廻文

三衣 千月

当籤通知

 アパートの郵便受けに、それはあった。溜まったダイレクトメールの山と請求書の束をより分けている中、場違いに重厚な象牙色の封筒に、自分の名が書かれていた。

 バイト帰りの、薄ぼんやりとしか働かない頭では心当たりの一つも浮かんでは来ない。


 差出人の名は書かれていなかったが、持ってみるといやに重たく感じた。

 陽が沈み、辺りが暗くなりつつあることもあってか、その象げ色が不気味な気もした


「……何だよ、こりゃあ」


 古びたアパートにも、貧しい自分にも似合わぬその封筒からは、異質な気配が漂っていた。

 開ければ取り返しがつかなくなるような、また逆に、開けなければ怖ろしいことが起こるような。

 どうせ、妙な勧誘か何かだろう。じっと眺めていたその封筒から視線を外し、色の褪せた木製の扉を開け自室に入る。壁のスイッチを手さぐりで押す。だが、部屋の様子に変化はなかった。


「――くそッ、またか」


 電気代を支払えていなかったことを思い出す。どのみち、バイトとバイトの合間に寝るだけの場所だ。家と呼ぶにはいささか、似合わない。


 実家から出てきて、どれくらいの年数が経ったかは、もう覚えていなかった。

 持ってきたものといえば昔から好きだった作家の本だけだった。それすらも最近はろくに読めていないが。


 どうせ、電気が止まっているならテレビも点かないのだ。たまには窓から入ってくる街灯の灯りで読書をしたっていい。

 冷蔵庫の中には何もないし、携帯はとっくに料金未納で解約済みだ。


 学生時代から何度も読んでいる作家だ。単行本がいくつも出ている人気作家だが、内容を諳んじられるくらいには読み込んでいる。

 だから、本の世界に浸るというよりは、現実逃避の暇つぶしの意味合いが強い。


 なぞるようにページをめくる。

 ふと、先刻の封筒が気にかかった。一度気になってしまうと、もう駄目だった。


 外から入る微かな灯りを頼りに封筒の端をちぎる。

 中には、札束が入っていた。


「……は!?」


 訳が分からない。

 ぞくりと背中を何かが這った。慌てて封筒の中身を改めると、何やらメッセージの書かれた紙。


「当籤、通知?」


 そして文面には、ある会合への参加を促す内容が記されていた。

 昔からずっと読み続けている作家の、そのファンが集まる会合だった。


「なんでこんなもんが届くんだ?」


 どこかに住所を登録した覚えもなければ、ファンレターの一つ送ったこともない。どう取っても、怪しい。

 だが困ったことに、文面には続きがあった。


 曰く、同封の金50万円に関しては好きに使ってよく、ただし、会合に参加しないのであれば後日回収すると明記されていた。


「送り付け詐欺みてえなもんじゃねえか。無視だ、無視」


 だが、一度見てしまった金を見なかったことにするのは、難しい。特に、赤貧生活を送っている今の現状ならなおさらだ。

 暗い部屋でじっと金を見つめ、少し会合に出て、ヤバそうならすぐさま帰る。それで、条件は満たしたことになるだろうし、何より明日の飯が食える。


 半ば選択肢はなかったようなものだ。




   ○   ○   ○




 経緯のおどろおどろしさと比べ、ファンの集いと題されたその会合はとても落ち着いて品のあるものだった。

 会場も、人里離れた不気味な洋館でもなく、駅に近い貸し会場だった。


「来てくださり、ありがとうございます。主催の芦田と申します」

「あ、ど、どうも……」


 どうして自分を呼んだのかと尋ねてみたかったが、会場には他にもやけに人がいて、聞こえてくる端々の言葉から、めいめい好きな作品のことを話しているのだと分かった。

 同好の志に出会えたことなどこれまでなく、自分も、作品の、また作家のことを語り合いたいという気持ちも少なからずあった。


「会場内のケータリングはご自由にどうぞ。ああ、そうだ。よろしければこのカードに好きな作品をお書きください。話をする際のとっかかりにでもなれば幸いです」

「なるほど……。ありがとうございます」


 運営の気配りに感心しつつ、初期の頃の、自分が最も好んでいる作品の名を書いた。

 幸い、会合に慣れている人が多かったようで、聞かれた質問に答えを返す形でコミュニケーションは取れた。

 数多くの作品の内容を覚えていることを皆に驚かれたが、それで話がスムーズに進むのだから、悪い気はしなかった。


 スーツをきっちり着込んだ人物との会話で、作者評の話になった。


「君は、作者についてどう思う?」

「はあ。そうっすね、なんだろうな……人じゃないって感じが」

「――へえ?」


 作者は、作品のほかに世に出ることが少なく、少しのインタビューや講評記事であっても、写真の一つもない人物だった。書籍の著者近影には、いつも必ずドーナツやフラフープなど、輪になったものの写真が記してあった。

