣れないものであるが、引き金を引く事で魔力で出来た弾丸を飛ばすことのできる銃だ。近年開発されたものであったが、少し前に友人に見せてもらった事があるのでその能力には覚えがあった。

 さっと無人の席に移動し、横倒しにしたテーブルの影に隠れる。パンパンと軽い音が聞こえ背中に振動を感じるが、弾丸がテーブルを突き抜ける事は無かった。

「此処は星翳るアスモデウスの御前である。紫陽花が涙し、燕が旋回する。”雨よ”。あの不届き者どもの汚れた心を洗い流しておくれ」

「わあ、何だァ!?」

「冷てぇ!」

 店内にいるにも関わらず、男たちの頭上でのみ降り出した雨に悲鳴が上がる。テーブルから身を乗り出したジャイルズは、くるりと杖で弧を描きながら「”凍って”」短い言葉を放つ。

「ぎゃあ!」

「いててててて!!」

 すると降っていた雨は凍って雹となり、痛みにばたつく男たちは凍った床に足を取られてひっくり返った。頭を打ったらしく、ピクリとも動かない。

 水を打ったように静かになった店内で、ジャイルズがもう1度杖を振ると、雹を降らす雨も、散らばった氷の粒も全てが消え去って元通りになる。

「……す」

 声を上げたのはバーニーだった。

「すげーよジャイルズさん! あんた腕利きの魔術師だったのか!!」

 その声を皮切りに、店の客たちがわっと湧き立って、口々にジャイルズの事を褒め称えた。「そんな、たいした事では……」もごもごと口を動かすジャイルズは恥ずかしそうに頬を染めながら、いつも通りの困ったような笑みを浮かべている。

「ジャイルズさん、自分が主人公の話も書けそうっすね! 次回はそうします?」

「……それは無理だよ」

 バーニーが「何でっすか?」と尋ねようとした時、店の外から「おーい」と声がかかった。

「強盗が出たって聞いたけど、もう終わっちまったか?」

 現れたのは空色がかった銀髪という不思議な髪をした、10代半ば程の青年だった。アンドレア王国の武官の制服を着ている事から、近隣住民の通報で駆け付けたのだろう。少年の後に続いた同じ制服の男たちが強盗達を引きずり出して行く。魔術による店の修復も忘れない。

「ジャイルズさんが倒しちまいましたよ~」

 どーだ凄いだろ、とバーニーが胸を張れば、少年は驚いたように目を丸くして、

「ジャイルズ兄ちゃん?」

 と声を上げた。

「えっ、知り合い?」

 首を傾げて見れば、ジャイルズは大きなため息をついて「お前が来るなら放っておけば良かったね」と顔を覆っていた。

「ザカライア・カルバートでっす! どうぞよろしく!」

 にっかりと歯を見せて笑う少年にバーニーは目を丸くした。そういえば、目の前の少年の様相は、小説に描かれていた豪胆不遜なカルバート家の三男坊にそっくりなのである。

 そこで、はたと気が付く。

 たしかあの小説の語り部であるルイジャは痩せっぽちの大人しい少年で、大きな丸眼鏡を掛けていた。物語内で目覚ましい成長と遂げる彼の杖は、グリーンネックレスの意匠が施された銀製の―――。

「あっ」

 思わず指を差す。

「ルイジャくん?」

 ジャイルズは返事の代わりに、はにかんで頷いてみせた。


 嘘みたいな真実の話だが、彼の書く話の殆どは実際に起きた出来事なのだという。公にできないような物でも、紙にフィクションとして落とし込んでしまえば問題ないよね、とジャイルズは語った。

 ジャイルズ・オルコットはどうしても記録に残したかった。自分が体験した冒険を。それは辛く険しい道のりだった。悲しい思いもしたけれど、後悔もあるけれど、忘れたいと思った事は1度もない。

 なにより見て欲しかったのだ。

 ジャイルズ・オルコットが愛した英雄を。

「近いうちに4作目が出来そうだな」

 ジャイルズと別れた後、空を見上げながらバーニーは独り言ちた。

 空の上には細身のドラゴンが1匹、背中に不思議な髪色の少年と、小柄な眼鏡の青年を乗せて旋回していた。

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