蟹、戦争す

 ヤブレカブレニ王国――通称ヤ国はもともと、ヤ族のみからなる単一民族国家であった。通説では、ヤ族の伝説の王・タカヤカニ一世が蟹暦八二〇年、ヤブレカブレニの地に建国したのが始まりであるとされている(これは、「八二〇やぶれかぶれに王国建国」という語呂合わせで覚えると覚えやすい。この機会にぜひ暗記しておこう)。


 現在、ヤ国の王として君臨するのはミヤビヤカニというみやびやかな蟹である。ミヤビヤカニは、后のキラビヤカニとともにヤ国を治めていた。「雅やかに、かつきらびやかに」をスローガンに掲げるミヤビヤカニの政治は、蟹たちの支持を得て、国は安定し、経済は発展し、ヤ国は一大王国として成長していった。


 ミヤビヤカニとキラビヤカニのあいだには二匹の子供がいた。「健やかに育つように」との想いを込めて名づけられたスコヤカニと、「伸びやかに育つように」との願いを込めて名づけられたノビヤカニである。ミヤビヤカニが引退したときには、当然スコヤカニかノビヤカニが王様になるのだろうと、誰もが思っていた。スコヤカニもノビヤカニも、名前に込めた通り、健やかに、そして伸びやかに成長していたから、どちらが王様になっても、よい政治をしてくれるであろうと思われた。それゆえ、ヤ国のいっそうの繁栄は約束されているかに見えた。


 ところが、平和そのもののヤ国を揺るがす事件が起きた。そのきっかけを作ったのが、イ族が率いるイ国である。


 イ国――正式名称イチフジニタカ・サン゠ナスビ帝国は、国民の数こそ少ないものの、戦争をさせるとめっぽう強かった。というのも、まずイ族には、支配欲の強いシハイカニがいる。シハイカニはつねに他国を支配下に置くことばかりを考えている戦争好きな蟹である。さらには、コワイカニという、名前からして恐そうな蟹もいる。コワイカニは見た目も恐そうであり、喧嘩が強い。だがコワイカニの本当に恐いところは、その頭脳にあった。コワイカニは、不思議な現象に出会うとすぐ「如何い か に」と言って頭をひねる癖のおかげで、めきめきと思考力がつき、頭の切れる参謀としてイ国で重宝されていたのである。シハイカニとコワイカニの国策により、イ国は、優秀な蟹であれば、地方の蟹であろうと外国産の蟹であろうと出身地不明の蟹であろうと関係なく徴用するようになって、ますます国力を高めた。


 戦争の準備が整ったイ国がまず最初に戦いを挑んだのは、ラリリ゠ルレレ王国――通称ラ国であった。ラ国は、古くからラギオ゠ヘンカクカツィオ平原を支配してきた伝統ある国である。アリ・ヲリ・ハベリ・イマソガリなどの特産品によって栄えてきたこの国は、イ国が手始めに併合するのにちょうどよい国だと言えた。ラ国は中規模の国であり、腕試しには手頃な大きさだったのである。また、ラ族は誰も彼もが喧嘩を好まないおとなしい性格であったので、この点もイ国にとっては非常に好都合であった。


 ラ国の王様はオテヤワラカニという蟹で、通称ラ王と呼ばれていた。ラ王はもっちりとした柔らかいものを好み、「好みの女性のタイプは?」と聞かれると「身も心も柔らかい女性」と答え、「好みのカップラーメンのタイプは?」と聞かれると「小麦が香るもちもちした麺がよい」と答えたほどである。


 それゆえ、イ国が侵攻してきたときに、オテヤワラカニが「どうか戦争するにあたってはお手柔らかに」と申し出たのも無理からぬことであった。ところがイ国は、オテヤワラカニの言葉などお構いなしにがんがん攻め入ったから、ラ国はすぐに戦争に負けてしまったのであった。


 ラ国の記録係であったツマビラカニが後につまびらかにしたところによると、ラ族の蟹たちはおとなしい性格ゆえにそもそも戦闘意欲がほとんどなかったらしく、イ国がラ国に攻め入ったまさにそのときも、ラ族の蟹はぜんぜん緊張感のない状態ですごしていたという。タカラカニは高らかに笑い、ホガラカニは朗らかに笑い、ナメラカニはボディクリームを塗って甲羅を滑らかにしており、オオラカニは気持ちをおおらかにしてイ国を受け入れ、キヨラカニは瞑想して心を清らかにし、オテヤワラカニの后であるヤワラカニは柔軟体操をして身体を柔らかにし、ウララカニは海底に差し込むうららかに輝くお日様の光を浴びてリラックスし、ナダラカニはなだらかに流れる海流に身を任せてたゆたっており、ヤスラカニは安らかに眠り、お洒落好きのキララカニはきららかに着飾ることに夢中で、唯一戦う意思があったのはカチカチと荒らかにはさみを打ち鳴らしていたアララカニだけであったから、こんな状態ではアキラカニが指摘するまでもなく明らかに、戦争に負けることは確実だったのである。

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