 それに、作風の変遷が興味深かった。


 初期の頃の作風に戻ったかと思えば、がらりと路線を変えたものを書いたりもする。ただ、そのどれもがしっかりと練り上げられた珠玉の作品群なのだ。


「なん、て言うか……うん、一貫してないけど芯はいつも同じっていうか、あ、いや、すんません変なこと言って」

「いやいや、とても興味深いよ」


 スーツの男は僅かに口の端を上げた。


 ややもしてから、主催の芦田が声を掛けてくる。


「お楽しみいただいていますか?」

「あ、ええ、とても。もっとこう、議論とかバンバンやるんだと思って身構えてました」

「いえいえ。我々は、先生の作品を共に見る仲間ですから。時に――」


 少し調子を下げて、他に聞こえないよう配慮した声で芦田は言った。


「先生に、お会いできるとしたら、あなたどうします?」

「え、会えるんですか」

「特別ですよ。あなたは、他の人よりも数段、先生の作品を読み込んでおられるようですから」

「そりゃ、会えるなら会ってみたいですけど……」


 思い切り目を細め、貼り付けたような歪な笑みを浮かべて芦田は手を差し出した。

 封筒を開けた時のような、ぞくりとした感覚が背を伝うが、公の場に出てきたことのない、それも自分が憧れる人物と会える機会があるとするならば、逃す手はない。そう思った。


 作家は別の場所にいると言うので、芦田に言われるまま車に乗り込む。後部座席へと案内され、やけに柔らかいシートに腰を落とす。

 期せずして落ち着く時間ができたこともあり、気になっていたことをあれこれ聞いてみた。


「あの、封筒って、封筒の中身って、本当に使っちゃっていいんですか?」

「もちろんです。あなたは、こうして来てくださったのですから」

「それに、どうして封筒が送られて来たのかも、よく分からなくて」


 ハンドルを握り、前だけを見ながら芦田は少し沈黙する。やがて、空気が漏れるようにすん、と息を吐き出しながら照れくさそうに笑った。バックミラー越しに、一度目が合う。


「白状いたします。我々、先生のファンをあちこちで探しておりまして。先生の新刊を買った人を、その、見守ってみたりなどしましてね」

「……えぇ?」

「分かります。気持ち悪いでしょう。それでも、我々は仲間が欲しい。作品を、共に読み、共に語る仲間が」

「いや、まあ、楽しかったですが……」


 予想外のストーカー宣言。確かに、生活が困窮していたとしても、新刊だけは買っていたから、よほどのファンだと思われるのは間違いないだろう。


「暮らしぶりを拝見するに、生活にお困りのようでしたので、つい、仲間を助ける心持ちで」

「は、はあ」

「それに――」


 度の過ぎたファン精神というものは、常識の範疇を超えるのだな、と無理やり自分を納得させた。事実、金は受け取ってしまったのだし、いくらかは使いもした。

 芦田は貼り付けたような笑みをまったく崩さず、呟くように言った。それは驚くほど静かにはっきりと聞こえた。


「次は、あなたの番ですから」

「え?」


 運転席を守るようにするりとアクリルガラスが走り、白いガスが後部座席を満たす。抗えぬ眠気と共に、意識は彼方へと消えた。




   ○   ○   ○




 気が付けば、四方を壁に囲まれた白い部屋。

 目の前には机。そしてノートパソコン。奥の壁に、扉が一枚。


「い、いったい何が起こって……」


 小さな部屋全体に共鳴するように、こもった芦田の声がする。


『おはようございます、先生』

「おい! これはどういうことだ!! 先生に会わせてくれるんじゃなかったのか!」

『ええ、今、そこにおられます。あなたが、次の作品を書くのですよ』

「そんなことができるものか! 警察を呼ぶぞ!」


 少しの沈黙。そして含み笑い。


『あなたのことは、ようくお調べしております。あなたがいなくなったとて、心配する者はいない』

「それは……ッ」

『何も監禁しようというのではないのです。我々は今までもこうして、作品を世に出し続けてきた』


 芦田の声はゆっくりと、確定事項を伝えるように淡々と語る。


 ――我々は、一個人としての私となり、作品を書く。

 ――我々は、読者として作品を読み、校閲、編集をする。

 ――我々は、仲間として団結し、世に作品を出し続ける。


『それが、我々の使命であり、喜びです』

「ふざけるな……ふざけるなよ……」


 冗談ではないことは、よく分かった。

 作風が変わって当然だ。こうやって、別の人間に書かせていたのだから。


『逃げようなどとは、思わない方がいい。前々作“白磁の箱庭”に出てきた探偵の最期、あなたなら覚えているでしょう』

「探偵が……結末で囚われて手足を切られ――まさか……」

『ノンフィクションです。リアリティが欲しかったもので』


 胃の奥が冷たい。

 うまく呼吸ができない。


『トイレは、そこの扉です。食事は三食ご用意いたしますので』


 耳鳴りがする。

 立っていられない。


『ああ、言い忘れておりました。――ご当籤、おめでとうございます、先生』


 ぶつん、と音声は途絶え、白い部屋に白い沈黙だけが残った。

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廻文 三衣 千月 @mitsui_10goodman

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