マイノリティ・レポート

寿 丸

内情暴露

 聴覚障害者として生を受けて(ピー)十年。


 それなりに世間とも自分の障害とも折り合いがついて、それなりにコンプレックスも克服して、それなりに仲間にも恵まれて。


 今では自分の持っている武器(文章作成能力)を駆使してブログを書いたり小説を投稿し、「楽しみにしています」と言ってくれる読者もいてくれている。


 ありがたいことです。こんな自分にはもったいない話です。


 障害を持っている人は皆往々にして、何かしらのコンプレックスを持っています。そんなの当たり前だろうと思われるかもしれませんが……なぜそんなコンプレックスを持っているか、考えてみたことはありますでしょうか?


 生まれた時から、あるいは人生の過程で障害を持った人たちは、「普通の人」とのギャップに苦しみます。あの人は普通にできるのに、自分にはできない。みんな上手くやれているのに、私にはこなせない。「普通の人」同士の間にもそういったことはしょっちゅうあるでしょうが、身体的・精神的にハンデを持っている人はできないことに焦点を当ててしまう傾向が強いです。


 大人になっても、そのコンプレックスを克服できない人は大勢います。


 過去に差別を受けたことから健常者に恨みつらみを持つ人もいます。


 聴覚障害者の中には、「ろう者」と呼ばれ、あるいは自称している人がいます。


「ろう者」とは医学的には「聴力が100db(デジベル)以上の人」とされていますが、当事者たちは「日本手話を母語として用いている人」と定義しています。


 いきなりなんの話だかわからないと思うので、噛み砕いて説明します。

 聴力が100dbというのは、簡単に言えば飛行機が通過するレベルの音じゃないと聞こえないということです。


 そして日本手話とは、古くから――具体的に言えば100年以上前から――当事者たちが仲間内でコミュニケーションを取るために用いていた手話です。日本語の文法通りに手話を当てはめているものは、「日本語対応手話」といいます。日本手話とは文法が異なるのです。


 昔、聴覚障害者は手話を禁じられていました。

 手話で話そうとするものなら、手を竹刀で叩かれる。しかもどこぞの国で「手話禁止条例」みたいなものが発令されてしまったから、その抑圧は今とは比較にならないほどひどかった。


 昭和、そして平成になってもその抑圧はまだありました。そのことから健常者に恨みを持っている人がいるのです。


 さて、長くなりましたが。


 断言しておくと、健常者に恨みを持っている聴覚障害者はもれなく性格にクセがあります。


 普通の職場に馴染めない。

 音声言語によるコミュニケーションが取れない。

 結果、心象的に引きこもりがちになる。

 健常者に引け目を持つ。

 

(本当はもっと細かく説明したいのですが、自分の書こうとしているものからどんどん遠ざかってしまうため、割愛します)


 そういった人たち……いや、連中は事あるごとにマウントを取りたがります。

 健常者のみならず、同じ聴覚障害者にも。


 どんなことでマウントを取るのかといえば、一番は手話です。


 先ほど日本手話と日本語対応手話についてちょこっと説明しました。このふたつの手話は文法と表現方法が異なるため、混同されるとキレる人がいます。挙句の果てには「お前の手話は手話ではない!!」と鼻息荒くして人格否定までするような人もいます。


 同じ聴覚障害者に対しても、です。


 日本語に置き換えると、やたらと文法や言葉遣いにこだわる人っていませんか? 「ず」と「づ」の違いなど。そういった細かな違いを気にする人は、聴覚障害者の中にもいるのです。


 ここから先は、実際に聴覚障害者が手話で言ったものです。


「お前の手話は手話ではない。ただの日本語対応手話だ」

「日本語対応手話は手話じゃない。日本語通りに手話を当てはめるなんて間違っている。手話には手話の文法があることを理解すべきだ」

「お前は手話だけじゃなくて、ろう者と難聴者との区別もついていない」

「声を出せるならお前はろう者じゃない(我々の仲間ではない)」


 一部脚色を入れましたが、こんな感じです。


 えー、自分は一応声を出せます。日本語を駆使することができます。普段話している手話は日本語対応手話です。

 なので、年配の人に上記のようにマウントを取られました。


 十年ぐらい前のお話でした。


 その頃の自分は大学生で、まだ聴覚障害を持つがゆえのコンプレックスを引きずっていました。さらには青年期特有の「自分とは何者だろう」というアイデンティティーの模索をしていた時期でもあったため、基盤が揺らいでいました。


 そんな中で先ほどの言葉を浴びせかけられた。


 動揺し、不安になりました。同じ聴覚障害者なのに、どうしてここまで否定されるのだろうかと。今ではもう「あの〇〇ジジイ、まだ生きてんのかな。ああいうのって案外長生きするんだよな。とっととくたばればいいのに」ぐらいにしか思っていませんが。


 聴覚障害者だけでこんな感じです。しかも今回書いたことはごくごく一部、氷山の一角です。


 ほとんど説明になってしまいましたが、ひと口に障害者といっても色んな人がいて、彼らなりの事情でマウントを取ることもあります。障害を持っていることを逆手に取って、知識不足などを責める連中もいます。


 聖人じゃないですよ、決して。


 自分はどうかって?


 耳が聞こえない、しがない物書きの卵です。

 それだけでも十分です。

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マイノリティ・レポート 寿 丸 @kotobuki222

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